スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典関東オークス&理性の原理

2022-06-16 19:08:58 | 地方競馬
 昨晩の第58回関東オークス
                                        
 サンオルソーライズはダッシュが鈍く2馬身の不利。スピーディキック,トキノゴールド,グランブリッジの3頭が前にいきましたが,外の方からラブパイローが押し上げていき,1周目の3コーナーの手前でハナに。2番手にグランブリッジ。3番手にスピーディキックとリッキーマジックとドライゼ。6番手にトキノゴールドとティーズハクアという並びになりこの7頭は一団。5馬身差でソレイユスマイル。あとはコーミズアムール,グラーツィア,サンオルソーライズ,クレールアドレ,ケウという隊列でばらばらの追走。スローペースになりました。
 一旦はリッキーマジックが2番手に上がるシーンもありましたが脱落。直線は逃げるラブパイローと外から追うグランブリッジ。さらにその外から追い上げてくるスピーディキックの3頭の争い。ラブパイローを差して抜け出したグランブリッジが優勝。逃げ粘ったラブパイローが3馬身差で2着。スピーディキックが半馬身差で3着。
 優勝したグランブリッジは重賞初挑戦での勝利。前走で1勝クラスを勝ち上がっていましたので,優勝候補の1頭ではありました。2着馬には昨年11月に10馬身半の差をつけられて負けていたのですが,成長力で逆転したというところでしょう。ペースの関係で前に位置していた3頭での決着になったという面はありますが,3着と4着の間に8馬身もの差がありますから,上位3頭の能力がこのメンバーでは抜けていたとみてよさそうです。母の父はダイワメジャービューチフルドリーマーワールドハヤブサの分枝。
 騎乗した福永祐一騎手と管理している新谷功一調教師は関東オークス初勝利。

 僕はアドルノTheodor Ludwig Adorno-Wiesengrundがいっている自己保存を,とりあえずスピノザの哲学でいうコナトゥスconatusと解しておくことにするいっておきましたが,実際はアドルノの自己保存とスピノザのコナトゥスは,似て非なるものです。アドルノは自己保存が理性ratioの第一原理といっていますが,それは単に理性の第一原理が自己保存であるという意味ではないのであって,自己保存を第一原理あるいは基本原理とするのは理性であるという意味も含んでいるからです。ところがスピノザの哲学におけるコナトゥスはそのようなものではありません。まずこの点を理解しておかなければなりません。
 スピノザが理性というとき,それは共通概念notiones communesによるあるいは共通概念を基礎とした認識cognitioを意味します。よってその基本原理は,第二部定理三八および第二部定理三九の様式での認識にあるのであって,それらはいずれも十全な観念idea adaequataです。さらにそれが基礎となった認識は,第二部定理四〇によってやはり十全な観念です。つまり,第三種の認識cognitio tertii generisを考慮の外に置けば,人間の精神mens humanaが事物を十全に認識するcognoscereというすべての営みは理性に帰せられることになります。それは同時に,事物の十全な認識だけが理性に帰せられるという意味です。ところがコナトゥスは,十全な認識つまり理性による認識だけに関係するのではありません。第三部定理九により,現実的に存在する人間は,たとえ事物を混乱して認識しているときも,自己の有に固執するperseverare,つまりそういうコナトゥスを有しているからです。よってスピノザの哲学におけるコナトゥスは,理性だけの基本原理であることはないのです。浅野はこのことを,スピノザの哲学におけるコナトゥスは,存在existentiaの原理である,理性の原理ではなくて存在の原理であるといういい方で説明しています。
 浅野がこのいい方をしているのにはある意図が含まれています。実はアドルノがいう自己保存とスピノザがいうコナトゥスというのが似て非なるものであるということは,それが理性の第一原理である,理性だけの第一原理であるか否かという点に存するのではありません。コナトゥスが存在の原理であるというとき,それは人間的原理ではないという意味を含んでいるからです。
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