簾 満月「バスの助手席」

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毛越寺

2016-12-14 | Weblog
 平泉では「中尊寺」と並び称される有名なお寺が「毛越寺」である。
古くは「もうおつじ」或いは「けごしでら」などと呼ばれていた時期が有ったそうだが、
今日では「もうつうじ」が定着した呼び名である。



 「毛越寺」は嘉祥三(850)年慈覚大師円仁により開山されたお寺で、その後、藤原
氏二代・基衡と三代・秀衡の時代に再興が進み、多くの伽藍が造られた。
往時は堂塔四十余宇、僧坊五百を超え、中尊寺を凌ぐ規模と華麗さを誇っていた。



 そういえば、先ほど訪ねた「高館・義経堂」の券売所の男性が、「ここは毛越寺が
管理する場所だ」と言い、「当時は寺域も広く、その勢力は中尊寺を凌いでいた」と、
誇らしく語っていた。



 藤原氏の再興により一時は栄華を極めたこの寺も、藤原氏の滅亡後は頼朝が武
門の祈願所としたものの、次第にその勢力が衰え、さらに度重なる戦火や、三度の
火災に会い、建物などすべてが焼失した。



 実はこの「毛越寺」には創建当初からの伽藍らしい建物や、仏像・仏具・経典等、
何も残されてはいず、殆どが焼けてなくなったのだそうだ。
境内では江戸時代に再建されたと言う常行堂が一番古い建物であるが、それ以外
残されたのは「大泉が池」と呼ばれる池と、放置されるがままの広大な荒れ地だけ
であった。



 そんな地を、昭和29年から5年間にわたり全面的な発掘調査が行われた。
その結果毛越寺の規模や建造物の構造、池とのかかわりなど寺域の全容がほぼ
解明された。

 それらの遺構は旧来を彷彿させる姿を留めており、「吾妻鏡」などの古文書の記
述と合致することなどから、伽藍の復元図が起こされた。(続)






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