昨年のNARグランプリの表彰馬は11日に発表されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/7e/2c7baf0fc8a69846beb1db5d6a4a21c4.jpg)
年度代表馬はフジノウェーブ記念とさきたま杯を勝った大井のソルテ。昨年も地方所属馬は大レースを勝つことができませんでした。その中でこの馬が最も近いところまでいき,重賞も勝ったので順当な選出といえるでしょう。秋シーズンは春シーズンほど走れなかった印象で,やや心配な面は残りますが,かしわ記念を目標に今年も頑張ってほしいところです。部門別では4歳以上最優秀牡馬と最優秀短距離馬を受賞。
2歳最優秀牡馬は兵庫ジュニアグランプリを勝った北海道のローズジュレップ。これは唯一の重賞勝ち馬ですから当然の受賞。すでに浦和に転厩していますので,今年は南関東クラシックを目指すことになりそうです。
2歳最優秀牝馬はフルールカップと東京2歳優駿牝馬を勝った愛知のピンクドッグウッド。この路線は重賞勝ち馬が不在。それなら地方競馬の最強馬決定戦といえる東京2歳優駿牝馬を制したこの馬になるところでしょう。北海道から愛知に転厩した馬ですが,この馬も船橋に転入してクラシック路線を戦うようです。
3歳最優秀牡馬はスプリングカップ,新春ペガサスカップ,新緑賞,駿蹄賞,東海ダービー,秋の鞍,東海菊花賞と愛知と笠松の重賞を7勝した愛知のカツゲキキトキト。勝ったのが地元戦ばかりなので難しいところですが,古馬相手の重賞で大きく離されはしたものの3着に入ったことも評価の対象になったようです。このレースは先着した2頭が強く,負かした馬の中には重賞の勝ち馬もいますので,メンバー次第で重賞勝ちまで望める馬とは思います。今年もすでに名古屋記念を勝ちました。
3歳最優秀牝馬は黒潮盃とロジータ記念を勝った船橋のミスミランダー。重賞でも2着があり,地元の利はあったものの黒潮盃はカツゲキキトキトを2着に降してのものですから,ここは順当な受賞。ただリンダリンダやモダンウーマンに対してはっきりと力量上位とまではいえないようにも思えます。
4歳以上最優秀牝馬は金沢の読売レディス杯と名古屋の秋桜賞を勝った兵庫のトーコーヴィーナス。たぶんこの部門が最も難しい選択だったと思いますが,やはり重賞で2着になったのが大きな決め手となりました。地元戦でもなかなか勝ちきれない一面があるのに遠征しても大きく崩れないという,やや不思議な馬という印象を抱いています。
最優秀ターフ馬は札幌2歳ステークスを逃げ切った川崎のトラスト。唯一の重賞勝ち馬で選出するならこの馬しかないところ。勝った後,JRAに移籍しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/ec/43bb24de4f02cfbb535addb52a0ff89d.jpg)
ダートグレード競走特別賞馬はかしわ記念,帝王賞,南部杯と大レースを3連勝したコパノリッキー。昨年は日本競馬全体で大レースを3勝した馬が2頭で,そのうちの1頭,しかもいずれも地方競馬場でのレースですから当然の受賞でしょう。
特別表彰馬はメイセイオペラと1989年からJRAに移籍し,その年の年度代表馬に選出されたイナリワンの2頭。どちらも地方競馬史に残る名馬です。
ばんえい最優秀馬についてはこのブログでは割愛します。
何が独善的な定義Definitioであって何が独善的な定義ではないのかということは,結局のところその定義を判断する人がどういう立場で判断を下しているかということに左右されます。ですからスピノザによる愛amorの定義が独善的であるか否かということは,問う必要がありませんし,問うたところで正しい解答を得られるというものでもありません。なので独善的であるなら独善的であっても構わないのですが,そのような評価を下すことによって,そこに含まれている哲学的意義を見落とすようなことは避けなければならないでしょう。
前もっていっておいたように,スピノザによる愛の定義の大きな特徴は,外部の原因の観念を伴った喜びLaetitia, concomitante idea causae externaeとだけいわれ,その原因の観念の対象ideatumが何であるのかということは問われていない点にあります。すなわちスピノザは,人がある外部の,すなわち自分ではない何らかの観念を有したときに,その観念を有したということが起成原因causa efficiensとなって自分自身に喜びが生じる場合には,観念されたものが何であれ,僕たちはそのものを愛しているのだといっているのです。フロイデンタールJacob Freudenthalが愛の対象を妻や子どもに限定しているかどうかは微妙だといわなければなりませんが,少なくともスピノザにとってはそうではありません。あらゆる人間が愛する対象となり得ますし,人間に限らず,どんなものでも愛する対象となり得るのです。それはたとえばペットであってもいいですし,おいしい食べ物であってもいいのです。あるいは二次元の世界で描かれるようなものであってもいいのです。とにかく何であれ,その観念が原因となって喜びが齎されるのであれば,それはすべてその観念されたものに対する愛であって,観念されたものがどんなものであるのかということによっては,それが愛であったり愛でなかったりはしないのです。いい換えれば愛の対象については,愛という感情の価値的な相違を決定することはないのです。
この定義は,愛するということの方を重くみた定義であると僕には思えます。とくにフロイデンタールの主張と比較するとよく分かります。フロイデンタールの定義は,愛されることの方を重視しているといえるからです。
