書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○区別。

2019年04月12日 13時06分40秒 | 意識論関連
以前 芸人の又吉君が「ヒトは進化すれば幸福になる」的な事を言っていたことがあるんだけど

遺伝的進化と幸福とは関係がないので 進化したら幸福になれる論理的根拠なんぞありゃしません

いや 又吉君は文学芸術作家さんなので別に科学的根拠に基づいた事しか言っちゃいけないわけではないんだけれど

論理的に物事を検証するのが苦手な文系の人達って 何か遺伝的進化さえすればあらゆる問題が解決するかのように錯覚しているフシがあって

それが優生学なんつうオカルト観念を大多数の生物学者達が鵜呑みにしていた要因にもなっているのではないかと思うのだ

生物学者がオカルト観念を鵜呑みにしてたらマッドサイエンティストにしかならんからな

科学者以外が気分的に安心しているからって 科学的根拠をすっ飛ばしてたら危なくてしょうがない

科学とか哲学ってのは大衆迎合じゃありませんから 大衆マスコミからウケが悪くても職業科学者は論理科学的に正しいことしか言っちゃいけない

そりゃ 間違うこともあるかも知れないけど 少なくとも論理的に証明されていることを無視することは社会安全性に重大な危険回避可能性を放置する原因になるから たとえ自分の権威性や既得権益に害を為すとしても 間違いは認める必要性がある

「君子豹変す」っていうのは 多数大衆からのウケを基準にせず 責任ある判断によって自らの間違いを訂正する勇気が必要だって意味であって

養老孟司みたいに行き当たり場当たり的に論理整合性のない話ではぐらかすことじゃありませんよ

 ◇

幸福の正体とは何かって言えば 要は脳内麻薬でしかないんですけど

それなら脳内麻薬が促す先天的行動習性のままに行動すれば幸福になれるのかと言えば なれないんですね

遺伝的な進化というものは あくまで生存価にとって有利かどうかであって 主観的に幸福かどうかとは関係がない

どんなに不幸を感じようとも「死ななきゃ生存」だし 逆に幸福でも死んでしまえば淘汰される

先天的本能習性によって促される行動バイアスとは 脳内麻薬によって作り出されているのであって 目先の快楽を追求すれば「深夜の渋谷で軽トラ転覆させて喜ぶ」だとか「凶悪犯は死刑にしちまぇ!」って多数派で共鳴して喜んだりする

でも そういう目先の快楽 脳内麻薬によって作り出される感情気分というものに流されることなく 客観的視点から合理性のある社会安全性を追求することこそが 本当の人間としての倫理であって 客観性というものは本能とは全く逆のものなんですね

論理的客観性というものは ヒトの脳では簡単に失われます

だから詐欺に騙される

「凶悪犯は死刑にしちまぇ!」っていう梅沢富美男の意見に同調している短絡的なバカ程詐欺られやすいし

渋谷で軽トラ転覆させて喜んでいるようなバカ程詐欺に利用され易い

「頭の悪さ」とは 先天的な本能習性が促す行動バイアスという無意識性に抗う本質的意識がない状態なわけです

「いや ちょっと待てよ これで本当に良いのか?」っていう考えの深さ 自己検証性というものがない状態がバカなわけです

論理的思考の出来ない人というのは 目先の気分感情が優先してしまうことで 論理的客観性が働かないんですね

野良猫が「地域猫」としてヒトの住む街でも共存できるのは 先天的本能習性としての行動バイアスのまま行動しておいても 概ね馴染んで生きていけるからなんですけど

それでも不妊手術や予防接種などは必要となる

先天的本能習性というものにはそもそも目的がありませんから ヒトの場合は状況によって「軽トラ転覆」みたいな暴動を引き起こす暴徒集団が形成されることもある

先天的本能習性というのは 「何となくそっちに行きたくなる」ような誘導を促すだけであって その先に暴走破綻があるとしても 誰も止めてはくれないし 止めるのはむしろ自己の客観性だけなんですね

予め神様的なものが頑丈な線路を敷いてくれてあって 自動的に常に正しい結果になるよう誘導してくれるわけではない

「自己客観性というものがヒトには存在する」という点においては スピノザ的な神によるものだと言っても良いかも知れませんけど その与えられた自己客観性を発揮するべき主体は神じゃなくて自己というヒトなんですね

スピノザの神はなぁんにもしてくれない

パレスチナで赤ん坊が丸焦げにされていても 何にもしてくれない

主体的に「本当はどうするべきなのか」という目的意識が誰にもなければ ヒトという種の生物の先天的欠陥をリカバリーすることはできませんから 暴走破綻にも簡単に陥ることになる

感情気分的なバイアスに随って刑罰をどんなに重くしても 犯罪の論理的原因究明にも再発防止にもならないのに ハムラビ法典(*:紀元前1792年から1750年にバビロニアを統治したハンムラビ王が発布した法典)以来報復懲罰を短絡的に正義だと誰も疑わずに 不毛な因習を漫然と続けているのは ヒトという種の生物の先天的欠陥に起因するものだと言えます

「懲罰は報復ではない」と言い張る学者もいますが 論理的根拠が全く示されていません

実際に服役による再犯率が1/2近くもあり 治療にも予防にもならない懲罰の無効性は統計的に立証されており 社会安全性にとって決して唯一絶対的な有効性が立証されているわけでもありません

ましてや自暴自棄な通り魔やテロリスト達に対しては 刑罰は抑止力にさえなりません



死刑や刑罰という淘汰圧力を加えておけば 社会から犯罪者が減るような「進化」が促されるでしょうか?

もし 犯罪者に共通する遺伝的要因のようなものが特定された場合 先天的に犯罪者になりやすい遺伝子を持っている人を全員殺害したり 断種すれば「進化」するとでも思っているんでしょうか?

いや その発想こそが非人道的なんですよ

たとえ先天的に犯罪者傾向がある遺伝子を持っているとしても 必ずしも犯罪者になる訳ではありません

なぜなら ヒトは環境要因によっても大きく人格に影響を受けるからです

もし遺伝的に犯罪傾向があるなら 犯罪者家系のようなものが出てくるはずですが そんなデータはないんですね

犯罪者傾向があるとしても その全てが犯罪者になるわけではない

それなら 後天的な教育環境こそが重要なのであって 先天的遺伝要因を根拠に差別することの方が人間性を欠いています

そもそも遺伝的要因は自分では選択不可能なものであって それを根拠に差別するのは人間性に欠けています

本当に「区別」すべきは 科学者や哲学者でありながら 論理的根拠に基づいた論証を無視するような無責任なバカを学界から排除するべきです

そもそも論理的思考が成立していない奴が自然科学や哲学に携わっていても 百害あって一利もありませんから



 ○偉人?。

文系観念上だと歴史上記録に残っている為政者の類を短絡的に「偉人」って形容するんだけど

戦国武将の類って 今で言えばアフガニスタンの軍閥みたいなもんで 主観的好き嫌いのいがみ合いに民衆を巻き込んでいた奴ばっかなんだよね

織田信長なんて ちょっとノイローゼなんじゃなかろうかってくらいやっていることが身勝手で 到底人間として「偉い」なんて言えないと思うんだが

そういう分別を文科系大衆の多くは全く検証せずに 「歴史書に残っているから偉人」という短絡的発想で形容する

こういう短絡的発想を鵜呑みにしているから 「凶悪犯罪で歴史に名を残すぞ!」なんていうバカが出てくるんじゃないかと思っている

誰彼構わず「偉人」扱いするのは社会的に無責任



Ende;
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