NHKマイルカップを勝ったマイネルホウオウの輸入基礎繁殖牝馬はヘレンサーフ。1903年にイギリスで産まれた馬で,明治から続き現在まで残る小岩井血統のひとつです。ファミリーナンバーはアグサンとサトルチェンジと同じで16-c。
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1911年に第四ヘレンサーフという牝馬を産んでいて,現在まで続いているのはすべてこの末裔だと思われます。クラシックを勝った馬や大レースの勝ち馬も出ていますが,どれがこの一族を代表する産駒というかはやや悩ましいところ。
僕の競馬キャリアが始まって以降,この牝系から最初の大レースの勝ち馬になったのは1990年に宝塚記念を勝ったオサイチジョージ。そして2頭目が2002年に菊花賞,2003年には天皇賞(春)と宝塚記念を勝ち,この年のJRA賞で最優秀父内国産馬に選出されたサッカーボーイ産駒のヒシミラクル。ヒシミラクルは大レースを勝った数でいえば,この系統の代表馬といってもいい存在かもしれません。マイネルホウオウはこの2頭に続き,3頭目となります。
このようにぽつりぽつりと大物を出すことによって続いてきたという一面があります。このブログは2006年の3月に開設されていますが,それ以降で重賞を勝った馬というのも1頭しかおらず,それが一昨年のオーバルスプリントを勝ったダイショウジェット。マイネルホウオウがようやく2頭目の重賞勝ち馬ということになるのですが,幅広く分枝していますから,何年か経った後に,またどこかで大物が出たとしても,不思議ではないでしょう。
積極的ということばによる被修飾語が神である可能性を視野に入れると,今度は別の観点が課題として生じてくることになります。それは,第一部定理二六証明で,作用に決定されるといわれているときに,そもそもこの作用というのが,『エチカ』の中で何を意味すると考えるべきなのかということです。すでに,この決定をする主体というのは神であるとスピノザが認識しているということは確定的なわけですから,神があるものを作用に決定するということが,いかなる事象として考えられるべきであるのかということは,積極的ということが何を意味するのかということを具体的に探究する場合には,必須の課題であるとさえいえるでしょう。
マシュレは,ものが神から決定されるといわれる場合に,ふたつの様式があるということに注目しました。ひとつはもちろん作用に決定されるという場合です。しかしもうひとつ,これとは別に,ものが働くように神から決定されるといわれる場合があるのです。このとき,作用するといわれる場合と,働くといわれる場合では意味に相違があるというのがマシュレの考え方ですが,このマシュレの論考というのは,神がものの原因であるということ,すなわち第一部定理一六が,どういった性質を有しているかを探求したもので,ここでの僕の考察とは主題が異なります。ただし,関係してくる部分というのが明らかにありますので,ここではこのマシュレのこの点に関する論考をまとめた,桜井直文の「スピノザのマテリアリスム」という論文を参考にします。
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桜井による分析では,まず作用すると働くの相違は,超越的原因と内在的原因の差異に帰着します。すなわち『エチカ』でこれと関係しているのは第一部定理一八であるということになります。超越的原因とは結果を自己の外に産出する原因を意味し,内在的原因は結果を自己のうちに産出する原因を意味します。桜井も,また岩波文庫版の『エチカ』の訳者である畠中尚志も,これをアリストテレスの哲学における分類としています。僕はアリストテレスはほとんど読んでいないのでよく分かりませんが,スピノザがここでその分類に従っているということは,間違いないものと思います。
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1911年に第四ヘレンサーフという牝馬を産んでいて,現在まで続いているのはすべてこの末裔だと思われます。クラシックを勝った馬や大レースの勝ち馬も出ていますが,どれがこの一族を代表する産駒というかはやや悩ましいところ。
僕の競馬キャリアが始まって以降,この牝系から最初の大レースの勝ち馬になったのは1990年に宝塚記念を勝ったオサイチジョージ。そして2頭目が2002年に菊花賞,2003年には天皇賞(春)と宝塚記念を勝ち,この年のJRA賞で最優秀父内国産馬に選出されたサッカーボーイ産駒のヒシミラクル。ヒシミラクルは大レースを勝った数でいえば,この系統の代表馬といってもいい存在かもしれません。マイネルホウオウはこの2頭に続き,3頭目となります。
このようにぽつりぽつりと大物を出すことによって続いてきたという一面があります。このブログは2006年の3月に開設されていますが,それ以降で重賞を勝った馬というのも1頭しかおらず,それが一昨年のオーバルスプリントを勝ったダイショウジェット。マイネルホウオウがようやく2頭目の重賞勝ち馬ということになるのですが,幅広く分枝していますから,何年か経った後に,またどこかで大物が出たとしても,不思議ではないでしょう。
積極的ということばによる被修飾語が神である可能性を視野に入れると,今度は別の観点が課題として生じてくることになります。それは,第一部定理二六証明で,作用に決定されるといわれているときに,そもそもこの作用というのが,『エチカ』の中で何を意味すると考えるべきなのかということです。すでに,この決定をする主体というのは神であるとスピノザが認識しているということは確定的なわけですから,神があるものを作用に決定するということが,いかなる事象として考えられるべきであるのかということは,積極的ということが何を意味するのかということを具体的に探究する場合には,必須の課題であるとさえいえるでしょう。
マシュレは,ものが神から決定されるといわれる場合に,ふたつの様式があるということに注目しました。ひとつはもちろん作用に決定されるという場合です。しかしもうひとつ,これとは別に,ものが働くように神から決定されるといわれる場合があるのです。このとき,作用するといわれる場合と,働くといわれる場合では意味に相違があるというのがマシュレの考え方ですが,このマシュレの論考というのは,神がものの原因であるということ,すなわち第一部定理一六が,どういった性質を有しているかを探求したもので,ここでの僕の考察とは主題が異なります。ただし,関係してくる部分というのが明らかにありますので,ここではこのマシュレのこの点に関する論考をまとめた,桜井直文の「スピノザのマテリアリスム」という論文を参考にします。
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桜井による分析では,まず作用すると働くの相違は,超越的原因と内在的原因の差異に帰着します。すなわち『エチカ』でこれと関係しているのは第一部定理一八であるということになります。超越的原因とは結果を自己の外に産出する原因を意味し,内在的原因は結果を自己のうちに産出する原因を意味します。桜井も,また岩波文庫版の『エチカ』の訳者である畠中尚志も,これをアリストテレスの哲学における分類としています。僕はアリストテレスはほとんど読んでいないのでよく分かりませんが,スピノザがここでその分類に従っているということは,間違いないものと思います。