スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スズカマンボ&結論の共有

2013-05-21 19:02:56 | 名馬
 日曜日のオークスメイショウマンボの優勝でした。馬名は父であるスズカマンボからとられたものです。
 祖母がキーフライヤー。母の従兄のダンスインザダークなど,近親に多くの重賞勝ち馬がいる良血。
 デビューは2歳8月。2戦目の未勝利で初勝利。4戦目に京都でオープンを勝ちました。
 クラシックを目指してトライアルのオープンを2着して皐月賞に挑戦。これはダイワメジャーの17着と大敗。京都新聞杯2着で賞金を加算してダービーへ。これはキングカメハメハの5着でした。
                         
 休養に入って秋は古馬相手の朝日チャレンジカップで復帰。武豊騎手騎乗で重賞初制覇。これをステップに菊花賞に向いましたが6着。さらに鳴尾記念も使いましたが2着でした。
                         
 また休養し4歳春はオープン特別で復帰。これは3着でしたが続く天皇賞(春)で安藤勝己騎手の好騎乗に導かれ,大レース制覇を達成しました。
 これで休養。この年の秋に3戦,翌春も1戦したのですが,3着が最高。大敗も多くそれで引退となりました。
 重賞2勝,大レース1勝は,種牡馬になる馬としてはとくに秀でたものではありません。ただし,母系の優秀性は強力なバックボーンとなる筈。メイショウマンボが初の重賞勝ち産駒にして大レース勝ち馬ですが,まだ大物が出てもおかしくはない魅力のある種牡馬だと思います。

 一見したところ矛盾したことを主張しているようにも思える「スピノザのマテリアリスム」に,首尾一貫性を保たせるために必要なことは,実はたったひとつしかありません。それは第一部定理二六後半部分第一部定理二七でスピノザが示している,ものは神Deusによる決定determinatioなしには作用することがなく,また逆にある作用をするように決定されたならばその決定を覆して作用しないようにすることはできないという場合の,神による決定というのを,第一部定義七に照らし合わせたときに,強制するといわれるような決定ではないと『エチカ』を読解することです。そして実際にこの読解は行われています。そこでは,第一部定理二六の決定が積極的なものであるならば,その決定を否定的な限定determinatioと解することはできないという主旨の記述がありますし,その少し前には,この決定は第一部定義七で強制されたといわれている決定ではないという主旨の記述もあります。
                         
 先述したように,桜井直文はその読解の根拠として,働きと作用の相違に注目しました。つまり作用の直中には働きactioがあるという解釈をすることで,それは第一部定義七における強制ではないと解釈したのです。神は神自身の本性naturaの必然性necessitasによって働くagereものですから,確かにこの観点からも,この決定というのが,自由libertasであるといわれるべき決定なのであって,強制されたといわれるような決定ではないということは明らかにできていると僕も思います。ただ,僕自身は論拠としてはこのことを採用はしませんので,桜井の論拠,あるいはマシュレPierre Machereyの論拠というべきなのかもしれませんが,それについてはこれ以上の是非を問うような言及はしません。もしも興味があるというのであれば,実際に「スピノザのマテリアリスム」を読んで,各々でその正当性を判断してください。
 ただし,僕は桜井が提出している結論に関しては同意します。すなわち第一部定理二六と第一部定理二七でいわれている決定というのは,何ら否定的な事柄,ないしは限定的な事柄を含むものではないという見解については,僕も桜井とそれを共有します。そこで,ここからは僕がそう理解する根拠を説明していくことにしましょう。
コメント
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