スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

いわき金杯争奪戦&男の現実的本性

2017-01-29 19:14:53 | 競輪
 被災地支援競輪として実施されたいわき平記念の決勝。並びは新山-渡辺-菊地の北日本,古性-村上の近畿,山田-園田の九州で松谷と香川は単騎。
 山田がスタートを取って前受け。3番手に新山がいましたが,上昇してきた松谷が園田の後ろに入り3番手。新山は4番手となり,7番手に古性,最後尾に香川という周回に。残り3周のバックから古性が香川まで引き連れて上昇開始。コーナーで山田とほぼ併走に。早めに引いた新山はすぐさま巻き返し,残り2周のホームでは先頭に。うまく立ち回った松谷が菊地の後ろ。5番手に古性,7番手に香川,8番手に山田の一列棒状に変化し,バック,打鐘,残り1周のホームまで通過。バックに入って古性が発進。渡辺は車間を開けて待ち構えていたのですが,渡辺の後ろの菊地が牽制すると古性は落車。これに村上と香川も巻き込まれて落車。渡辺はコーナー手前から自力で発進。菊地は追えず松谷が追うことになったものの,余裕綽々の渡辺が優勝。松谷が1車身半差で2着。後方からの捲り追い込みになった山田の後ろから,直線で松谷と山田の間に進路を取った園田が4分の3車輪差で3着。村上と香川は再乗。古性は棄権。菊地は失格の裁定でした。
 優勝した福島の渡辺一成選手は昨年2月の全日本選抜競輪以来のグレードレース優勝。記念競輪は一昨年6月の取手記念以来となる7勝目。いわき平記念は初優勝。ここは脚力最上位。それでいて優勝できる力がある新山の番手を回りましたので,絡まれることがない限り勝てるだろうとみていました。新山がいいタイミングで発進したので残り2周から1周以上にわたって一列棒状の展開が継続するという最高の展開に。アクシデントがなかったとしても優勝は間違いないところであったでしょう。

 『国家論Tractatus Politicus』でスピノザが主張していることは,別の観点から解釈することも可能になっています。というのもスピノザは,女が本性の上で男と同等の権利jusを有さないと述べた次の段落で,男は概ね官能的感情によって女を愛すること,そして男にとって女の才能および知恵は外見の美しさであること,さらに男は愛する女がほかの男に好意を示すことを極度に嫌うということを列挙しているからです。要するに男は女を外見上の美醜によって評価し,情欲に基づいて愛し,その愛amorの対象となった女がほかの男に好意を示したら第三部定理三五にあるように,その男のことをねたみ,女に対してはやきもちzelotypiaという心情の動揺animi fluctuatioaを抱くのだといっているのです。これがスピノザによる男の現実的本性actualis essentiaの認識であったといえるでしょう。
                                     
 もし女が民主政治に参加してはならない理由としてこのことを解するなら,これは男の現実的本性だけを考慮に入れていて,女の現実的本性については何も顧慮していないので,暴論だと結論して差し支えないでしょう。確かにこうした理由からは,スピノザが述べているように,女が民主政治に参加すれば平和を損なうことになるでしょう。ですがそこでいわれている平和とは,実に男にとっての平和にすぎないのであって,女にとっての平和とは何かという視点を欠いたものです。ですから政治論の一貫としてこう主張をすることは問題外だといっていいと僕は思います。
 ですが,この主張は,もし男の現実的本性がそのようなものであるということを示したという意味においては,著しく妥当性を欠いたものであるとは断定できません。しかるにここに示されている情欲も美醜による評価もねたみinvidiaもやきもちも,すべて受動passioによるものであって,能動actioによるものではないのです。ということは,スピノザは男は受動によって女を評価し,その評価に適う女を愛し,評価に適った女の言動によって愛以外の受動感情に隷属し,心情の動揺を抱くというように男の現実的本性を認識していたことになります。したがって,女が本性の上で男と同等の権利を有していないということも,精神の能動actio Mentisという観点からだけで評価はできないことになるでしょう。
コメント
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