第66回大阪杯。
キングオブコージは発馬してすぐに控えました。アフリカンゴールドも逃げたかったようですが,枠が内だったジャックドールが先手を奪い,アフリカンゴールドは2番手に。3番手にウインマリリンとレイパパレ。5番手にポタジェとショウナンバルディ。3馬身差でヒシイグアス。8番手にヒュミドールとエフフォーリア。2馬身差でアリーヴォとステラリア。12番手にマカヒキ。13番手にスカーフェイスとアカイイト。レッドジェネシスとキングオブコージが最後尾を併走。前半の1000mは58秒8のミドルペース。
3コーナーを回るとアフリカンゴールドがジャックドールに並び掛けようとしましたが,追いつけずに一杯に。その外からレイパパレが上がってきました。直線はジャックドールとレイパパレの競り合いからレイパパレが先頭に。その外からポタジェとアリーヴォが追ってきて,3頭の優勝争い。真ん中のポタジェが抜け出て優勝。2着争いは接戦になりましたが内のレイパパレがクビ差で2着。外のアリーヴォがハナ差で3着。
優勝したポタジェは昨年1月のオープン以来の勝利。重賞初勝利での大レース制覇。この馬は強敵相手でもそんなに負けてはいなかったのですが,それは勝ち切るまでの力はなかったということでもあり,この優勝は驚きでした。ジャックドールにとっては展開が楽ではなく,レイパパレはそのジャックドールを早めに負かしにいったという敗因があるのですが,それを考慮しても差し切ったことは評価の対象としなければなりません。ここにきてまた力をつけたとみなければならないのかもしれません。父はディープインパクト。5つ上の半姉に2015年にきさらぎ賞,2016年にエプソムカップと毎日王冠,2017年にオールカマーを勝ったルージュバック。
騎乗した吉田隼人騎手は桜花賞以来の大レース5勝目。大阪杯は初勝利。管理している友道康夫調教師は朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース17勝目。大阪杯は初勝利。
これは『スピノザ〈触発の思考〉』で触れられていることではありませんが,僕から補足をしておきます。
ニーチェの反キリストは,反イエス,すなわち現実的に存在した人間としてのイエスを否定するということに向けられているわけでは必ずしもなく,そのイエスをキリストつまり救世主として,キリスト教を布教していった人びと,とくにその初期に布教していった人びとに対して向けられています。一方,キリスト教において原罪という概念の典拠をどこに求めるべきなのか,具体的にいえば旧約聖書に求めるべきなのか,それとも新約聖書に求めるべきなのかということに関しては,様ざまな見解があり得ると思いますが,ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheはキリスト教の原罪,贖うことができないような罪について語ろうとしているのですから,少なくともそれはイエス以後の事柄について言及していると解する必要があります。その場合には,聖書における典拠が何であるのかということとは関係なく,イエスが原罪について語っているのか,それともイエスをキリストとしてキリスト教を布教した人たちが原罪について語っているのかということだけが問題になります。ですからたとえ典拠が旧約聖書にあるのだとしても,旧約聖書をどのように解するのかということが問題となるのであって,ニーチェ自身の思想の論拠となり得るのは,新約聖書だけであることになります。旧約聖書はイエス以前の書物であり,イエス以後についてはもちろん,イエスについて何かが書かれているわけではないからです。
イエスは原罪について詳しく語っているわけではありません。それは共観福音書で共通しています。ですからキリスト教における原罪について責任を負うのは,イエス以後の使徒たちであることになります。他面からいえば,キリスト教における原罪,返済が不可能なほどの負債というのを,イエスが抱えていたということはできません。むしろイエス自身は原罪を知らなかったのであり,よって原罪がその起源となる良心,苛まれるような思惟作用も有していなかったということになります。ニーチェはその状態を無垢というので,イエスは無垢な人間であったことになるでしょう。
キングオブコージは発馬してすぐに控えました。アフリカンゴールドも逃げたかったようですが,枠が内だったジャックドールが先手を奪い,アフリカンゴールドは2番手に。3番手にウインマリリンとレイパパレ。5番手にポタジェとショウナンバルディ。3馬身差でヒシイグアス。8番手にヒュミドールとエフフォーリア。2馬身差でアリーヴォとステラリア。12番手にマカヒキ。13番手にスカーフェイスとアカイイト。レッドジェネシスとキングオブコージが最後尾を併走。前半の1000mは58秒8のミドルペース。
3コーナーを回るとアフリカンゴールドがジャックドールに並び掛けようとしましたが,追いつけずに一杯に。その外からレイパパレが上がってきました。直線はジャックドールとレイパパレの競り合いからレイパパレが先頭に。その外からポタジェとアリーヴォが追ってきて,3頭の優勝争い。真ん中のポタジェが抜け出て優勝。2着争いは接戦になりましたが内のレイパパレがクビ差で2着。外のアリーヴォがハナ差で3着。
優勝したポタジェは昨年1月のオープン以来の勝利。重賞初勝利での大レース制覇。この馬は強敵相手でもそんなに負けてはいなかったのですが,それは勝ち切るまでの力はなかったということでもあり,この優勝は驚きでした。ジャックドールにとっては展開が楽ではなく,レイパパレはそのジャックドールを早めに負かしにいったという敗因があるのですが,それを考慮しても差し切ったことは評価の対象としなければなりません。ここにきてまた力をつけたとみなければならないのかもしれません。父はディープインパクト。5つ上の半姉に2015年にきさらぎ賞,2016年にエプソムカップと毎日王冠,2017年にオールカマーを勝ったルージュバック。
騎乗した吉田隼人騎手は桜花賞以来の大レース5勝目。大阪杯は初勝利。管理している友道康夫調教師は朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース17勝目。大阪杯は初勝利。
これは『スピノザ〈触発の思考〉』で触れられていることではありませんが,僕から補足をしておきます。
ニーチェの反キリストは,反イエス,すなわち現実的に存在した人間としてのイエスを否定するということに向けられているわけでは必ずしもなく,そのイエスをキリストつまり救世主として,キリスト教を布教していった人びと,とくにその初期に布教していった人びとに対して向けられています。一方,キリスト教において原罪という概念の典拠をどこに求めるべきなのか,具体的にいえば旧約聖書に求めるべきなのか,それとも新約聖書に求めるべきなのかということに関しては,様ざまな見解があり得ると思いますが,ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheはキリスト教の原罪,贖うことができないような罪について語ろうとしているのですから,少なくともそれはイエス以後の事柄について言及していると解する必要があります。その場合には,聖書における典拠が何であるのかということとは関係なく,イエスが原罪について語っているのか,それともイエスをキリストとしてキリスト教を布教した人たちが原罪について語っているのかということだけが問題になります。ですからたとえ典拠が旧約聖書にあるのだとしても,旧約聖書をどのように解するのかということが問題となるのであって,ニーチェ自身の思想の論拠となり得るのは,新約聖書だけであることになります。旧約聖書はイエス以前の書物であり,イエス以後についてはもちろん,イエスについて何かが書かれているわけではないからです。
イエスは原罪について詳しく語っているわけではありません。それは共観福音書で共通しています。ですからキリスト教における原罪について責任を負うのは,イエス以後の使徒たちであることになります。他面からいえば,キリスト教における原罪,返済が不可能なほどの負債というのを,イエスが抱えていたということはできません。むしろイエス自身は原罪を知らなかったのであり,よって原罪がその起源となる良心,苛まれるような思惟作用も有していなかったということになります。ニーチェはその状態を無垢というので,イエスは無垢な人間であったことになるでしょう。