書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○本当の異常者は誰なのか。

2019年04月18日 23時41分06秒 | 意識論関連
NHK Eテレ「フランケン:シュタインの誘惑」では 水爆開発の中心人物であるエドワード・テラーだけを根拠に「科学者だけが異常である」かのような形容の仕方をするのは論理が飛躍しており 番組制作者の主観的観念に基づいた科学者差別である

異常者というのは別に科学者に限ったものではない

文科系マスコミというのは 山極寿一京大学長や松沢哲郎などの生物学者達による「ヒトには先天的に人間性が組み込まれいているはずである」などという論理的根拠のない嘘は簡単に鵜呑みにしておきながら 特定の異常な科学者だけを根拠に あたかも「科学者の全てが異常である」かのような解釈を促すような形容の仕方は 非常に主観的身勝手で差別的発言であり無責任という他ない

取材調査による事実を公表することは良いことだが 論理的分析をせずに制作者の身勝手な主観的観念を基に根拠のない形容をするのは社会的に無責任である

人格異常というのはあくまで評価承認欲求中毒が原因であって 科学者であるかどうかとは関係がない



エドワード:テラーは晩年ピアノばかりを弾いていたという

テラーは純粋に水爆開発がしたかったのではなく 水爆開発によって「評価されること」が目的だったのである

これは 養老孟司が退官後に昆虫の研究ばかりしているのと同様に 脳についての支離滅裂な非科学的オカルト話をしたがるのも 論理科学的思考の出来ない世間大衆からの人気評価が目的だからである

本当に純粋に好きで研究しているのであれば他人からの評価に頼らず自律的判断が出来るが 他人からの評価を目的にしていれば自律が失われるのは必然である

科学者としてあるべき姿とは ガリレオ:ガリレイのように火炙りにされようとも科学的真理を主張することであり 遺伝子の研究で有名なメンデルのように生前誰からも評価されずとも生涯研究を続ける姿である

文科系マスコミ制作者達の多くによる 主観的観念に基づく身勝手で無責任な非論理的検証「評価」こそが 論理客観的真理を見失わせるものであり

社会安全性にとって重大な悪影響を及ぼす要因でもある



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