昨晩の第26回北海道スプリントカップ。
フジノパンサーは加速が鈍く4馬身の不利。ダンシングプリンスが逃げて2番手にアザワク。3番手にヒロシゲゴールド。2馬身差でハートプレイスとリュウノユキナ。2馬身差でスマートダンディー。3馬身差でスティールペガサス。8番手にヴォーガ。9番手にメイショウミズカゼ。フジノパンサーは大きく取り残されました。前半の600mは34秒3のハイペース。
3コーナーで逃げたダンシングプリンスは少し外に進路を取りました。アザワクはついていかれなくなり,ヒロシゲゴールドはダンシングプリンスより内に進路を変更。その外にリュウノユキナが追い上げてきました。直線は逃げるダンシングプリンスに内からヒロシゲゴールド,外からリュウノユキナが追い上げようとしましたが,差は詰まりませんでした。その間に後方にいたスマートダンディーがリュウノユキナの外から猛追。しかし一杯に逃げ切ったダンシングプリンスが優勝。スマートダンディーがクビ差で2着。リュウノユキナが1馬身差の3着でヒロシゲゴールドが1馬身差で4着。
優勝したダンシングプリンスはこれがリヤドダートスプリント以来のレース。重賞3連勝となりました。能力が最も上であることは分かっていましたが,久しぶりのレースであったことと,速いタイムでの決着となるレースが得意だったので,門別コースへの適性が不安点でした。重馬場で1分10秒台の決着となったことで2点目はクリア。1点目は影響があったかもしれませんが,能力でクリアしたといったところでしょうか。2着馬に対しては着差以上の能力の差があると思います。父は2012年にアイビスサマーダッシュとキーンランドカップ,2013年に函館スプリントステークスを勝ったパドトロワ。母の父はバブルガムフェロー。母の3つ上の半兄がデュランダル。
騎乗した北海道の落合玄太騎手は一昨年の北海道スプリントカップ以来となる重賞2勝目。管理している宮田敬介調教師は北海道スプリントカップ初勝利。
人間の徳virtusが,人間の現実的本性actualis essentiaなしには考えることができないとすれば,人間の徳の基礎は人間の現実的本性であることになります。しかもそれは,単に人間の徳の基礎であるというだけでなく,絶対的な意味での基礎,あるいは唯一の基礎であるということになるでしょう。第四部定理二二には系Corollariumが付せられていて,スピノザはまさにそのようにいっています。

「自己保存の努力は徳の第一かつ唯一の基礎である」。
厳密にいえば,このことは第四部定理二二でいわれていること,すなわち自己保存の努力conatusいい換えればコナトゥスconatusより先に徳を考えることはできないということだけから帰結させることができるわけではありません。なぜなら,コナトゥスがなければ人間の徳を考えることができないということは,その定理Propositioの中に含まれているわけではないからです。ただこのことは,人間に何らかの徳が考えられるとすれば,それは人間が現実的に存在する限りにおいてであって,もしも人間が現実的に存在しないのであれば,人間の徳について考えること自体が無意味であるということから論証することができます。というか,これで論証できているということはそれ自体で明らかだといえるでしょう。一方,コナトゥスを有さないようなあるもの,つまり自己の有に固執しないものが現実的に存在するということはそれ自体で不条理だといえます。したがって,これは人間であるかどうかということとは関係なく,あるもののコナトゥスなしにはそのものの徳を考えることはできない,あるいはそのものの徳を考えることは無意味だといえるでしょう。なのでこの系が成立するということは問題がないとしておきます。
これは,シュトラウスLeo Straussが感じていたことそのものであるとはいえないかもしれませんが,徳というのをこの系のように規定するなら,ある疑問が生じてくるでしょう。というのは,事物の現実的本性というのは,現実的に存在する事物が個々に有する本性であり,したがって,たとえばAという人間とBという人間が現実的に存在するとすれば,Aの現実的本性とBの現実的本性は異なることになります。すると,Aの徳とBの徳も異なることになります。
