書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○思考バイアスの落とし穴。

2015年05月24日 14時01分04秒 | 意識論関連
ヒトという種の生物の脳というのは、一旦何かを思って他者と議論を始めたりすると、その議論の「勝ち負け」ばかりに執着してしまって、論理的根拠とか証明を聞き入れないように陥ることってよくある。

結論ありきの事後正当化の取り繕いというのは、脳にとっては処理が軽いので。認知症の初期症状にも見られる簡単なものです。

大脳辺縁系が促す思考や行動のバイアスというものは、科学的論理思考にとって不都合で不条理なものであるということは認識しておいてください。

振り込め詐欺師に騙される被害者が、自分が電話でのやりとりの中で信じ込んだ話ばかりを盲目的に信頼し、銀行員や警官の言うことすら聞かなくなるのは、こうした思考バイアスによるものなのです。

ですから「感情的になっている時こそ冷静になる。」という、自分の感情の制御が出来ないと、結論ありきの議論に陥り真実を見失うことがあるのです。

警察や検察による「結論ありき」の取り調べによって自白を強要されるという冤罪事件が時折発生しますが、こうした現象にも取り調べを行う警官や検察官の思考バイアスが働いているからです。

間違えることは誰にでもあることであり、ましてや学生のうちに間違えておくのであれば咎める必要性はなく。むしろ「たくさん間違えること。」は山中伸弥教授が薦めていることでもあります。

でも、間違えた時に、間違えたことを認識せずに間違えたままなのでは、教訓や経験としてこれからの人生に生かすことにはならず、単なる身勝手な暴走者でしかなくなります。ヘイトスピーチをしている人達というのも、「結論ありき」で自分の既に抱いている観念に都合の良い話以外を聞き入れなくなるのが原因です。



ヒトという種の生物は、他人が失敗すると頭に血がのぼってカッとなって反射的に懲罰を与えようとしがちです。その上罰を与えると脳内物質の相転移によって満足し、あたかも全てが解決したかのような錯覚をも促します。

どこぞの病理医ちゃんに限らず、多くのヒトはそれで満足感を得て解決したと錯覚しがちなのです。

DV男がカミさんに散々暴力ふるった後に、オキシトシンだかセロトニンだかが脳内に分泌して急に優しくなるという現象は、実はDV男の脳特有の現象などではないのです。

バカを糾弾すると満足かも知れません。 でもそれは主観的で社会にとって普遍的価値を持った結論ではないのです。

一体誰が間違えたのか、それを精密に論理検証し。その原因(心理的要因とかバイアスも含めて)を今後の対策に生かすことこそ、より社会にとって普遍的な価値を持つものです。

間違えが特定個人に起きうることは、遺伝的にさして違いのないヒトである以上、誰にでも起こり得る現象であり、「自分だけは絶対に大丈夫」という盲目的自己信頼というのは、むしろ振り込め詐欺師に騙される被害者に見られるものなのです。

繰り返しますけど、別に病理医の嘘なんて「ヒヤリ、ハッと」事象でしかなく、おいらが個人的に嫌な気分になるだけのハナクソみたいな事象に過ぎないのです。

重要なのは嘘をついたり拒絶的に差別をするヒトの心理を分析することで、ISILとか暴力団の構成員を更正への応用可能性があることです。

日本の法律手続き上では思想とか信条の自由は保証されていますが、論理的根拠のないいわゆる「実証不能の観念を振り回し、他人に多大な迷惑をかける」ことまで許されているわけではありません。

従って、自分の思想信条が間違っていないかどうかの責任は、ひとりひとりの個人に委ねられているわけであって。「思想信条が自由だから何を信条にヘイトスピーチをしようと許される。」なんて話ではないのです。

民主主義というのは民衆に権利があると同時に、その責任も負わなければならないということを忘れてはいけないのです。


Ende;
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○回答その7。

2015年05月24日 12時08分52秒 | 意識論関連
あなたの言うその命題は「原因→結果」。 あなたはそれを「結果→原因」という方向だと勘違いし批判したが、実際には的外れ。これを議論の世界では「すり替え論法」と言い、議論をする上 でのご法度です。 よって元の命題に瑕疵はない。 この説明をするのは四度目となりました。


