12月29日に立川競輪場で行われたヤンググランプリ2013。きちんとしたラインは小松崎―阿部の北日本と竹内ー猪俣の中部のふたつ。郡司と和田の神奈川,三谷,古性,藤井の近畿は組まずに単騎戦。
隊列にどれほどの意味があるのか分かりませんが,前受けは三谷。和田,郡司と単騎勢が前を占め,4番手に竹内。猪俣の後ろが小松崎で,阿部の直後は古性。最後尾が藤井で周回。最初に動いたのは藤井で,これに続いたのが小松崎。そしてそれに合わせるように動き出したのが竹内。打鐘前に先頭に立ったのは藤井。これを竹内が叩き,3番手は内に藤井,中に三谷,外に小松崎で併走。このまま竹内が抑え先行に。藤井は遅れ,小松崎に競り勝った三谷が3番手を確保。後方で様子を窺っていた郡司が古性を連れるように捲っていくも,バックで一杯。コーナーでは内を和田が進出。直線に入ると猪俣が踏み込み,インを掬った和田と優勝争いに。制したのは猪俣。4分の1車輪差で和田が2着。猪俣マークから外を踏んだ三谷が4分の3車身差で3着。
優勝した愛知の猪俣康一選手はグレードレース初優勝。FⅠの予選や記念の一次予選は本命というレベルの選手で,この中では力量は上位と思われ,優勝候補のひとりと考えていました。きちんとしたラインができたことは有利に働いたといえるでしょう。競技から転向してきた選手で,99期とはいえすでに37歳。年齢的にはヤングとはいえませんから,今年から2~3年は競輪選手として大きな勝負の年になるでしょう。
納棺は予定通りに午後4時から。ここでようやくN伯父と面会することができましたが,安らかな顔をしていたので少し安心できました。納棺というのは文字通りに遺体を棺に納める儀式ですが,その前段階の準備があり,それも見学させてもらえました。これは爪を切ったり髪を整えたりする作業のことです。K伯母のときにも僕は納棺の儀に出席しましたが,そのときはこれらの作業はすでに終了していましたので,これを見るのは初体験でした。
その後で衣服を整えたりするための作業があり,出席者は一旦は別室で待機。それらが終了したところで再び呼ばれまして,最後の旅支度をお手伝い。こちらはK伯母のときになされた作業と同一でした。最後にN伯父を棺に納め,すべての儀式が終了するまでおよそ1時間ほど。つまり午後5時頃に終ったことになります。この後は午後6時から通夜でしたが,納棺の後で従兄に呼ばれまして,受付をするように依頼されました。なので僕は午後5時半頃にはセレモニーホールの入口すぐのところのカウンターに入り,基本的に終了までそこにいましたので,通夜には参加せず,合間に焼香をしただけでした。
通夜の受付は初めての経験でした。ただ,従兄の要望で,頂いた香典は開けないとのことでしたから,会計をする必要がありませんでしたので,難しいところは何もありませんでした。担当したのは僕だけではなく,ほかにふたり。ひとりは父の長兄の娘で僕のひとつ上の従姉。もうひとりが父の次兄の長男で僕の四つ下の従弟。この従弟には姉がいて,彼女は僕のひとつ下の従妹になります。わりと年齢が近いということもあり,この4人は子どもの頃に親戚が集まる機会があると,よく遊んだ仲でした。いろいろと思い出はありますが,いわゆる江夏の21球というのは,この4人で僕の家のテレビで視ていた覚えがあります。それぞれが年齢を重ねるにしたがって会う機会も減り,当然ながらゆっくりと話すということも最近ではほとんどありませんでした。こうした出来事の最中とはいえ,このときは久々にいろいろと話ができました。N伯父が最後に僕たちに贈ってくれたプレゼントであったかもしれません。
隊列にどれほどの意味があるのか分かりませんが,前受けは三谷。和田,郡司と単騎勢が前を占め,4番手に竹内。猪俣の後ろが小松崎で,阿部の直後は古性。最後尾が藤井で周回。最初に動いたのは藤井で,これに続いたのが小松崎。そしてそれに合わせるように動き出したのが竹内。打鐘前に先頭に立ったのは藤井。これを竹内が叩き,3番手は内に藤井,中に三谷,外に小松崎で併走。このまま竹内が抑え先行に。藤井は遅れ,小松崎に競り勝った三谷が3番手を確保。後方で様子を窺っていた郡司が古性を連れるように捲っていくも,バックで一杯。コーナーでは内を和田が進出。直線に入ると猪俣が踏み込み,インを掬った和田と優勝争いに。制したのは猪俣。4分の1車輪差で和田が2着。猪俣マークから外を踏んだ三谷が4分の3車身差で3着。
優勝した愛知の猪俣康一選手はグレードレース初優勝。FⅠの予選や記念の一次予選は本命というレベルの選手で,この中では力量は上位と思われ,優勝候補のひとりと考えていました。きちんとしたラインができたことは有利に働いたといえるでしょう。競技から転向してきた選手で,99期とはいえすでに37歳。年齢的にはヤングとはいえませんから,今年から2~3年は競輪選手として大きな勝負の年になるでしょう。
納棺は予定通りに午後4時から。ここでようやくN伯父と面会することができましたが,安らかな顔をしていたので少し安心できました。納棺というのは文字通りに遺体を棺に納める儀式ですが,その前段階の準備があり,それも見学させてもらえました。これは爪を切ったり髪を整えたりする作業のことです。K伯母のときにも僕は納棺の儀に出席しましたが,そのときはこれらの作業はすでに終了していましたので,これを見るのは初体験でした。
その後で衣服を整えたりするための作業があり,出席者は一旦は別室で待機。それらが終了したところで再び呼ばれまして,最後の旅支度をお手伝い。こちらはK伯母のときになされた作業と同一でした。最後にN伯父を棺に納め,すべての儀式が終了するまでおよそ1時間ほど。つまり午後5時頃に終ったことになります。この後は午後6時から通夜でしたが,納棺の後で従兄に呼ばれまして,受付をするように依頼されました。なので僕は午後5時半頃にはセレモニーホールの入口すぐのところのカウンターに入り,基本的に終了までそこにいましたので,通夜には参加せず,合間に焼香をしただけでした。
通夜の受付は初めての経験でした。ただ,従兄の要望で,頂いた香典は開けないとのことでしたから,会計をする必要がありませんでしたので,難しいところは何もありませんでした。担当したのは僕だけではなく,ほかにふたり。ひとりは父の長兄の娘で僕のひとつ上の従姉。もうひとりが父の次兄の長男で僕の四つ下の従弟。この従弟には姉がいて,彼女は僕のひとつ下の従妹になります。わりと年齢が近いということもあり,この4人は子どもの頃に親戚が集まる機会があると,よく遊んだ仲でした。いろいろと思い出はありますが,いわゆる江夏の21球というのは,この4人で僕の家のテレビで視ていた覚えがあります。それぞれが年齢を重ねるにしたがって会う機会も減り,当然ながらゆっくりと話すということも最近ではほとんどありませんでした。こうした出来事の最中とはいえ,このときは久々にいろいろと話ができました。N伯父が最後に僕たちに贈ってくれたプレゼントであったかもしれません。