フジノパンサーは加速が鈍く4馬身の不利。ダンシングプリンスが逃げて2番手にアザワク。3番手にヒロシゲゴールド。2馬身差でハートプレイスとリュウノユキナ。2馬身差でスマートダンディー。3馬身差でスティールペガサス。8番手にヴォーガ。9番手にメイショウミズカゼ。フジノパンサーは大きく取り残されました。前半の600mは34秒3のハイペース。
3コーナーで逃げたダンシングプリンスは少し外に進路を取りました。アザワクはついていかれなくなり,ヒロシゲゴールドはダンシングプリンスより内に進路を変更。その外にリュウノユキナが追い上げてきました。直線は逃げるダンシングプリンスに内からヒロシゲゴールド,外からリュウノユキナが追い上げようとしましたが,差は詰まりませんでした。その間に後方にいたスマートダンディーがリュウノユキナの外から猛追。しかし一杯に逃げ切ったダンシングプリンスが優勝。スマートダンディーがクビ差で2着。リュウノユキナが1馬身差の3着でヒロシゲゴールドが1馬身差で4着。
優勝したダンシングプリンスはこれがリヤドダートスプリント以来のレース。重賞3連勝となりました。能力が最も上であることは分かっていましたが,久しぶりのレースであったことと,速いタイムでの決着となるレースが得意だったので,門別コースへの適性が不安点でした。重馬場で1分10秒台の決着となったことで2点目はクリア。1点目は影響があったかもしれませんが,能力でクリアしたといったところでしょうか。2着馬に対しては着差以上の能力の差があると思います。父は2012年にアイビスサマーダッシュとキーンランドカップ,2013年に函館スプリントステークスを勝ったパドトロワ。母の父はバブルガムフェロー。母の3つ上の半兄がデュランダル。
騎乗した北海道の落合玄太騎手は一昨年の北海道スプリントカップ以来となる重賞2勝目。管理している宮田敬介調教師は北海道スプリントカップ初勝利。
人間の徳virtusが,人間の現実的本性actualis essentiaなしには考えることができないとすれば,人間の徳の基礎は人間の現実的本性であることになります。しかもそれは,単に人間の徳の基礎であるというだけでなく,絶対的な意味での基礎,あるいは唯一の基礎であるということになるでしょう。第四部定理二二には系Corollariumが付せられていて,スピノザはまさにそのようにいっています。

「自己保存の努力は徳の第一かつ唯一の基礎である」。
厳密にいえば,このことは第四部定理二二でいわれていること,すなわち自己保存の努力conatusいい換えればコナトゥスconatusより先に徳を考えることはできないということだけから帰結させることができるわけではありません。なぜなら,コナトゥスがなければ人間の徳を考えることができないということは,その定理Propositioの中に含まれているわけではないからです。ただこのことは,人間に何らかの徳が考えられるとすれば,それは人間が現実的に存在する限りにおいてであって,もしも人間が現実的に存在しないのであれば,人間の徳について考えること自体が無意味であるということから論証することができます。というか,これで論証できているということはそれ自体で明らかだといえるでしょう。一方,コナトゥスを有さないようなあるもの,つまり自己の有に固執しないものが現実的に存在するということはそれ自体で不条理だといえます。したがって,これは人間であるかどうかということとは関係なく,あるもののコナトゥスなしにはそのものの徳を考えることはできない,あるいはそのものの徳を考えることは無意味だといえるでしょう。なのでこの系が成立するということは問題がないとしておきます。
これは,シュトラウスLeo Straussが感じていたことそのものであるとはいえないかもしれませんが,徳というのをこの系のように規定するなら,ある疑問が生じてくるでしょう。というのは,事物の現実的本性というのは,現実的に存在する事物が個々に有する本性であり,したがって,たとえばAという人間とBという人間が現実的に存在するとすれば,Aの現実的本性とBの現実的本性は異なることになります。すると,Aの徳とBの徳も異なることになります。