スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&真理の獲得方法

2013-05-09 19:41:09 | 将棋
 苫小牧での対局となった第24期女流王位戦五番勝負第二局。
 甲斐智美女流四段が先手。戦型は里見香奈女流王位次第であったと思いますが,ここは振飛車を選択。相三間飛車になりました。後手が端から仕掛けて戦いに。
                         
 午前中に1度アクセスしたとき,この局面で,この仕掛けには驚きました。▲同歩に△3六歩▲同歩として△5五角。そこで▲3七銀と受けました。これは駒得が確定的になるので,受けきれるのならば最善手でしょう。△1五香▲同香と香車も捨ててから△3七角成▲同銀△3六飛。対して▲2八玉と受けたのは力強い手。△4四銀と援軍を送りにいったのに対して▲2五角と打ったのは,苦心したという感じもしますが,なかなかの手だったのではないでしょうか。△3二飛に▲6五歩と突きました。
                         
 危うくも見えますが,どうやらこれで受けきれているよう。となれば第2図では先手が優勢と判断してよさそうです。実戦はこの後,後手も猛烈に追い込んだのですが,先手がリードを維持したまま勝っています。
 甲斐四段の勝利で1勝1敗に。第三局は22日です。

 ここでは自明と真理の間には不可分な関係があるということが,とりあえずは重要です。その真理の唯一性を,各々の精神がどのように獲得するのかは,今は深く探求する必要はないでしょう。したがってある精神が,何事かを第二種の認識で獲得したとしても,あるいは第三種の認識で獲得したとしても,それらは同じような意味において自明であるとみなすことができる可能性を有するというように結論付けておきます。というのも,当座の課題となっている第一部定理二六証明においては,そこで自明であるといわれている事柄,すなわち,もしもあるものが作用に決定されるなら,それは必然的に積極的なものであるということを,人間が理性によって認識するのか,それとも直観によって認識するのかは,明らかになっているとはいえないからです。
 むしろこのこととの関係で重要なのは,その獲得方法であるというよりも,第二部定理四三でいわれている事柄です。自明であるということが真理とのみ関係し,虚偽とは一切の関係をもたないのであるとすれば,どのような方法である自明な事柄を認識するにしても,それは疑うことができないようなものとして認識されるということになるでしょう。
 したがって第一部定理二六証明の②の部分は,次のような内容も有していると理解しなければなりません。AがBを何らかの作用に決定するなら,この決定は積極的なものであり,この限りにおいてAは積極的であるといい得るということはすでに説明した通りです。このとき,このこと自体は,人間に限定していうならば,人間の精神によって認識され得るものです。そして実際にこれを人間の精神が認識するとき,それは疑い得ないような真理として認識されるのです。要するにこの論証の①の過程と②の過程は,この条件を満たすような内容を有するものとして解釈されなければなりません。
 ではこの条件を満たすためにこれをどう解すればよいのかという問いが出てくるのですが,これは第一部定理二六証明への疑問をより具体的な仕方で提出したものであるといえます。したがってここでもまた僕は解答を与えることにはまだ禁欲という態度で臨まなければなりません。
コメント
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