スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

招待の理由&強制

2014-01-25 19:42:42 | 哲学
 スピノザのユトレヒト訪問は,コンデ公爵から招待を受けることによって実現したものでした。ただ,なぜコンデ公がスピノザをわざわざ招待したのかということについては,若干の疑問が残ります。部下に書かせたスピノザと日本を並列したパンフレットは,プロパガンダにすぎなかったとしても,コンデ公は宗教的には保守派で,スピノザの思想を受容するような人物とは思えないからです。
                         
 『スピノザの生涯と精神』でも,この理由については多く言及されていません。コレルスはただコンデ公がスピノザに会いたかったと記しているだけです。リュカスはスピノザの名声は上流社会でも噂になるほどだったからだといっていますが,具体的な噂の内容についてはまったく示していません。
 スピノザは破門の後は隠遁生活といっていいような暮らしぶりでしたが,有名人であったことは確かです。ライプニッツは1676年にスピノザを訪ねにオランダまで来ています。また,1673年にはスピノザはハイデルベルグ大学の教授職への就任を要請されています。スピノザは一般的には無神論者とみなされていて,このためにライプニッツは後にはスピノザと会見したこと自体を否定するようになるのですが,当時において進歩的であったといえる一部の人びとからは,その思想の内容のゆえに,むしろ注目を集めていたのは事実なのでしょう。
 こういった理由から,コンデ公がスピノザに対してもなにがしかの興味を抱いたということは,確かにあり得ないような話ではないと思えます。コンデ公とスピノザの会見は実現しなかったようですが,ユトレヒトでのスピノザは鄭重にもてなされたようですから,コンデ公や部下であるストッパないしはストゥッペが,純粋な意味で反スピノザ主義的な人物であったと理解するのは,どうも困難であると思われます。

 これらみっつのパターンのうち,第三のパターンの意味では僕は必然とはいい表わしません。これはこのブログでの約束事のひとつであると理解してください。第一部定義七でスピノザは,このパターンの必然を強制と並列させています。なのでこの意味で必然といわなければならない場合には,僕は強制ということばの方を用います。
 これには明確な理由があります。第一部定理二六で神からの必然的な決定といわれるとき,この決定は積極的であるといわれています。このためにこの決定が強制という意味での必然ではあり得ないことをひとつ前の考察で明らかにしました。そしてこれは僕に独自の見解ではなく,「スピノザのマテリアリスム」における桜井直文の主張とも一致します。したがってこれでみるならば,第二のパターンで必然的であるといわれている事柄は,第三のパターンでは必然的ではないということになります。それなのに両方を必然ということは,無用の混乱の契機となりかねません。
                         
 同じようなことを,岩波文庫版の『エチカ』の訳者である畠中尚志も指摘しています。畠中は第一部定義七に訳注を付記しています。それによれば,この定義では自由と必然が対義語となっているけれども,必然が内部の法則に依拠するなら自由と必然は一致するということで,これは僕の理解と同様です。そして畠中によれば,この定義でスピノザが必然を強制といい替えたのは,このような含みがあったからだと指摘しています。そして畠中の指摘にあるように,第一部定理三二の証明の最後で,スピノザ自身が第三のパターンで必然といった後で,また強制といい添えています。
                         
 以上が僕が第三のパターンに関しては必然ということばを用いず,強制ということの理由です。ただし,単に混乱を招きかねないということだけが,その主たる理由であるのかと問われるならば,僕はそれを否定します。確かにこのことは理由のひとつにはなりますが,もっと別の考え方が僕にはあるのです。
コメント
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