スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑥-8&成立条件

2014-01-23 19:24:21 | ポカと妙手etc
 ⑥-7の第2図から先手はノータイムで▲6三銀不成と指しました。
                         
 指し手は▲6三銀成か▲6三銀不成の二者択一。7の▲5四銀のときの想定局面で,そのときの予定は▲6三銀成だったとのこと。この後,△6七銀不成▲同金△5九角成▲4三歩成と進むのですが,このときに△同金直と取られた場合,銀は不成の方がよいと読み,直前で気が変わっての着手でした。後手も成るより利いていると感じていたそうです。
 実戦は△同金左と取って▲5五飛。
                         
 後手の自戦記には,これは先手がかねてから狙いにしていた一手であり,実に受けにくい一手だと記されています。しかし,実は第2図は後手の勝ちの局面。第1図の▲6三銀不成が敗着でした。

 第四段階を最終段階に設定する積極的理由が明らかにしていることは,強い意味が真理として認められるためには,自己原因が実在しなければならないということです。このとき,すべての因果的必然性を同一の意味に統一し得るP自身が自己原因であるなら,それで十分です。しかしもしもPが自己原因でないのなら,Rという自己原因が実在するとして,このRはPが必然的に存在することと関連しなければなりません。Pが必然的に存在しなければならないということは強い意味の真理性にとっての必要条件ですから,単にRが存在するというだけでは不十分で,RはPの必然的存在を,何らかの仕方で下支えしなければなりません。
 ここまで方法論的懐疑を継続してきたことにより,強い意味が公理的性格を有するかどうかは別に,少なくともそれが真理であるための必要条件が完全に明らかになりました。なお,このためには自然のうちにひとつあるいはいくつかの因果的関係が実在することが必要ですが,ここでもこのことは無視します。というのはこのことは,後の条件によって解答されるであろうからです。
 第一に,いくつかの原因および結果について,それを一般化することについては問題がないとしても,原因と結果の間にある必然性については,単純にそれを一般化することは許せません。これを許容するためには,各々の因果関係のうちに共通の要素を措定する何らかの存在,これまでPと表記してきたものの存在が必須です。
 第二に,この場合のPの存在が必然的であるとみなされなければなりません。
 第三に,第二の条件を充足させるためには,その存在がそれ自身のうちにあるもの,すなわち自己原因が存在するのでなければなりません。そしてこのとき,P自身が自己原因であるか,そうでなければPの存在の必然性を決定することが可能なP以外の何らかのもの,たとえばRが自己原因であるかの,どちらかでなければならないのです。
 このことから分かるように,実は強い意味の背後,とくにその真理性の背後には,各々の必然性を一般的に統一するような,自己原因である何らかのものの存在が仮定されているということになるのです。                      
コメント
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