第24回中山グランドジャンプ。
ケンホファヴァルトとビレッジイーグルが前に。ビレッジイーグルの逃げとなりマイネルプロンプトが2番手に。ケンホファヴァルトは3番手に下げ4番手にマイサンシャイン。5番手はサトノパシュートとオジュウチョウサン。3馬身差でキタノテイオウとマイネルレオーネ。最後尾にブラゾンダムールで1周目の正面を通過。大竹柵の手前ではビレッジイーグル,マイネルプロンプト,オジュウチョウサン,サトノパシュート,ケンホファヴァルト,マイネルレオーネ,ブラゾンダムール,マイサンシャイン,キタノテイオウの隊列で9頭が一団。大生垣の手前ではビレッジイーグル,マイネルプロンプトとケンホファヴァルトとオジュウチョウサン,ブラゾンダムール,サトノパシュート,マイサンシャインとマイネルレオーネ,キタノテイオウの順でまだ9頭が一団。
向正面に入るとビレッジイーグル,ケンホファヴァルト,上昇してきたブラゾンダムール,オジュウチョウサン,マイネルレオーネとマイネルプロンプト,サトノパシュートの順になり,ここまでが圏内。3コーナーで外からブラゾンダムールが前の2頭を追い抜いて単独の先頭。それを追ってきたのがオジュウチョウサンで,直線はこの2頭の争いに。直線の障害を飛越してからオジュウチョウサンが前に出て優勝。3コーナー先頭のブラゾンダムールが1馬身4分の1差で2着。大外から一気に追い込んできたマイネルレオーネが半馬身差で3着。
優勝したオジュウチョウサンは中山大障害以来の勝利で大レース9勝目。第18回,19回,20回,21回,22回に続いて2年ぶりの中山グランドジャンプ6勝目。このレースはブラゾンダムール,ケンホファヴァルト,オジュウチョウサンの能力が上位。ケンホファヴァルトは自らのペースで走れないようなところがあって凡走しましたが,残る2頭での決着となりましたから,順当といっていいでしょう。もう11歳なのでいかに能力を維持していくかが重要ですが,これだけ長きにわたってトップクラスで走ることができる馬はそうそういません。近年の名馬の1頭だと思います。父はステイゴールド。母の父はシンボリクリスエス。ひとつ上の全兄に2013年のラジオNIKKEI賞を勝ったケイアイチョウサン。
騎乗した石神深一騎手は中山大障害以来の大レース10勝目。第18回,19回,20回,21回,22回に続き2年ぶりの中山グランドジャンプ6勝目。管理している和田正一郎調教師は中山大障害以来の大レース9勝目。第18回,19回,20回,21回,22回に続いて2年ぶりの中山グランドジャンプ5勝目。
スピノザの哲学の道徳的観点は,能動actioを肯定し受動passioを否定するものです。しかしそれは,現実的に存在する人間に対して,受動あるいは同じことですが働きを受けるpatiことを禁じるものではありません。悲しみtristitiaは必然的にnecessario受動であるから道徳的観点から否定され,良心の呵責conscientiae morsusは悲しみの一種であるから道徳的観点から否定されるので,受動そのものが禁じられない以上,悲しみを感じること,良心の呵責を感じることも,そのこと自体をスピノザが禁止することはありません。
これは矛盾しているように思われるかもしれませんが,そうではありません。スピノザの道徳的観点が,その観点からすれば非道徳的であるとされることを,現実的に存在する人間に対して禁止しないことには,確たる理由があります。それは,第四部定理四系から理解できるように,スピノザは現実的に存在する人間が受動にあずからないでいることは不可能であると認めているからです。したがって,もしも現実的に存在する人間に対して働きを受けることを禁止するとすれば,それは不可能な事柄を要求しているに等しいことになります。たとえば人間の現実的本性actualis essentiaは,空を飛ぶ力potentiaというのを有していません。だから現実的に存在する人間に対して,自身の力で空を飛ぶことを要求するとすれば,それは不可能なことを要求していることになります。ちょうどそれと同じように,人間に対して受動に隷属しないように要求することは,その人間に対して不可能なことを要求していることになるのです。だからスピノザは,道徳的観点からは受動は否定されるからといって,現実的に存在する人間に対して,働きを受けること,悲しみを感じること,良心の呵責を覚えるといったことを,禁ずることはないのです。もしもこの道徳的観点が現実的に存在する人間に対して何かを要求するとすれば,可能な限りでそれを回避することです。つまりできる限り働きを受けないようにすること,できる限り悲しみを感じないようにすること,そしてできる限り良心の呵責を感じないようにすることなのです。
これだけでスピノザが良心の呵責を全面的には否定しないであろうことは明白であるといっていいでしょう。
