実績馬と新星が入り混じった面白いメンバー構成になった第58回船橋記念。
スマイルジャックが出遅れ。抜群のダッシュでリコーシルエットがハナへ。最初の400mが22秒8というハイペースで後ろを離すことになりました。2番手は集団でエンドスターとブリーズフレイバーとエーシンジェイワン。その後ろがナイキマドリードとフォリッド。
直線に入った辺りでリコーシルエットのリードはまだ3馬身ほど。粘り込みを図ったものの一杯となり,大外からエーシンジェイワンが襲い掛かり,さらに2頭の間をナイキマドリード。最後はナイキマドリードが抜け出して優勝。1馬身半差の2着にエーシンジェイワン。4分の3馬身差でリコーシルエットは3着。
優勝したナイキマドリードは昨年の船橋記念以来1年ぶりの勝利。第56回も優勝しているのでこのレースは三連覇。能力上位は疑い得なかったところですが,揉まれるのを嫌うタイプで,1番枠はむしろ不利ではないかと思っていました。抜けてきたのは底力で克服したということでしょう。2着馬はずっと外を回らざるを得ませんでしたから,結果的にはコースロスが少なくなったのも有利でした。上積みは期待しづらいものの,まだ活躍できそうです。
騎乗した船橋の川島正太郎騎手は11月のマイルグランプリ以来の南関東重賞制覇。第56回,57回に続いて船橋記念三連覇の3勝目。管理している船橋の川島正行調教師は第43回,44回,51回,52回,56回,57回と制しているので三連覇となる船橋記念7勝目。
ふたつの意味のうち,弱い意味に関しては,僕はまったく問題にしません。これは公理Axiomaとして成立します。このことは,何を原因causaといい,また何を結果effectusというのかということから明らかです。あるいは,ことばと観念とは異なるという,スピノザの哲学の大原則に忠実にいうなら,知性intellectusが何を原因と認識し,何を結果と認識するcognoscereのかという点から明白です。
あるものが十全に認識されたからといって,ただそれだけで,そのものが結果と認識されたとはいえません。あるものが結果と認識されるためには,そのものが原因によって発生した,その原因とは別のものであるという認識cognitioが必須です。つまりあるものXが結果であると十全に認識されるということのうちには,そのものがXとは異なった原因であるYから生じたという認識が含まれているのでなければなりません。したがってこれを一般的にいうならば,結果は原因によって生じる原因とは別のものであるがゆえに,結果であると認識されるということになります。
このことから帰結するのが,原因と結果は異なったものなので,それらを同一の記号で表現するのは好ましくない,あるいは相応しくないということです。そしてこれはスピノザが第一部定理一七備考において,仮に神Deusの本性essentiaに意志voluntasが属するのだとしたら,それは人間の意志の原因でなければならないから,人間の意志とは異なったものでなければならないと主張している内容と合致します。ですから僕がこれを導き出した過程についても,スピノザの考え方に則っているということになるでしょう。
これによって,結果が生じるためには原因が存在しなければならないということ,つまり何の原因も存在しない場合には何の結果も生じ得ないということは十分に明らかだといえます。したがって弱い意味に関しては,とくに何らかの証明Demonstratioを経ずとも,それ自体で公理的性格を有し得ると僕は理解するのです。
なお,このことはおそらく第一部公理四が公理的性格を有しているということについても十全に説明していると思います。しかしこれは現在のテーマとは無関係ですから,これ以上の説明は控えます。
スマイルジャックが出遅れ。抜群のダッシュでリコーシルエットがハナへ。最初の400mが22秒8というハイペースで後ろを離すことになりました。2番手は集団でエンドスターとブリーズフレイバーとエーシンジェイワン。その後ろがナイキマドリードとフォリッド。
直線に入った辺りでリコーシルエットのリードはまだ3馬身ほど。粘り込みを図ったものの一杯となり,大外からエーシンジェイワンが襲い掛かり,さらに2頭の間をナイキマドリード。最後はナイキマドリードが抜け出して優勝。1馬身半差の2着にエーシンジェイワン。4分の3馬身差でリコーシルエットは3着。
優勝したナイキマドリードは昨年の船橋記念以来1年ぶりの勝利。第56回も優勝しているのでこのレースは三連覇。能力上位は疑い得なかったところですが,揉まれるのを嫌うタイプで,1番枠はむしろ不利ではないかと思っていました。抜けてきたのは底力で克服したということでしょう。2着馬はずっと外を回らざるを得ませんでしたから,結果的にはコースロスが少なくなったのも有利でした。上積みは期待しづらいものの,まだ活躍できそうです。
騎乗した船橋の川島正太郎騎手は11月のマイルグランプリ以来の南関東重賞制覇。第56回,57回に続いて船橋記念三連覇の3勝目。管理している船橋の川島正行調教師は第43回,44回,51回,52回,56回,57回と制しているので三連覇となる船橋記念7勝目。
ふたつの意味のうち,弱い意味に関しては,僕はまったく問題にしません。これは公理Axiomaとして成立します。このことは,何を原因causaといい,また何を結果effectusというのかということから明らかです。あるいは,ことばと観念とは異なるという,スピノザの哲学の大原則に忠実にいうなら,知性intellectusが何を原因と認識し,何を結果と認識するcognoscereのかという点から明白です。
あるものが十全に認識されたからといって,ただそれだけで,そのものが結果と認識されたとはいえません。あるものが結果と認識されるためには,そのものが原因によって発生した,その原因とは別のものであるという認識cognitioが必須です。つまりあるものXが結果であると十全に認識されるということのうちには,そのものがXとは異なった原因であるYから生じたという認識が含まれているのでなければなりません。したがってこれを一般的にいうならば,結果は原因によって生じる原因とは別のものであるがゆえに,結果であると認識されるということになります。
このことから帰結するのが,原因と結果は異なったものなので,それらを同一の記号で表現するのは好ましくない,あるいは相応しくないということです。そしてこれはスピノザが第一部定理一七備考において,仮に神Deusの本性essentiaに意志voluntasが属するのだとしたら,それは人間の意志の原因でなければならないから,人間の意志とは異なったものでなければならないと主張している内容と合致します。ですから僕がこれを導き出した過程についても,スピノザの考え方に則っているということになるでしょう。
これによって,結果が生じるためには原因が存在しなければならないということ,つまり何の原因も存在しない場合には何の結果も生じ得ないということは十分に明らかだといえます。したがって弱い意味に関しては,とくに何らかの証明Demonstratioを経ずとも,それ自体で公理的性格を有し得ると僕は理解するのです。
なお,このことはおそらく第一部公理四が公理的性格を有しているということについても十全に説明していると思います。しかしこれは現在のテーマとは無関係ですから,これ以上の説明は控えます。