スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

JRA賞&価値判断

2017-01-13 19:27:43 | 中央競馬
 昨年度のJRA賞は10日に発表されました。
 年度代表馬は天皇賞(春)ジャパンカップを勝ったキタサンブラック。ほかに京都大賞典を優勝。僕には正直なところ意外でした。国内に専念してGⅠ2勝のこの馬より,海外遠征も含めてGⅠを3勝したモーリスの方が上と考えるからです。ただし,この馬の成績は例年であれば受賞に十分に値するでしょう。部門別では最優秀4歳以上牡馬。もちろんその部門でもモーリスの方が上というのが僕の考えではあります。
 最優秀2歳牡馬は朝日杯フューチュリティステークスを勝ったサトノアレスで最優秀2歳牝馬は阪神ジュベナイルフィリーズを勝ったソウルスターリング。この2頭に関してはとくにいうべきことはありません。
 最優秀3歳牡馬は菊花賞有馬記念を勝ったサトノダイヤモンド。ほかにきさらぎ賞と神戸新聞杯を優勝。レベルの高い路線でしたが,最後に有馬記念で古馬を撃破したのは大きな決め手。この馬の受賞が当然と思います。そしてキタサンブラックとの比較から,年度代表馬でもおかしくなかったことになると思います。
 最優秀3歳牝馬はオークスを勝ったシンハライト。ほかにチューリップ賞とローズステークスを優勝。GⅠを勝った3歳牝馬の中ではこの馬の成績が最も優秀。ですからこれも当然の受賞だと思います。残念ながら故障ですでに引退しています。
 最優秀4歳以上牝馬は宝塚記念を勝ったマリアライト。6戦してこの1勝だけなのですが,そのときに負かした相手のレベルが非常に高く,それが評価の対象になったものと思います。難しい選択だと思いますが,僕は妥当な選出と思います。
 最優秀短距離馬はマイルチャンピオンシップを勝ったミッキーアイル。ほかに阪急杯を優勝。スプリントGⅠも2戦とも2着でしたから,実績的に順当な受賞といえるのではないでしょうか。
                              
 最優秀ダートホースはチャンピオンズカップを勝ったサウンドトゥルー。この馬も7戦してこの1勝だけでした。ただ,JRA賞はJRAでのレースが選考の対象となるべきであり,GⅠを勝った2頭のうちどちらかを選ぶということになれば,こちらになって当然だと考えます。
 最優秀障害馬は中山グランドジャンプ中山大障害を勝ったオジュウチョウサン。東京ジャンプステークスと東京ハイジャンプにも優勝。これは満票でないとおかしいです。
 今年は特別賞があり,チャンピオンズマイル天皇賞(秋)香港カップを勝ったモーリスが選出されました。昨年は大レースを3勝したのはこの馬とコパノリッキーだけ。それで特別賞はやはり不自然な気がします。2015年の年度代表馬・最優秀短距離馬。連続受賞となりました。間もなく競走馬登録が抹消され,種牡馬入りするものと思われます。

 『スピノザの生涯Spinoza:Leben und Lehre』のように,およそ250年前の人物の伝記を書くにあたって,その中に伝記作家による価値判断が含まれることは,伝記という文学が有している性質からして,むしろ自然なことであると僕は思います。いい換えればそのこと自体は,伝記の対象がスピノザであるかどうかに関係なく,含まれてしかるべきだろうと思うのです。なぜなら,250年もの年月が経過すれば,人びとないしは時代の背後を構成する全体的な価値観自体に変化が生じる筈なのであって,250年前の出来事あるいは思想というものを,250年後の観点から再評価するという観点は必要であると僕は思うからです。これは現代においてスピノザの哲学を考察するという場合にもむしろ要請されるのだと僕は考えています。つまり現代に特有の出来事,スピノザの時代には生じることがあり得なかっただろうと思われるような出来事に対して,スピノザの哲学をどのように活用することができるかを探求するということは,現代においてスピノザの哲学を生かすということなのであって,それは逆にスピノザからみれば,スピノザの哲学が現代においても生きているということの証となるであろうからです。
 したがって,フロイデンタールJacob Freudenthalが伝記の中に価値観を組み込み,それによって評価しようとすること自体は僕は少しも否定しません。ところが『スピノザの生涯』の中には,フロイデンタールが生きていた1900年時点での価値観が含まれているというだけでなく,おおよそフロイデンタールという人自身が抱いている個人的な価値観といったものも滲み出ていて,その個人的な価値観によってフロイデンタールがスピノザを評価しているという部分が含まれていると僕には思えます。そういう評価をすることはフロイデンタールの勝手ですから僕はその行為自体に何かものをいうつもりはありません。しかしフロイデンタールの個人的な価値観が一面的であるために,かえってスピノザの哲学の特異性,あるいは優秀性といったものを殺してしまっているというように僕には感じられる部分がありました。僕はそうした点についてはフロイデンタールに対して反論しようと思います。
コメント
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