簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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間の宿・有松 (東海道歩き旅・尾張の国)

2022-06-15 | Weblog
 間の宿とは、宿場間の距離が長い場合や、峠越え、川越えなど難所に
臨む地などに便宜上設けられた休憩の場である。
従って宿とは言え、この地で宿泊は許されてはいなかった。
知立から鳴海の間が2里半12丁(およそ11㎞)もあり、有松に間の宿が
開かれた。



 桶狭間の合戦の折、信長が軍勢を整えたとされる大将ケ根(たいしょ
うがね)の交差点で国道を離れ、旧道に入り込む。
藍染川に架かる松の根橋を渡ると、落ち着いた平入りの町並が現われる。
名鉄有松駅の南を抜ける旧東海道筋は、駅を中心に東西800m程の間の電
柱が地中化され、車も一方通行に規制された通りと成っている。



 「鳴海より一里ばかり東にあり。細き木綿を風流に絞りて、紅藍に染
めて商うなり。この市店十余軒あり。」言われた有松村は、次の鳴海村
と共に、「絞り」が知られた土地柄だ。
安藤広重の東海道五十三次では、「鳴海 名物有松絞」の画として、宿
場町・鳴海ではなく、間の宿・有松が描かれている。



 街道には有松絞りの店が二軒並び、店先には絞り染めの布地が飾られ、
駕籠や馬で街道を行き交う旅人が描かれている。
旅の女性が笠を持ち上げ、欲しげに眺める様子が印象的な画である。



 今でこそ高級品のイメージが定着しているが、江戸時代には手ぬぐい
や浴衣に加工され、東海道を旅する人々の土産として人気を博していた。
十返舎一九の描く、あの弥次さん北さんも、擦った揉んだの挙げ句、二
尺五寸の手ぬぐいを買い求めている。



 有松の絞り商の栄華の歴史は、街道沿いに建つ今日に残された商家群
を見ると良く解る。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された町並
には卯建の上がる重厚な日本家屋が連なり、見応な家並みが続いている。(続)





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