2着までに入ると東京ダービーの優先出走権が得られる第27回東京湾カップ。
逃げたのはリアライズリンクス。フルーツサンデーが2番手でマークし,トーセンギネスオーが続きました。その後ろはかなりごちゃごちゃしましたが,向正面に入ってオベロンホワイト,ヴェリイブライト,アメイジアという順に落ち着きました。ミドルペースとハイペースが区分されるくらいのペース。
3コーナーを回って外に出てきたアメイジアが捲るように進出。前にいた3頭も合わせ,4頭が雁行で直線に入りましたが,内の3頭は力尽き,アメイジアが抜け出す形。後方に控えていたイヴアルブとキタサンオーゴンがこれに乗じて並んで追ってきて,3頭はそれほどの差がなく入線。自ら前を掃除したアメイジアがハナ差で粘って優勝。2着は大外のキタサンオーゴン。その内にいたイヴアルブはクビ差で3着。
優勝したアメイジアはクラウンカップからの連勝で南関東重賞2勝目。前半は揉まれる形で苦しそうでしたが,何とか抜け出すことに成功。自分で動いていったために最後は苦しくなりましたが,追撃を凌ぎぎったのはこの馬の強さと考えていいでしょう。ただ,今日の内容ですと,主流街道を歩んでいる上位の馬たちとはまだ差があるのではないかと思えました。父はイーグルカフェ。4代母の半弟に1992年のきさらぎ賞,毎日杯,京都4歳特別を勝ったヒシマサル。Amasiaはアメリカ+アジア。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手はクラウンカップ以来の南関東重賞2勝目。管理している船橋の坂本昇調教師は東京湾カップ初勝利。
自明と真理との間に不可分な関係があるということは,もしもある事柄が異なって認識され得るとすれば,それは自明であるとはみなせないという点に注意するならば,第一部公理六から明らかにすることもできます。なぜなら,もしもその観念の対象ideatumに一致する観念があるなら,観念の対象ideatumがひとつの同一のものである限り,観念もまた同一のひとつのものでなければならないからです。つまりAの真の観念というのは,それがどんな精神のうちに実在するとしても,ひとつの同一の観念です。いい換えればそれは,神の無限知性のうちにあるAの観念と同一であるということです。
真の観念と誤った観念の関係に注目するなら,もしもある観念が真の観念でないとしたら,それは必然的に誤った観念であるということになります。再び第一部公理六に注目するなら,それは観念の対象ideatumに一致しない観念であるということになるでしょう。要するにそれは,一致していないという条件を満たせばいいわけですから,そのあり方はいくらでもあり得ます。したがってAの誤った観念というのは,同一のあり方をする必要はなく,むしろ多くのあり方をすることになるでしょう。よってそれは自明であるための条件を満たせません。したがって,自明な事柄は真の観念とだけ関係し,誤った観念とは関係しないということが出てきます。いい換えれば,ある事柄が自明であると認識されるなら,それは真理なのであって,虚偽ではないのです。
ところで,このことから,自明であるという事柄は,必ずしも精神が理性によって事物を認識するという場合にのみ,そのうちにあることができるというわけではないということが分かります。なぜなら,どんな知性のうちにあっても真の観念は同一であるとするなら,あるひとつの事物ないしは事柄に関して,真理はただひとつであるということになります。したがって,もしも知性がある真理を認識するならば,それは自明であり得るわけです。第二部定理四一は,第三種の認識も必然的に真の認識であることを示しています。よって知性が何かを直観的に認識する場合にも,それは自明であり得るということになるからです。
逃げたのはリアライズリンクス。フルーツサンデーが2番手でマークし,トーセンギネスオーが続きました。その後ろはかなりごちゃごちゃしましたが,向正面に入ってオベロンホワイト,ヴェリイブライト,アメイジアという順に落ち着きました。ミドルペースとハイペースが区分されるくらいのペース。
3コーナーを回って外に出てきたアメイジアが捲るように進出。前にいた3頭も合わせ,4頭が雁行で直線に入りましたが,内の3頭は力尽き,アメイジアが抜け出す形。後方に控えていたイヴアルブとキタサンオーゴンがこれに乗じて並んで追ってきて,3頭はそれほどの差がなく入線。自ら前を掃除したアメイジアがハナ差で粘って優勝。2着は大外のキタサンオーゴン。その内にいたイヴアルブはクビ差で3着。
優勝したアメイジアはクラウンカップからの連勝で南関東重賞2勝目。前半は揉まれる形で苦しそうでしたが,何とか抜け出すことに成功。自分で動いていったために最後は苦しくなりましたが,追撃を凌ぎぎったのはこの馬の強さと考えていいでしょう。ただ,今日の内容ですと,主流街道を歩んでいる上位の馬たちとはまだ差があるのではないかと思えました。父はイーグルカフェ。4代母の半弟に1992年のきさらぎ賞,毎日杯,京都4歳特別を勝ったヒシマサル。Amasiaはアメリカ+アジア。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手はクラウンカップ以来の南関東重賞2勝目。管理している船橋の坂本昇調教師は東京湾カップ初勝利。
自明と真理との間に不可分な関係があるということは,もしもある事柄が異なって認識され得るとすれば,それは自明であるとはみなせないという点に注意するならば,第一部公理六から明らかにすることもできます。なぜなら,もしもその観念の対象ideatumに一致する観念があるなら,観念の対象ideatumがひとつの同一のものである限り,観念もまた同一のひとつのものでなければならないからです。つまりAの真の観念というのは,それがどんな精神のうちに実在するとしても,ひとつの同一の観念です。いい換えればそれは,神の無限知性のうちにあるAの観念と同一であるということです。
真の観念と誤った観念の関係に注目するなら,もしもある観念が真の観念でないとしたら,それは必然的に誤った観念であるということになります。再び第一部公理六に注目するなら,それは観念の対象ideatumに一致しない観念であるということになるでしょう。要するにそれは,一致していないという条件を満たせばいいわけですから,そのあり方はいくらでもあり得ます。したがってAの誤った観念というのは,同一のあり方をする必要はなく,むしろ多くのあり方をすることになるでしょう。よってそれは自明であるための条件を満たせません。したがって,自明な事柄は真の観念とだけ関係し,誤った観念とは関係しないということが出てきます。いい換えれば,ある事柄が自明であると認識されるなら,それは真理なのであって,虚偽ではないのです。
ところで,このことから,自明であるという事柄は,必ずしも精神が理性によって事物を認識するという場合にのみ,そのうちにあることができるというわけではないということが分かります。なぜなら,どんな知性のうちにあっても真の観念は同一であるとするなら,あるひとつの事物ないしは事柄に関して,真理はただひとつであるということになります。したがって,もしも知性がある真理を認識するならば,それは自明であり得るわけです。第二部定理四一は,第三種の認識も必然的に真の認識であることを示しています。よって知性が何かを直観的に認識する場合にも,それは自明であり得るということになるからです。