12月30日に立川競輪場で争われたKEIRINグランプリ2016。並びは新田‐渡辺の福島,平原‐武田の関東,稲垣‐村上の京都に岩津で浅井と中川は単騎。
スタートの取り合いという意外な発走。取ることに成功したのは村上で稲垣の前受けに。4番手に浅井,5番手に平原,7番手に中川,8番手に新田という周回。新田が残り3周のバックの入口からという早い動き。そのまま誘導を抜いて先頭に立ってしまいました。今度は平原が動き,新田の前に出ると稲垣も呼応。残り2周のホームでは平原を叩いて前に。浅井もこれに続いたので4番手。5番手に平原,7番手に新田,最後尾に中川という一列棒状に。打鐘を迎えても動く選手はなく,残り1周のホーム前から稲垣が本格的にスピードを上げました。バックに入ってから平原が仕掛けると稲垣との車間を開けていた村上が番手捲りで対抗。この力勝負に勝った村上が優勝。力尽きた平原の番手から武田が伸びて4分の1車輪差の2着。4番手から自力で外を伸びた浅井が半車身差の3着。

優勝した京都の村上義弘選手は4月の高知記念以来の優勝。ビッグは3月の日本選手権以来の13勝目。グランプリは2012年以来4年ぶりの2勝目。立川では2013年に日本選手権を勝っていて,昨年,というのはグランプリ当日からみるので2015年のことですが,記念競輪の優勝もあります。平原や新田は好んで先行するタイプではないので,稲垣の先行になることが濃厚。浅井や中川も自力で勝負するタイプなので,ことによるとこのようなあっさりとしたレース展開になる可能性もあるかとは思っていました。稲垣にあれくらいの位置から先行されて,さらに村上の番手捲りの上を行くというのはかなり困難なのではないでしょうか。稲垣を最大限に生かせた村上の利が大きかったというレースであったと思います。
書簡五十六に関係する一連の論考はここまでとします。このことおよび破門された当時のスピノザの心境について考察する契機となった『破門の哲学』の再読を終えたのは昨年の3月17日のことでした。以降の日記に戻ります。
3月19日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。
3月24日,木曜日。母とふたりで日野公園墓地へ父の墓参りに行きました。これは彼岸の墓参です。この日は朝のうち雨が降り,その後で雨があがって曇りという天候でした。この天候の関係で,いつもより遅く,正午を回ってから家を出ました。普段は先に墓参りを済ませてから昼食を摂って帰宅するのですが,この日は食事を先にして,その後で墓地に向いました。帰宅したのは午後2時45分頃です。僕は所用がありましたので,その後で本牧に出掛けました。
3月26日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後5時半から。
3月27日,日曜日。この日もガイドヘルパーを利用しました。先週がカラオケでしたからこの日はボーリングです。
4月1日,金曜日。北側の家の解体工事の後,更地になっていた土地で新築工事が開始されるという報知がありました。3階建ての住宅を2軒並べて建築するという内容でした。現時点ではもちろんこの住宅は完成しています。そのうちの一軒,これは南北に横並びになっていますが,北側の一軒にはすでに入居者もいます。僕はこの日は港南台に行っていましたが,午後4時には帰宅しています。
4月3日,日曜日。妹のピアノのレッスン。この日は前夜のうちに先生からの電話が入り,午後2時からになっています。
4月4日,月曜日。妹がショートステイに。南区の施設を利用しての1泊2日でした。僕はこの日は長者町で,午後4時45分頃に帰りました。その後で,日常的に使用している眼鏡の鼻あての部分が折れてしまいました。2011年に眼鏡の破壊という出来事があり,新しい眼鏡を作りました。そのとき,壊れた方も修理しましたので,さしあたってそちらの度がいくらか薄い予備の眼鏡の方を少しの間だけ用いることになりました。
スタートの取り合いという意外な発走。取ることに成功したのは村上で稲垣の前受けに。4番手に浅井,5番手に平原,7番手に中川,8番手に新田という周回。新田が残り3周のバックの入口からという早い動き。そのまま誘導を抜いて先頭に立ってしまいました。今度は平原が動き,新田の前に出ると稲垣も呼応。残り2周のホームでは平原を叩いて前に。浅井もこれに続いたので4番手。5番手に平原,7番手に新田,最後尾に中川という一列棒状に。打鐘を迎えても動く選手はなく,残り1周のホーム前から稲垣が本格的にスピードを上げました。バックに入ってから平原が仕掛けると稲垣との車間を開けていた村上が番手捲りで対抗。この力勝負に勝った村上が優勝。力尽きた平原の番手から武田が伸びて4分の1車輪差の2着。4番手から自力で外を伸びた浅井が半車身差の3着。

優勝した京都の村上義弘選手は4月の高知記念以来の優勝。ビッグは3月の日本選手権以来の13勝目。グランプリは2012年以来4年ぶりの2勝目。立川では2013年に日本選手権を勝っていて,昨年,というのはグランプリ当日からみるので2015年のことですが,記念競輪の優勝もあります。平原や新田は好んで先行するタイプではないので,稲垣の先行になることが濃厚。浅井や中川も自力で勝負するタイプなので,ことによるとこのようなあっさりとしたレース展開になる可能性もあるかとは思っていました。稲垣にあれくらいの位置から先行されて,さらに村上の番手捲りの上を行くというのはかなり困難なのではないでしょうか。稲垣を最大限に生かせた村上の利が大きかったというレースであったと思います。
書簡五十六に関係する一連の論考はここまでとします。このことおよび破門された当時のスピノザの心境について考察する契機となった『破門の哲学』の再読を終えたのは昨年の3月17日のことでした。以降の日記に戻ります。
3月19日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。
3月24日,木曜日。母とふたりで日野公園墓地へ父の墓参りに行きました。これは彼岸の墓参です。この日は朝のうち雨が降り,その後で雨があがって曇りという天候でした。この天候の関係で,いつもより遅く,正午を回ってから家を出ました。普段は先に墓参りを済ませてから昼食を摂って帰宅するのですが,この日は食事を先にして,その後で墓地に向いました。帰宅したのは午後2時45分頃です。僕は所用がありましたので,その後で本牧に出掛けました。
3月26日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後5時半から。
3月27日,日曜日。この日もガイドヘルパーを利用しました。先週がカラオケでしたからこの日はボーリングです。
4月1日,金曜日。北側の家の解体工事の後,更地になっていた土地で新築工事が開始されるという報知がありました。3階建ての住宅を2軒並べて建築するという内容でした。現時点ではもちろんこの住宅は完成しています。そのうちの一軒,これは南北に横並びになっていますが,北側の一軒にはすでに入居者もいます。僕はこの日は港南台に行っていましたが,午後4時には帰宅しています。
4月3日,日曜日。妹のピアノのレッスン。この日は前夜のうちに先生からの電話が入り,午後2時からになっています。
4月4日,月曜日。妹がショートステイに。南区の施設を利用しての1泊2日でした。僕はこの日は長者町で,午後4時45分頃に帰りました。その後で,日常的に使用している眼鏡の鼻あての部分が折れてしまいました。2011年に眼鏡の破壊という出来事があり,新しい眼鏡を作りました。そのとき,壊れた方も修理しましたので,さしあたってそちらの度がいくらか薄い予備の眼鏡の方を少しの間だけ用いることになりました。