書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○岸見一郎。

2019年04月22日 23時03分54秒 | 意識論関連
岸見一郎は「自分一人では生きて行けない」と説くが

これは生存を目的にしているから出てくる理屈であって 自分が生き続ける上において他者が苦しむような社会に生き続ける意味がないからこそ自律的に社会安全性を求めるのである

安全で持続可能性を追求しない社会で 自分が生き続ける理由がないからである

ナチス政権下でナチスに反対すれば生き続けることにおいて不利になる それでもなを自律的に社会的責任判断をする上においては「自分が生きてゆけるか否か」は基準にならないし してはならない

 ◇

「承認」ではなく「貢献」によって自分の価値を 実感する勇気』という記事タイトルも出てきたが

「自分の価値」も「勇気の実感」も単なる身勝手な気分的自己満足に過ぎない

社会安全性というのは主観的自己満足(感覚)でどうにかなるようなものではなく

どうでも良い話である

ヘイトスピーチをやっているやつらもテロリスト達も本人的には社会貢献のつもりでやっているのである だから「人類の救済」だと言い張る

合理的根拠もなしに観念的気分で「貢献」されても迷惑にしかならない

「自分の価値」など どうでもよろしい どうせ死ねば何にもならん

主観的気分だけなら「お前ら死ね」と思っていても構わない

思うだけなら どんなに強烈に「思って」も人畜無害だからである

重要なのは あらゆる感覚的「錯覚」に惑わされない論理客観性であり

そのためには主観と客観を明確厳密に区別する必要がある

それを行うのは「感覚」ではなく 理性なのである



Ende;
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○崇高であるという錯覚。

2019年04月22日 12時57分38秒 | 意識論関連
イヌというのは育て方によって性格が大きく異なる

それはイヌというのは先天的に統率的協調性を発揮するための服従性があるため順位序列への異常執着があるためだ

イヌは平等が嫌いなのだ

ある程度厳しい訓練(首輪のリードを強く引くなど)によって イヌは飼い主の方が順位序列が上であるという「区別」をするようになり 無駄吠えもしなくなったり従順にヒトに従う扱い易い性格にもなる

この場合のイヌの「区別」とは ニューラルネットワークAIのディープラーニングにおける「区別」と同じものであり イヌというのは先天的に服従すべき自分よりも上位の対象を求める目的関数(バイアス)が組み込まれていることにより 統率的協調性を結果的に発揮するのである

AIがヒトとネコを区別するのと同様に イヌは服従対象かそれ以外かを区別するよう「学習」するのである

AIの場合はヒトが正解を予め用意して学習させるのだが イヌが服従対象を区別するのはイヌの脳には先天的に服従統率へのバイアスが進化の過程で組み込まれているため 何が何でも自分と他者との間に順位序列を決定しておかないと不安で仕方ないのである

だからイヌは平等が大嫌いなのである

イヌは自分よりも順位序列が上とみなした相手に対して異常なまでの快楽を感じる習性があり これはヒトにおいては「カッコイイ」といった観念となって現れる

こうした「カッコイイ」という観念の究極が「神」という究極の服従対象として感覚的に「感じる」のであって 神というのは進化の過程で統率協調性を発揮する過程で組み込まれた感覚が作り出す錯覚に過ぎない

ヒトの左側頭葉の一部に強力な磁気刺激を与えると神を「感じる」ことがあるという

この快楽はイヌが服従対象に「感じる」快楽と構造的には同じものである

「宗教とは もっと崇高なものだ」という説もあるが 「崇高さ」とは感覚的なものであって科学的に崇高であることを証明することは出来ない

崇高かどうかは主観的感覚であって 客観的には論理的に説明することなど出来ないのである

イヌが服従対象に服従していれば安心なのと同様に ヒトは神に服従していれば気分的に安心満足することが出来るのである

ユダヤ人がユダヤ教の戒律にさえ従っておけばパレスチナ人を迫害しても平気でいられるのは 先天的本能習性としての統率的協調性によって客観的自律判断選択能力が失われているためである

戦争などの殺し合いをする際に 個人が自律的に人間性や倫理を発揮していたのでは戦争に「勝て」ない

戦争という淘汰圧力においては個人が自律的に社会安全性を求めるような判断力を持った個体は死滅する方向にしか働かない

イヌのように統率的協調性を発揮することで盲目的に暴力性を発揮出来る個体種ほど 戦争では「勝て」るからである

軍隊というのは こうしたヒトの先天的本能習性としての盲目的服従性を最大限発揮させるように訓練された集団である



だが しかし ヒトには客観的論理検証性というものが僅(わず)かながらな存在しており 戦争暴力による支配に社会持続可能性が存在しないことを認識する能力も 多少はある

盲目的に暴力によって殺し合いをすることが 人間として間違っていることも認識できるため 暴力を用いない人間性に基づいた服従対象の理想としての「神」を求めることもある

平和的平等を説くような人間性を伴った 人間としての理想的服従対象としての「神」への服従を誓うことによって 暴力によって一方的に征服支配を促す野蛮な支配者への服従統率を避けることも可能となる場合もある

しかし 宗教というのはそもそも論理的検証に基づく判断を伴うものではなく 気分感情的に安心するためのものに過ぎないため 逆に暴力的支配者への同調迎合を促すために用いることも簡単なのである

振り込め詐欺に騙されているヒトは 銀行員に「あなた騙されてますよ」と諭されても 「何でも良いから振り込め!」などと逆ギレしたりするのは 騙されているヒトだけが特異にバカなのではなく こうしたバカさというのはヒトという種の生物全般に普遍的に見られる先天的なものなのである

DV男に異常執着する女性も 「感覚」が促す錯覚によってDV男への執着心(中毒)が生じているためである

吊橋効果と同じように 危険な相手に対する脈拍数や血圧の上昇による「感覚」を恋愛感情と錯覚している可能性も充分にある

主観的「感覚」に頼ってしまうことで ヒトは論理的客観性を失い 錯覚を錯覚だと認識できずに無意味な暴走破綻に突き進んでしまうのである

「ヒトの意識の9割以上は無意識」というのは ヒトは基本的に動物であるため 主観的気分感情が意識のほとんどを支配しているためである

たとえどんなに強く「感じ」たとしても 「感覚」である以上合理性はない

エスカレーターで歩くことを 「長い間に築かれた常識」などと称して危険な因習を正当化したがるのも 主観的「感覚」が促す錯覚に他ならない



Ende;
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