ケンホファヴァルトとビレッジイーグルが前に。ビレッジイーグルの逃げとなりマイネルプロンプトが2番手に。ケンホファヴァルトは3番手に下げ4番手にマイサンシャイン。5番手はサトノパシュートとオジュウチョウサン。3馬身差でキタノテイオウとマイネルレオーネ。最後尾にブラゾンダムールで1周目の正面を通過。大竹柵の手前ではビレッジイーグル,マイネルプロンプト,オジュウチョウサン,サトノパシュート,ケンホファヴァルト,マイネルレオーネ,ブラゾンダムール,マイサンシャイン,キタノテイオウの隊列で9頭が一団。大生垣の手前ではビレッジイーグル,マイネルプロンプトとケンホファヴァルトとオジュウチョウサン,ブラゾンダムール,サトノパシュート,マイサンシャインとマイネルレオーネ,キタノテイオウの順でまだ9頭が一団。
向正面に入るとビレッジイーグル,ケンホファヴァルト,上昇してきたブラゾンダムール,オジュウチョウサン,マイネルレオーネとマイネルプロンプト,サトノパシュートの順になり,ここまでが圏内。3コーナーで外からブラゾンダムールが前の2頭を追い抜いて単独の先頭。それを追ってきたのがオジュウチョウサンで,直線はこの2頭の争いに。直線の障害を飛越してからオジュウチョウサンが前に出て優勝。3コーナー先頭のブラゾンダムールが1馬身4分の1差で2着。大外から一気に追い込んできたマイネルレオーネが半馬身差で3着。
優勝したオジュウチョウサンは中山大障害以来の勝利で大レース9勝目。第18回,19回,20回,21回,22回に続いて2年ぶりの中山グランドジャンプ6勝目。このレースはブラゾンダムール,ケンホファヴァルト,オジュウチョウサンの能力が上位。ケンホファヴァルトは自らのペースで走れないようなところがあって凡走しましたが,残る2頭での決着となりましたから,順当といっていいでしょう。もう11歳なのでいかに能力を維持していくかが重要ですが,これだけ長きにわたってトップクラスで走ることができる馬はそうそういません。近年の名馬の1頭だと思います。父はステイゴールド。母の父はシンボリクリスエス。ひとつ上の全兄に2013年のラジオNIKKEI賞を勝ったケイアイチョウサン。
騎乗した石神深一騎手は中山大障害以来の大レース10勝目。第18回,19回,20回,21回,22回に続き2年ぶりの中山グランドジャンプ6勝目。管理している和田正一郎調教師は中山大障害以来の大レース9勝目。第18回,19回,20回,21回,22回に続いて2年ぶりの中山グランドジャンプ5勝目。
スピノザの哲学の道徳的観点は,能動actioを肯定し受動passioを否定するものです。しかしそれは,現実的に存在する人間に対して,受動あるいは同じことですが働きを受けるpatiことを禁じるものではありません。悲しみtristitiaは必然的にnecessario受動であるから道徳的観点から否定され,良心の呵責conscientiae morsusは悲しみの一種であるから道徳的観点から否定されるので,受動そのものが禁じられない以上,悲しみを感じること,良心の呵責を感じることも,そのこと自体をスピノザが禁止することはありません。
これは矛盾しているように思われるかもしれませんが,そうではありません。スピノザの道徳的観点が,その観点からすれば非道徳的であるとされることを,現実的に存在する人間に対して禁止しないことには,確たる理由があります。それは,第四部定理四系から理解できるように,スピノザは現実的に存在する人間が受動にあずからないでいることは不可能であると認めているからです。したがって,もしも現実的に存在する人間に対して働きを受けることを禁止するとすれば,それは不可能な事柄を要求しているに等しいことになります。たとえば人間の現実的本性actualis essentiaは,空を飛ぶ力potentiaというのを有していません。だから現実的に存在する人間に対して,自身の力で空を飛ぶことを要求するとすれば,それは不可能なことを要求していることになります。ちょうどそれと同じように,人間に対して受動に隷属しないように要求することは,その人間に対して不可能なことを要求していることになるのです。だからスピノザは,道徳的観点からは受動は否定されるからといって,現実的に存在する人間に対して,働きを受けること,悲しみを感じること,良心の呵責を覚えるといったことを,禁ずることはないのです。もしもこの道徳的観点が現実的に存在する人間に対して何かを要求するとすれば,可能な限りでそれを回避することです。つまりできる限り働きを受けないようにすること,できる限り悲しみを感じないようにすること,そしてできる限り良心の呵責を感じないようにすることなのです。
これだけでスピノザが良心の呵責を全面的には否定しないであろうことは明白であるといっていいでしょう。