AI研究者の松尾豊は「ヒトの脳は 具体的体験と言葉(抽象化)の二階建て」だとか言ってるんだけど
言語などの抽象化は別にヒト特有のものではない
シジュウカラの鳴き声に「文法」があることが発見されているし
カラスは数を数える
言語機能はヒト固有の性質ではなく ゴリラに手話を教えれば会話が成立する
言語抽象化を特別なものだと思うのは理論的に間違っており 抽象化はオカルトの原因ともなり 論理的真理の妨げともなるのである
「ヒトという種の生物」が「人間」足りうるためには自発的論理検証性という本質的意識が欠かせないものであり これは必ずしも言語などの抽象化が必要だとは限らない
そもそも「二階建て」の合理的根拠が何もない
脳は現実の体験を全て一回抽象化する
視覚認識野は様々なコラムへの信号伝達によって 見えたものを分類するのだが
「ネコ」と「ヒト」が区別出来たからといって人間性の論証にはならない
盲目的服従対象としての「権威」と「それ以外」を分類区別出来たからといって人間性の論証にはならないからだ
むしろ 民族国籍という抽象概念を絶対的なものだと「思い込み」差別排除に必死になっている差別主義とは抽象化の暴走でしかない
分類区別というのは脳が無意識に作り出す「感覚」であって 必ずしも論理的根拠が伴うものではない
抽象化によって促される「感覚」が作り出す錯覚を 錯覚と認識するのは自発的論理検証性であり これこそが「人間性」であり ヒト特有の能力なのである
論理的真理を見極められないのであれば そこに人間性は伴わない
Ende;
言語などの抽象化は別にヒト特有のものではない
シジュウカラの鳴き声に「文法」があることが発見されているし
カラスは数を数える
言語機能はヒト固有の性質ではなく ゴリラに手話を教えれば会話が成立する
言語抽象化を特別なものだと思うのは理論的に間違っており 抽象化はオカルトの原因ともなり 論理的真理の妨げともなるのである
「ヒトという種の生物」が「人間」足りうるためには自発的論理検証性という本質的意識が欠かせないものであり これは必ずしも言語などの抽象化が必要だとは限らない
そもそも「二階建て」の合理的根拠が何もない
脳は現実の体験を全て一回抽象化する
視覚認識野は様々なコラムへの信号伝達によって 見えたものを分類するのだが
「ネコ」と「ヒト」が区別出来たからといって人間性の論証にはならない
盲目的服従対象としての「権威」と「それ以外」を分類区別出来たからといって人間性の論証にはならないからだ
むしろ 民族国籍という抽象概念を絶対的なものだと「思い込み」差別排除に必死になっている差別主義とは抽象化の暴走でしかない
分類区別というのは脳が無意識に作り出す「感覚」であって 必ずしも論理的根拠が伴うものではない
抽象化によって促される「感覚」が作り出す錯覚を 錯覚と認識するのは自発的論理検証性であり これこそが「人間性」であり ヒト特有の能力なのである
論理的真理を見極められないのであれば そこに人間性は伴わない
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