統合性のある論理的検証というものをせずに 特定の事柄だけを基準にした無責任な「評価」というものを 文科系大衆やマスコミは平気でする
水爆開発に異常執着した科学者を取り上げて あたかも「科学者だけが異常である」かのように形容したり
武力による支配地域や権力の拡大だけを取り上げ「偉人」扱いしたりするのは
社会安全性という人間としての目的を蔑ろにした身勝手で無責任な観念である
人間としての「目的」とは 社会安全性である
安全性というのはヒトのあらゆる行為の基盤であり 安全性無くしてどんなに世間的に成功しても意味がないのである
ヒトの多くは 権力者や金持ちや人気者を短絡的に「偉い」と形容するが 単に権力を持っただけでは人間性の論証には全くならない
金と権力と人気だけなら ナチス政権下のヒトラーにもあったのである
歴史書の多くでは ナチス以前の武力支配や侵略はやたらと英雄扱いするが 武力による覇権争いである以上 残虐であることに違いなどない
ヒトの残虐性というものを 英雄扱いによって美化するような無責任で身勝手な分析に基づいた形容をしているからこそ 権力や金や人気取りこそが人間としての価値であるかのような錯覚をもたらし 世間的成功や多数からの評価や報酬ばかりを人々は追求するようになってしまうのである
やれピュリッツア賞だの文化功労賞だのといった文科系大衆観念に基づいた非論理的評価というものは 内容に社会安全性に対しての配慮が全く欠けており 極めて無責任な「お伽話」「お花畑」妄想にしかなっていない
「数人殺せば殺人犯だが 数万人殺せば英雄」扱いするような支離滅裂な「評価」こそが 意味の解らぬ犯罪者の犯行動機に結びついているのであって
「多数派の間違いであれば 罪が薄まる」かのような まるでサブプライム金融のような無責任さを 大衆は発揮していると言える
「一つの重大事象の陰には 無数の小さな事象が隠れている」 これはハイリッヒの法則である
テロや通り魔などの残虐な行為の陰には 無数の大衆の中の小さな残虐性や非合理な支離滅裂さが隠れているのである
自分自身の中にある異常性や非合理性や残虐性というものを 自律的に認識していないからこそ 「こんな奴は死刑にしちまえ!」などという短絡安易な最終解決に同調して満足するという非合理な行動にも疑問を持たなくなる
相模原障害者施設虐殺事件の植松聖の異常性の源というのは 本当は統合的論理検証を著しく欠いた文科系大衆観念の中にある
「ヒトという種の生物」は先天的に「人間としては欠陥品」なのである
ヒトという種の生物は 自然現象に過ぎない遺伝的進化の「結果」でしかなく そこに目的関数のようなものは存在しておらず 不条理な欠陥があっても何の不思議もない
「東京大学名誉教授」や「京都大学学長」などという肩書さえあれば 人々は短絡的に「頭が良い」とか「偉い」などと思い込むのであろうが その短絡性こそが無責任な大衆観念的「評価」を作り出し 様々な「人災」に対する再発防止への論理的分析を阻害しているのである
科学や哲学というのは 純粋に論理的に真理を探求するものであって 世間的評価や人気というのは芸術やスポーツ競技で競えば良いのである
真理というものは安全性に直結しているからこそ 公金を用いて行われる価値があるのであって 大衆人気を目的に科学的論理検証を蔑ろにしているのであれば公金の無駄遣いであり 科学者や哲学者としての「背任」でもある
それが罪に問われないのは 単なる脱法詐欺に過ぎないからだ
Ende;