脳卒中をやっつけろ!

脳卒中に関する専門医の本音トーク
 最新情報をやさしく解説します 

訃報

2013年10月30日 | その他
私が最も尊敬する先輩、濱田潤一郎先生がご逝去されました。
先生にはこれまで多くのお言葉を頂き、いつも励まして頂きました。
ご病気から回復され、涙ながらに握手して頂いたことが忘れられません。
先生から頂いた最後のメールも励ましの言葉でした。
これまで本当にありがとうございました。
安らかにお眠りください。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新世代プラークイメージング | トップ | 兵庫医科大学脳神経外科同門会 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お世話になりました。 (濱田康輔)
2013-11-29 18:11:41
父がお世話になりました。
返信する
濱田潤一郎先生からのメッセージ (はまゆう)
2013-12-15 17:19:18
本日12月15日は、濱田潤一郎先生の七七日忌ですね。
改めて、濱田先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。

私自身は、「中日新聞」10月30日(水)朝刊の訃報欄で、
濱田先生が10月28日(月)にご逝去なさったことを知りました。
吉村先生のブログにも、深い哀しみとご冥福をお祈りするお気持ちが切々と
綴られていて、何度も何度も読み返しました。


個人的なお話で恐縮ですが、濱田先生のご命日が私にとって忘れられない日と
なったのは、訃報欄掲載の前日10月29日(火)の各紙に、
「あなたが脳卒中を考える日。本日、10月29日は、世界脳卒中デーです。」
との大きな見出し記事が掲載され、
2008年10月28日(火)に脳梗塞(心原性脳塞栓症)で亡くなった母のことを、
改めて思い浮かべていたからです。

                 *

「薩摩武士の末裔で、昔の武者もこうあったろうと思わせる気骨と潔さを持った先生」
(神野正博氏のブログ)であるとともに、
豪放磊落、底抜けの明るさも併せ持っていらっしゃった濱田先生の人としての魅力、
医師としての度量を、かつての吉村先生のブログ記事から、想起させていただいて
いました。

濱田先生が「お好きだった良寛の句」――
「散る桜 残る桜も 散る桜」も挙げていらっしゃる神野氏のブログには、
濱田先生が「北陸の脳神経外科の発展にまさに粉骨砕身された」ことに加え、
「脳卒中地域連携クリティカルパスの作成と運用に連携協議会のスーパーバイザー」
をお務めになり、
「能登の地で発症した脳卒中の9割の患者さんが、プロトコルにもとづいた
連携パスに乗っています。このカバー率は日本一だと思います」
とも綴られています。


ご生前、お目にかかる機会はありませんでしたが、吉村先生のブログのお蔭で
<出逢った>濱田先生の医師としての素晴らしい理念と活動と業績に、僭越ながら、
心よりの敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

                 *

先日も、濱田先生ご自身が綴られた文章を目にする機会あり、深い感動の念を
覚えました。
濱田先生の七七日忌にあたり、ここに紹介することをお許しいただければ幸いです。


ブログ「産科医療のこれから」
http://obgy.typepad.jp/blog/2007/07/post_5b1c.html
に掲げられていた濱田先生の「『硫黄島からの手紙』の味わい」
(「脳神経外科」35巻6号 2007年6月 p536-537)は、クリント・イーストウッド監督の
映画『硫黄島からの手紙』を「是非とも観たい」と映画館に足を運ばれた濱田先生が、
深く感銘を受けられ、ご専門分野に重ねて綴られた文章です。


   「自分たちが、1日でも長く島を守ること、それがすなわち、本土にいる家族を
  守ることなのだ」 その思いが、水もない劣悪な環境下で、栗林中将以下の将兵
  を奮い立たせた。圧倒的な兵力差がありながら、激闘は実に、36日間続く。
  「生きて返ることができない」必敗の戦場で飢えと渇きの中、戦って散って
  いった多くの男たちがいた。最後まで家族を思い、島に散っていった彼らの
  戦いは今、私たちに何を語りかけてくるのだろうか。


「飛躍しすぎかもしれないが」とことわった上で、濱田先生は、
「今急速に破綻に向かっている日本の医療と硫黄島の戦いが重なり合ってしまった」
と記していらっしゃいます。


  患者はだれでも熟練者に治療を受けたいと思うが、だれかが未熟な医師の治療を
  受けなければ、永遠に熟練者は生まれない。(中略)研修中は指導医がついて、
  万全の態勢で安全をはかるが、人間のすることだから、百パーセントの安全を
  保証することはできない。その犠牲を拒んでいては、一人前の医師を育てること
  は不可能である。だから、万一の場合の保障を充実させる。マスコミはその
  万一の場合が許せないと騒ぐが、専門家がベストを尽しても、危険率をゼロに
  することはできない。それを無理にでもゼロにしようとするには、当方もない
  努力とお金が必要だ。それよりも無過失補償制度を充実させることのほうが、
  はるかに重要で建設的だと思う。
   いかに外圧が理不尽であろうと、日本の脳神経外科医療を守るために、
  われわれ脳神経外科医は黙々と働き続けて散って行く以外にはないことを
  「硫黄島からの手紙」を観て思った。そして、前線部隊の指揮官としては
  自らが先頭に立って奮戦しなければならないと思った。また、自分のこうした
  思いを共有していてくれると信じるに足りる教室員たちをもったことを少し
  誇らしくも思った。



このように、「医療に要求される典型的な二律背反の1つ」を、
「脳神経外科」という「訴訟のリスクの高い科の医師」として、煩悶しながら生きて
こられた濱田先生のお言葉は、ずっしりと重く、
脳神経外科の先生方への温かい眼差しと深い愛情に満ちていらっしゃると言える
のではないでしょうか。


文章の最後に引用されている栗林中将の「最後の出撃」の際の「別辞」――

「日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対して
涙して黙祷を掲げる日がいつかくるであろう」


この言葉こそ、全国の脳神経外科の先生方に遺された、濱田先生のメッセージであると思われてなりません。

「日本国民」を、私たち患者やその家族、
「忠君愛国」を、生命を愛し医療に従事する精神と読み替えると、
全身全霊で救命に臨む先生方への私たちの感謝と敬意が重ねられているようです。

                 *

多くの医師を育て、多くの生命を救ってこられた脳神経外科医、
濱田潤一郎先生の七七日忌にあたり、
吉村先生のブログ愛読者のひとりとして、皆様に濱田先生からの<メッセージ>を
お伝えできればと、僭越ながら、切に願っています。


私たちに生きる勇気を与えてくださった濱田潤一郎先生――
これからも脳神経外科の先生方を見守り、励まし・・・、脳卒中に苦しむ多くの
患者さんとご家族の皆さんを、これからも救ってくださるにちがいありません。


   ・・・濱田先生のご冥福をお祈りし、心をこめて・・・合掌・・・




返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

その他」カテゴリの最新記事