スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

水戸黄門賞&第四部定理三五系二

2022-06-07 19:34:14 | 競輪
 取手記念の決勝。並びは吉田‐吉沢‐杉森の茨城,元砂‐三谷‐南の近畿,石原‐松浦の瀬戸内で宿口は単騎。
 吉田と吉沢がスタートを取りにいって吉田の前受け。4番手に石原,6番手に宿口,7番手に元砂で周回。残り3周のバックの半ばから元砂が上昇開始。石原の横に並び,ホームの出口からまた動いていき,吉田を叩きました。バックに入って石原が反撃。元砂を叩きにいって打鐘。先行争いになりましたが,石原が叩いて先行。宿口は続かず,叩かれた元砂は後退。3番手に三谷,4番手に南という隊列に。石原ラインに続かなかった宿口は自力で発進したものの不発。この動きに乗る形になった吉田が捲り上げてきました。最終コーナーの手前で松浦が番手から発進して吉田と競り合い。この競り合いを松浦が制すると,直線は松浦の内を突いた三谷も牽制。この間に大外から伸びた吉沢が,競り合う内のふたりを差し切って優勝。松浦が半車輪差の2着で三谷が4分の3車輪差で3着。
 優勝した茨城の吉沢純平選手は先月の大垣のFⅠから連続優勝。その後に出走した全日本プロ選手権記念も連勝していて,近況は好調でした。昨年8月のアーバンナイトカーニバル以来となるGⅢ4勝目。2017年以来となる5年ぶりの取手記念2勝目。このレースは脚力では松浦と吉田の争い。そのふたりが互いを意識しすぎるようだと,別の選手の出番もありそうとみていました。番手から発進した松浦が吉田の捲りを止めましたから,展開的には松浦が有利でしたが,三谷の差しも牽制しなければならなかった分だけ消耗も大きくなりました。その間隙を,吉田にスピードをもらった吉沢が突いたという結果でしょう。

 すべての人間がひとつの原因causaとして協同し,何らかの結果effectusを産出するproducereことが,論理的には可能です。その場合はすべての人間がひとつの個物res singularisとみなせます。よってすべての人間のコナトゥスconatus,人間一般のコナトゥスが存在し得ます。コナトゥスは徳virtusの基礎なのですから,すべての人間にとっての徳というものがあるということが帰結します。ただしその徳は,現実的に存在する諸個人の徳に反するものではありませんし,まして現実的に存在する諸個人の徳を超越するような徳ではありません。スピノザの哲学では,この条件の下で人間に一般の徳というのが考えられることになります。
                                   
 諸個人の徳に反しないような人間に一般の徳,あるいは人間集団における徳がいかなる形であり得るか,つまり諸個人の徳に反しないような人間一般の徳というのがどのような形であり得るのかということの基本的な原理は,さほど難しいものではありません。第四部定理三五によれば,理性ratioの導きに従って生活する限りでは,すべての人間の本性natura humanaが一致するからです。このとき,この人間というのは,現実的に存在する個々の人間を意味しています。したがって,一致するといわれている本性は,個々の人間の現実的本性actualis essentiaにほかなりません。人間の現実的本性というのはコナトゥスのことですから,現実的に存在するすべての人間のコナトゥスが,それら諸個人が理性の導きに従う限りでは一致するのです。そしてこのコナトゥスが徳の基礎であるのですから,現実的に存在する人間は,理性の導きに従って生活する限りでは,徳が一致するのです。よって一致するその徳は,人間に一般の徳,人間集団の徳であるということができます。すべての人間に共通の徳であり,当然ながらそれは諸個人の徳を超越したり反したりするような徳ではないからです。
 このようにして,スピノザの哲学では第四部定理三五系二が成立することになるのです。
 「おのおのの人間が自己に有益なるものを最も多く求める時に,人間は相互に最も有益である」。
 この系Corollariumは,一読すると間違ったことをいっているように思えるのではないでしょうか。むしろこの限りでは人間が対立するようにみえるからです。
コメント
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