スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

湘南ダービー&自明と真理

2013-05-07 18:39:30 | 競輪
 ゴールデンウィークの最終日の昨日に決勝という関係で,ビッグから中2日というやや強行日程となった平塚記念。並びは牛山ー武田-小林ー岡の関東,根田ー高木の南関東,井上ー吉村で西日本,三谷は単騎。
 スタートを取ったのは根田でそのまま前受け。3番手に牛山,7番手に井上,最後尾に三谷で周回。残り2周半となるバックから井上が上昇,根田を叩きにいきましたが,根田はそれを許さず,井上は再び引いて3番手を牛山と並走。内に包まれるのを嫌った牛山が下げ,3番手に井上,三谷を挟んで6番手に牛山。打鐘あたりから牛山が発進。しかし前の根田はここでも突っ張り,牛山はホームで力尽きました。武田はバックから自力。これに先んじて井上が捲りを放つと,前をあっさりと捕まえ,追撃も凌いで優勝。半車身差の2着は写真判定でしたが,井上と吉村の中を割った小林。微差で吉村は3着。
 優勝した長崎の井上昌己選手は昨年9月の防府記念以来となる記念競輪7勝目。当地は2008年の競輪グランプリを優勝したバンク。力量的には安定していて,記念競輪ならばいつ優勝してもおかしくないクラスの選手ですが,落車が多くて苦しんでいるという印象。仕方がない面もあるでしょうが,それを減らすことができれば,もっと活躍ができるのではないかと思います。

 スピノザがconceptusとnotioあるいはnotionesを使い分けていることの理由や意義に関しては,朝倉友海が『概念と個別性』の中で,観念ideaというタームとの関係も照らし合わせた上で考察しています。この部分は朝倉の主題とはいえないかもしれませんが,参考になる探求だと思います。また同時に朝倉は,日本語の訳として,なぜこのような問題が発生するようになったのかについても説明しています。それを読みますと,どうもこの問題というのは,スピノザの哲学の日本語訳に固有の問題であるとは僕には思えませんでした。ただ,すべての哲学者が意図的にconceptusuとnotioを使い分けているのかどうかは僕には分かりませんから,この点についてはこれ以上の言及は控えます。スピノザの場合も意図的であるかどうか,はっきりしない面もあるのですが,少なくとも共通概念といわれるときの概念が,conceptusではないということは,よく脳裏に焼き付けておくべきことだと思います。
                         
 それでは主題の方に戻ります。第二部定理四一は,第二種の認識,すなわち人間の精神だけに関していえば,人間の理性による認識が,必然的に真であるということを示しています。そして自明であるということが,理性による認識のような,人間の精神の本性が一致する限りでの認識のうちにしかあることができないのであれば,自明であるということは真なる認識のうちにしかあり得ないということになります。スピノザの哲学における真理というのは,こうした個々の真の観念の総体のことです。つまり,自明であるということは,真理だけに関係するのだし,もしも人間の精神がある事柄を自明なものとして認識することがあるならば,その認識された内容は真理であるということになります。
 僕はスピノザの哲学では虚偽と誤謬は分けて考えます。そしてスピノザは第二部定理一七備考において,人間の精神が虚偽を認識することに関して,条件さえ整えばそれは力とみなせるといっています。しかし自明である事柄は,ここでいわれている条件が成立した上であったとしても,虚偽のうちに見出すことはできないと考えなければなりません。
コメント
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