スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

アンチクリスト&第一部公理三

2014-01-05 20:07:39 | 哲学
 ニーチェの反キリストは文字通りに反キリスト,いい換えれば反救世主なのであり,反イエスであるとはいえないというのが僕の理解です。そのうちニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheが最も反キリストという立場を鮮明にしているのは,やはり『アンチクリストDer Antichrist』であるということになるでしょう。
                         
 この本は短い序言と62の断章から構成されています。各々の断章は単独に存在しているともいえますし,続いているとも理解できるようになっています。
 ごく簡単にニーチェの考え方をまとめてしまえば,ニーチェが人間にとって悪しきことと理解するのは,ニーチェの用語でいうところのルサンチマンressentiment。それはつまり,人間の弱さとニーチェが理解する事柄から由来するもののことです。そしてこの弱さというのを情念として具体的に措定するなら,嫉妬とか復讐心vindictaということになると思います。
 要するにニーチェの理解では,キリスト教という宗教religioは,そうした妬みinvidiaとか復讐に由来するような宗教なのです。ニーチェの哲学は,知の考古学ないしは系譜学と一体化したものであるとみなさなければならないと僕は考えますが,ニーチェのキリスト教に関するこの部分の理解には,ニーチェのそうした部分が色濃く反映されているといえるように思います。
 そしてこの本の末尾に近い辺りで,ニーチェはキリスト教と同じように人間の弱さから由来するような思想として,アナーキズムをあげています。そしてこのふたつの思想の共通項として,嘘をついているということ,しかも単に嘘をついているだけではなく,同じ目的のために嘘をついていることをニーチェは挙げています。その同じ目的とは,破壊です。詳しく紹介はしませんが,このことは歴史の中から簡単に証明できるとニーチェは主張しています。
 ニーチェの思想のすべてがこの本によって理解できるわけではありません。ただ,ニーチェの多くの書物の中では読みやすいもので,ニーチェの思想の一端を理解するのには,かなり役立つのではないでしょうか。

 今日からは第一部公理三について考えていくことにします。
 「与えられた一定の原因から必然的にある結果が生ずる。これに反してなんら一定の原因が与えられなければ結果の生ずることは不可能である」。
 第一部公理三について考察するのは今回が2度目です。前回の考察内容に関しては,今回の考察にとっても必要ですので,後に詳しく振り返ります。最初にいっておきたいのは,そのときの結論についてです。
 前回の考察では,ふたつの結論を得ています。ひとつは,第一部公理三は,公理Axiomaとしては不成立であるということです。スピノザは公理を共通概念notiones communesと等置することがありますので,それでいえば,第三部公理三の内容は,共通概念としては知性intellectusに把握され得ないということになります。いい換えればその内容は,第二部定理三八および第二部定理三九の様式では知性のうちには生じ得ないということになるでしょう。
 もうひとつの結論は,たとえ第一部公理三が公理としては成立していないとしても,それはその内容が誤謬errorであるあるいは虚偽falsitasであるということではないということです。とくにスピノザの哲学,とりわけ『エチカ』というひとつの公理系のうちでは,ここでいわれている内容に関しては,十全に保持されます。つまりそれは真理veritasです。
                         
 これらふたつの結論に関していうなら,僕は現在は若干の異なった見方もできるのではないかと思っています。しかしそれはあくまでも若干の相違なのであって,この問題に関する本質的な部分を巡るような相違ではありません。とくに第一部公理三の内容が真理であるという点については,一貫して同じ考え方をもち続けています。したがって,今回の考察は,前回の考察を否定するような内容にはなりません。いい換えれば今回の考察の主題というのは,前回の考察の主題とは異なった部分に属するということになります。再度の考察の開始にあたり,まずこの点を理解しておいてください。
コメント
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