書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○直接暴力さえ回避すれば人間性の論証になるわけではない。

2019年04月09日 13時58分33秒 | 意識論関連
先天的本能習性として 序列順位への欲求があり これが差別排除の源ともなる

チンパンジーが順位序列が上の個体に対して 歯を見せることで直接暴力を回避する習性があるとしても そもそも序列順位の欲求自体に人間性がないのであって

「直接暴力さえ回避すれば人間性の論証」になるわけではない

恐怖心を用いた威圧によって他者を服従させようとする行動自体に人間性が欠如しているのであって 直接暴力か形式的威圧かの違いは人間性とは何の関係もない

無駄な殺し合いをしないことが生存にとって有利に働いたとは言えるが それは無駄な殺し合いをした種が死滅した結果に過ぎず 個体種の意図や目的や合理性選択が介在する余地はない

ヘイトスピーチが「直接暴力を用いていない」からといって人道的に正当であるとは言えないのである

ヒトという種の生物には 他の類人猿と同様に順位序列に執着する性質があるが この性質によって統率的協調性が発揮され 生存にとって有利に働いたとは言えるが

「生存にとって有利に働いた」のも結果であって 意図目的とは関係がない

ヒトであっても先天的には順位序列に固執する性質があり これが「平等を嫌う」という非人間性の源ともなっているのである

ヒトは ヒトという種の生物は 他人を仲間同士で集団的に攻撃することで気分的に満足する習性があり 多数派に属さない少数派を集団組織的に排除差別することが快楽なのである

こうした習性は 子供のイジメであろうとナチスやISILのような大規模なテロリスト集団組織であろうが同じ習性が原因であることに違いはない

紛争の話になると あたかも地勢学的要因ばかりが最大要因のように語られることが多いのだが 実際には平和な日本国内でもイジメや差別は当たり前のように起こるものであり ヒト全般に見られる先天的習性にこそ紛争の最も根源的原因というものが存在しているのである

地勢学的リスクというのは あくまで傾向性には関係があるが 決して根源的原因ではない

ヒトはどうしても事象の規模を基準に分類しがちだが 子供のイジメであろうとテロや通り魔であろうと 実行しているのは個人であり たとえ集団であろうとも集団を構成するのは個人であることに違いはなく 集団に流されてしまうという主体性の欠如こそが問題なのである

原発の津波に対する脆弱性放置であっても 「個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと(国会原発事故調査委員会報告書より抜粋)」が原因であって あらゆる「人災」の全てには個人の主体的判断選択の欠如という無意識性が隠れているのである

 ◇

ヒトの意識の9割以上は無意識であると言われているが 1割にも満たない意識(自発的論理検証性)によってのみ 感覚(無意識)が促してくる錯覚妄想の類を錯覚妄想だと認識できるのであって

それは ヒトという種の生物における人間性を発揮できる意識は1割にも満たないという意味でもある

ヒトという種の生物の意識とは 9割以上はただの猿に過ぎず 1割にも満たない僅かな本質的意識によってのみ人間性を発揮することが可能となるのであって

決して「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている」とは言うことが出来ず

むしろ先天的には「非人間性が9割以上」だと言っても過言ではない

自己が 先天的に欠陥を持っていることを自覚し 無意識が促してくる感覚による錯覚に惑わされずに自律的に論理検証できてこその本質的な意識であって

「ヒトには先天的に人間性存在する」とは言えるかも知れないが それを発揮するためには無意識とは何かを論理的に理解認識する必要性がある

錯覚を錯覚であると認識できないバカに人間性が発揮できる訳がないのである



気分感情とは感覚である

客観的論理検証というものが主観的に面倒臭いからといって拒絶するのも「感覚」であり

権威や多数派の意見の方が正しいような「感覚」も その方が気分的に安心だからでしかない

権威とは あくまでヒトが盲目的に服従するために信用する対象を指しているだけであって 「科学的権威」などと形容されていたとしても それは科学的根拠があるわけではなく 文科系大衆観念上の分類に過ぎない

盲目的信頼は先天的欲求(主観)であって 科学的真理(客観)とは全く逆のものである

歴史をひもとけば 権威が地動説を火炙りにしようとするなどの暴挙は枚挙に暇がない

現代においても内部告発者は排除差別の対象となることは珍しいことでも何でもない

権威や多数に同調しておけば 気分感覚的には安心感が得られるが その「感覚」に無意識に流されているから真理を見失い 暴走破綻への歯止めが効かなくなるのである

「自分の脳は 自分で選択していない」という根源的原則に基づけば 何が本当の「自己」や「意識」なのかは自ずと導き出すことは可能であるにも関わらず

大衆の多く ヒトの多くは自己の意識の全てが意識の本質だという錯覚を認識しようとはしない

それは「怠慢」でしかないのだが

ヘイトスピーチに邁進しているバカにとっては 必死になって「怠慢」しているため 怠慢している感覚(主観)が欠如しているのである

どこぞの病理診断医のように「格好悪い」だとか「恥ずかしいからやめておけ」などという個人の主観的「感覚」に一体どれだけの社会的価値が存在すると言うのであろうか

無意識なバカ程強い感情や同調を伴うものである

だからイジメやテロは暴走するのである

ブレーキとしての「本質的な意識」が働いていないからである

ヒトとは そういう残念な生き物なのである



Ende;
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