スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

金亀杯争覇戦&手法の相違

2017-01-22 19:27:38 | 競輪
 被災地支援競輪として開催された松山記念の決勝。並びは根本-山崎の北日本,近藤-渡辺の南関東,松浦-岩津の中国,太田-原田-浜田の四国。
 渡辺がスタートを取って近藤の前受け。3番手に太田,6番手に根本,8番手に松浦で周回。残り3周の3コーナーを回ると根本から上昇開始。松浦はこのラインに続きました。ホームを通過してから根本が近藤を叩いて,バックに入るところでは先頭。引いて外に出した太田がここから発進。しかし根本もこれに合わせて発進して打鐘。ここからバックまで先行争いが続きましたが,ついに根本が太田を出させませんでした。太田がいけないとみた原田がバックから自力で発進。根本の後ろから山崎も発進しようとしましたが,原田とのスピードが違いすぎ,浜田の後ろに入るのがやっと。捲りを決めた原田の優勝。直線ではむしろ離されましたがマークの浜田が2車身差の2着に続いて四国のワンツー。後方からの捲り追い込みになった近藤が半車輪差で3着。
 優勝した徳島の原田研太朗選手は前回出走の広島記念に続く連続優勝で記念競輪3勝目。昨年に続き新年初出走の記念競輪を優勝。松山記念は初優勝。現状はこのメンバーでは脚力最上位。さらに太田という目標も得ましたので,優勝候補の筆頭と目していました。根本が抵抗したので太田は先行できませんでしたが,不発というわけではなくいいところまで引っ張ることには成功。あれくらいのスピードに乗ってあの位置からの捲りではほかの選手が抵抗できなかったのも無理はありません。今年も記念競輪優勝で幕を開けましたから,いよいよビッグでの決勝進出も期待されるところではないでしょうか。

 もうひとつの補足は第三部諸感情の定義六の意味とだけ関連するのではありません。むしろそれを含むスピノザの哲学全体と関連します。それは,スピノザが独身であったことと,スピノザの哲学の関連の考察です。しかしそれに関する僕の見解を説明する前に,その見解の前提となっているかもしれない事柄について別に説明する必要を僕は感じます。いうなれば補足のための補足ということになりますが,重要な観点かもしれませんので注意しておいてほしいのです。
                                     
 フロイデンタールJacob Freudenthalは原則的に,スピノザが独身であったために第三部諸感情の定義六のように愛amorを定義したと解しています。これはつまり,スピノザの生活を前提として哲学的見解について考察するという手法であるといえます。しかし僕はスピノザの哲学を探求するに際して,そのような手法は採用しません。むしろスピノザの哲学的見解を軸として,スピノザの生活を帰結させるという,フロイデンタールとは逆の手法を採用します。したがってこの場合でいえば,僕は,スピノザが独身であったということが,愛の定義Definitioおよびその意味をはじめとするスピノザの哲学的見解から帰結し得るのかどうかを考察することになります。なお,フロイデンタールの手法について一律にそのように規定できるかどうかは僕には分かりません。しかし少なくとも僕は,必ずそれと逆の手法を採用します。つまり僕の手法についていうなら,これはスピノザが結婚しなかったことについて探求する場合にのみ採用される手法というわけではなく,一般にスピノザの生活を考察する場合に採用する手法であると解してください。
 実はこの手法の相違が,最終的な見解の相違と関係するかもしれないと僕は思っているのです。なのでそのことを,補足についての見解を表明する前に注意しておいてほしいのです。
 フロイデンタールは,スピノザが「シナゴーグ離脱の弁明書」を書いた動機は,シナゴーグから破門されることを避けるためであったと解しています。この見解は『破門の哲学』に示されている清水の見解に一致します。僕がそれと違った見解であることはすでに多く語りましたから,ここでは省略します。
コメント
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