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年度代表馬はフジノウェーブ記念とさきたま杯を勝った大井のソルテ。昨年も地方所属馬は大レースを勝つことができませんでした。その中でこの馬が最も近いところまでいき,重賞も勝ったので順当な選出といえるでしょう。秋シーズンは春シーズンほど走れなかった印象で,やや心配な面は残りますが,かしわ記念を目標に今年も頑張ってほしいところです。部門別では4歳以上最優秀牡馬と最優秀短距離馬を受賞。
2歳最優秀牡馬は兵庫ジュニアグランプリを勝った北海道のローズジュレップ。これは唯一の重賞勝ち馬ですから当然の受賞。すでに浦和に転厩していますので,今年は南関東クラシックを目指すことになりそうです。
2歳最優秀牝馬はフルールカップと東京2歳優駿牝馬を勝った愛知のピンクドッグウッド。この路線は重賞勝ち馬が不在。それなら地方競馬の最強馬決定戦といえる東京2歳優駿牝馬を制したこの馬になるところでしょう。北海道から愛知に転厩した馬ですが,この馬も船橋に転入してクラシック路線を戦うようです。
3歳最優秀牡馬はスプリングカップ,新春ペガサスカップ,新緑賞,駿蹄賞,東海ダービー,秋の鞍,東海菊花賞と愛知と笠松の重賞を7勝した愛知のカツゲキキトキト。勝ったのが地元戦ばかりなので難しいところですが,古馬相手の重賞で大きく離されはしたものの3着に入ったことも評価の対象になったようです。このレースは先着した2頭が強く,負かした馬の中には重賞の勝ち馬もいますので,メンバー次第で重賞勝ちまで望める馬とは思います。今年もすでに名古屋記念を勝ちました。
3歳最優秀牝馬は黒潮盃とロジータ記念を勝った船橋のミスミランダー。重賞でも2着があり,地元の利はあったものの黒潮盃はカツゲキキトキトを2着に降してのものですから,ここは順当な受賞。ただリンダリンダやモダンウーマンに対してはっきりと力量上位とまではいえないようにも思えます。
4歳以上最優秀牝馬は金沢の読売レディス杯と名古屋の秋桜賞を勝った兵庫のトーコーヴィーナス。たぶんこの部門が最も難しい選択だったと思いますが,やはり重賞で2着になったのが大きな決め手となりました。地元戦でもなかなか勝ちきれない一面があるのに遠征しても大きく崩れないという,やや不思議な馬という印象を抱いています。
最優秀ターフ馬は札幌2歳ステークスを逃げ切った川崎のトラスト。唯一の重賞勝ち馬で選出するならこの馬しかないところ。勝った後,JRAに移籍しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/ec/43bb24de4f02cfbb535addb52a0ff89d.jpg)
ダートグレード競走特別賞馬はかしわ記念,帝王賞,南部杯と大レースを3連勝したコパノリッキー。昨年は日本競馬全体で大レースを3勝した馬が2頭で,そのうちの1頭,しかもいずれも地方競馬場でのレースですから当然の受賞でしょう。
特別表彰馬はメイセイオペラと1989年からJRAに移籍し,その年の年度代表馬に選出されたイナリワンの2頭。どちらも地方競馬史に残る名馬です。
ばんえい最優秀馬についてはこのブログでは割愛します。
何が独善的な定義Definitioであって何が独善的な定義ではないのかということは,結局のところその定義を判断する人がどういう立場で判断を下しているかということに左右されます。ですからスピノザによる愛amorの定義が独善的であるか否かということは,問う必要がありませんし,問うたところで正しい解答を得られるというものでもありません。なので独善的であるなら独善的であっても構わないのですが,そのような評価を下すことによって,そこに含まれている哲学的意義を見落とすようなことは避けなければならないでしょう。
前もっていっておいたように,スピノザによる愛の定義の大きな特徴は,外部の原因の観念を伴った喜びLaetitia, concomitante idea causae externaeとだけいわれ,その原因の観念の対象ideatumが何であるのかということは問われていない点にあります。すなわちスピノザは,人がある外部の,すなわち自分ではない何らかの観念を有したときに,その観念を有したということが起成原因causa efficiensとなって自分自身に喜びが生じる場合には,観念されたものが何であれ,僕たちはそのものを愛しているのだといっているのです。フロイデンタールJacob Freudenthalが愛の対象を妻や子どもに限定しているかどうかは微妙だといわなければなりませんが,少なくともスピノザにとってはそうではありません。あらゆる人間が愛する対象となり得ますし,人間に限らず,どんなものでも愛する対象となり得るのです。それはたとえばペットであってもいいですし,おいしい食べ物であってもいいのです。あるいは二次元の世界で描かれるようなものであってもいいのです。とにかく何であれ,その観念が原因となって喜びが齎されるのであれば,それはすべてその観念されたものに対する愛であって,観念されたものがどんなものであるのかということによっては,それが愛であったり愛でなかったりはしないのです。いい換えれば愛の対象については,愛という感情の価値的な相違を決定することはないのです。
この定義は,愛するということの方を重くみた定義であると僕には思えます。とくにフロイデンタールの主張と比較するとよく分かります。フロイデンタールの定義は,愛されることの方を重視しているといえるからです。