街道ウォーク<旧中山道<日本橋~大宮宿(駅)
2012年3月8日 1回目
マンホール・歩道タイル(戸田市)
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<日本橋~大宮宿(駅)
2012年3月8日 1回目
マンホール・歩道タイル(戸田市)
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<日本橋~大宮宿(駅)
2012年3月8日 1回目
水神社 (埼玉県戸田市川岸)
創立など詳しいことはわかりませんが、正面の「水神宮」の碑には寛政八年(1769)の銘があります。 古くは荒川の端にあったもので、新堤防ができてから移され、川岸に住む人々の氏神様のようになっています。 境内の正面には、「水神宮」や「船玉大明神」(船の守り神)と刻まれた大きな石碑が鎮座しています。また、「山王大神」や、茨城県の大杉神社から勧請した「大杉大神」(航海安全の神)などの石碑も合祀されています。 この神社の祭礼は、7月14日、15日ですが、最近ではその日に近い日曜日に行われています。昔は、その年にはじめて採れたキュウリをこの水神社に供え、この後に荒川に流してからでないと泳ぐことができないとされていました。 平成8年 戸田市教育委頁会
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<日本橋~大宮宿(駅)
2012年3月8日 1回目
渡船があったと思われる地点
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<日本橋~大宮宿(駅)
2012年3月8日 1回目
戸田渡船場跡
埼玉県戸田市川岸3丁目
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<日本橋~大宮宿(駅)
2012年3月8日 1回目
歴史のみち 中山道のご案内
ここから階段を下りて東側へ約13m先へ進むと「歴史のみち 中山道」があります。中山道は、江戸日本橋を始点として慶長7年(1602年)に整備が始められ、第一の宿場である板橋宿を過ぎ、次の蕨宿との間にあるのが荒川(戸田川)にあった「戸田の渡し」でした。戸田渡船場跡から北に約200mほど残るこの中山道の道筋は、文化3年(1806年)に作成された「中山道分間延絵図」にその様子が描かれています。また、天保13年(1842年)「中山道戸田渡船場微細御書上」によると、渡船場には家数が46軒あり、渡し口には渡船を取り仕切る川会所がおかれ、街道筋には渡船にかかわる家々や旅人を相手に商う茶屋などが建ち並んでいました。現在もその様子が残っており、周辺には水神社や地蔵堂があります。
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<日本橋~大宮宿(駅)
2012年3月8日 1回目
戸田橋
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<日本橋~大宮宿(駅)
2012年3月8日 1回目
船渡の板碑
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<日本橋~大宮宿(駅)
2012年3月8日 1回目
清水坂
日本橋を旅立ち旧中山道で最初の難所。隠岐殿坂、地蔵坂、清水坂と、時代と共にその呼び名を変えました。この坂は急で、途中大きく曲がっていて、街道で唯一富士を右手に一望できる名所であったと言われています。坂の下には板橋・蕨両宿をつなぐ合(あい)の宿があり、そこには志村名主屋敷や立場茶屋などがあって、休憩や戸田の渡しが増水で利用できない時に備えの場所として利用されていました。この辺りは昭和30年代ごろまでは旧街道の面影を残していましたが、地下鉄三田線の開通など、都会化の波によってその姿を変えました。 平成12年3月 板橋区教育委員会
説明板より
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<日本橋~大宮宿(駅)
2012年3月8日 1回目
日本橋から15km
cosmophantom