「原因→結果」という命題に則った議論の中身が進化生物学的こじつけ論法に基づいているよって批判したのであって、病理医が提起した命題に則った議論しかしちゃいけない「科学的議論」に普遍性がないのです。

普遍性を持たない科学的議論から導き出される結論の危険性を述べているのに、それを「すりかえ」だと言い張り拒絶することは科学的議論だとでも言うのかしら。

そこ、わからんか。 困った人だ。

他の人にもきいてみな。

もうちょっと深く考えてからリプライください。 論理的議論が成立していないのでちょっと面倒臭いです。


◇追記:

これを議論の世界では「すり替え論法」と言い、議論をする上 でのご法度です。

ああ、なるほどね。法廷で何かを証明するための議論の場合に「すり替え論法」を持ち込むのはご法度だから。病理医の提起した命題に則った論証以外は認めないとか、そういうことらしい。

法廷においても、特定の証拠などを証明するための議論に対し、その議論の土台が間違っていると指摘することはご法度ではないよ。

そもそも「すり替えですからー」っつってたけど、事後正当化のための取り繕いが証明されているのにすり替えもすったくれもないよ。



Ende;
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○回答その6。

2015年05月24日 10時10分04秒 | 意識論関連
いや、おいらは嘘をついたり他人の話を無視したりする心理の原因究明が目的であって、サンプルとしての病理医ちゃんを誹謗中傷したいわけじゃないのよ。

病理医ちゃん「みたいな」排除差別発言をするヒトって、ヘイトスピーチとかイジメとか、普遍的(結果としてのね。)にどこにでも見られるものなので。そこに共通する心理構造を解明するのが目的なのよ。

別においらが病理医ちゃんにDisられたからって、そんなもんは「おいらが主観的に気分が悪い」だけなので、どうでもいいって言ってるんだけど、そこは理解しないのね。




人体ピラミッドで悪名高い吉野よしろう教諭「みたい」に、自分の観念を絶対だと信じ込んで、自分の主観的な気分に都合の悪い話を全く聞き入れないヒトに共通の構造を論じているんであって、そこに対する論理的反証説明とか、そういうのを全くしないで科学的議論もすったくれもないんですけどね。

病理医ちゃん「みたいな」ヒトに見られる普遍的な傾向性を論じることが科学的ではないって言い張って、どこぞの病理医ちゃんが提起した命題に則った閉鎖的なご機嫌取り議論が科学的だって言うんだろうか。

そういうトンチンカンな話要らないです。

なんだろ、自称法学生にとっても気分が悪い話だから観念的に否定したいだけなんじゃなかろか。

仮説に過ぎないっていうのであれば、きちんとした反証説明をしないと仮説に過ぎないことの証明にすらならないよ。

そこはがんばれ。




実はおいらの端末だとTwitterの動作が時折おかしくて、急に動かなくなることがあるのでブログに書いている。

ブログ上でもそんなに安定しないので、メモ帳に文章書いてコピペしているのです。

さらに言うとメモ帳も安定させるのにコツが要る。


◇追記:

特定個人が提起した命題に則った議論しか出来ないといった特殊なルールに基づいた議論から導き出される結論には普遍性がありません。

それは単なる気分的満足感のための身勝手な妄想にしかならないからです。

イジメとかヘイトスピーチといったものも、その集団内部では同じ構造があって。普遍的な価値観を無視して排他性を発揮することで、気分感情を満足させることが目的になっているからです。

素人目には科学的議論のように「見える」のかも知れませんけど、基礎医学だとか言いながら特殊なルール上でしか議論してはいけない議論にどうして科学的普遍性があると言うのでしょうか。

ま、この辺りは興味のない人にはわかんないのかな。

従来の進化生物学的こじつけ論法なんかも、特殊なルールに基づいた議論しかされていなかった典型です。ですからこういった議論からは普遍性を持った科学的議論として成立しないのです。




特定個人のルールに則って間違った土台(進化生物学的こじつけ論法)の上で議論している可能性が高いと判断して、「進化生物学的こじつけ論法は間違いですよ。」って説明したんですよ。

○ヒヤリ、ハッと。

それに対して病理医の偏ったルールに基づいた議論は都合が悪いもんだから

やはり素人考えでしたね。こんなブロ グを出してくるなんて論外です。現在学術の 世界できちんと議題にあがっている内容を、 reviewのついた論文で論じるならまだし も……。聞きかじりで恥を書き続けるのはお やめになったらよいと思います。もう話しか けなくていいですよ。

といった拒絶反応が来ました。

進化生物学的こじつけ論法が間違いであることは、既に「学術世界中できちんと議題にあがっている内容。」であるにも関わらず、病理医は頭ごなしに否定しており。病理医はそれを知らなかったことが証明されています。

にも関わらず、その後から「結果と目的の区別がついていた」かのような取り繕いをしているわけです。

嘘ついているのが立証されているのです。




ってな風に病理医の嘘を説明すればするほど、病理医の立場は悪くなる一方なので、法学部4年生が論理的反証もなしに弁護したつもりになっても、病理医の嘘が拡散されるだけなんですけどね。

病理医が私に嘘をついたからといって、何か具体的に損害の類が出ているわけでもないので、単においらが主観的に気分が悪いだけですから、それはどうでも良いんです。

問題なのは、こうした嘘とか閉鎖的議論を普遍性のある科学的議論だと勘違いしているヒトの心理構造を分析することであって。それは科学的に普遍性を持った議論として成立し得るわけです。

繰り返しますけど、病理医は検証サンプルに過ぎないのです。(個人的感情も時折入るけど、それはドローだよ。殴り合いに意味はないです。)

失敗学とか危険学の考え方に基づけば、「悪者探しをして罰を与える」だけの刑法懲罰感情論こそが、過失の原因究明にとって最も害になるものであって。懲罰感情を短絡的に正義か何かと勘違いしたままだから「原発事故に逮捕者がいないのはおかしい。」という話になってしまうのです。原発事故の本当の原因究明は、まだ途中中断しているだけであって、終わってなんかいません。

懲罰感情というのは、ヒトという種の生物の脳に先天的に組み込まれた感情(行動バイアス)に過ぎません。

ヒトが暴力で最終解決を図ろうとする短絡性というのは、こうした先天的な習性の結果であって。懲罰感情のままに短絡的に「悪者探しをして、罰を与えときゃ解決だ。」という錯覚こそが、ヒトの暴力性とか差別排除の原因でもあるのです。

なんだろ、法学部っていうのは刑法罰などの道具の使い方ばっかり習っていて、社会安全性とか持続可能性に対する配慮とかは習わないのかしら。 っていうか、自称法学部4年生ってのが嘘としか思えないんだけど。法律を学んでいるにしては議論が雑過ぎるもの。

法学上においては判決さえ出れば解決だと見なすんだろうけども、それって制度(手続き)上での話でしかないですから。

そこわかってない人って多いのかしら。法学部で習わないの?。だとしたら大問題なんじゃないのかしら。

社会にとって本当に重要なのは、刑罰科料の決定とか、罰の重さという基準なんかじゃなくて。ヒトという種の生物がどうして犯罪をしてしまうのかという普遍性を持った分析によって原因を究明し、再発防止のために社会にフィードバックすることなはずなのよ。 でもそれは現在の司法制度の中には組み込まれていない。

ヒトという種の生物は、長く続いていることに観念的安心感を抱くと同時に、それを喪失することに対しても不安や恐怖を抱くようになります。ですから、「刑法懲罰に社会的価値はない。」なんて話を持ち出すと反射的に拒絶反応を示す人は少なくありません。

法律家の多くは、「法の支配」とか「法律さえ守らせておけば治安が守られる。」という観念に囚われ、法律というものが絶対的正義か何かと勘違いしているフシがあります。 自分が専門で取り扱っている分野だから事後正当化的に絶対的なものでなければ気分が悪いというバイアスがそうさせているのでしょう。

それって「基礎医学」だと称して普遍性のない議論をしている病理医と同じ精神構造じゃないんですか?。

こうした集団組織内部の特殊な偏った正義を振り回す性質こそが、原発の危険性を放置したり、人種差別とかイジメとかを引き起こす原因だと考えられるのです。 反論反証があればどうぞ。

論理的な反証反論なしに「仮説に過ぎない」と言い張ることなんてのは、むしろ「論理的根拠のない仮説。」にしかなっていないんですよ。 その方がより非科学的だってことに気付いてください。 それが出来ないのに科学的議論もすったくれもあったもんじゃありませんよ。



Ende;
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