街道ウォーク<旧中山道<大宮宿(駅)~熊谷宿(駅)
2012年3月22日 2回目
JR高崎線熊谷駅
行田駅←熊谷駅←本庄早稲田駅
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街道ウォーク<旧中山道<大宮宿(駅)~熊谷宿(駅)
2012年3月22日 2回目
JR高崎線熊谷駅
行田駅←熊谷駅←本庄早稲田駅
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2012年3月22日 2回目
八丁の一里塚跡 16里
埼玉県熊谷市曙町4
曙公園内
久下新田の一里塚から、ここまで1里ある。いま英泉描くところの「八丁堤の景」という浮世絵があって、当時の風景や風俗を偲ぶことができる。昭和六十年11月17日 熊谷市教育委員会 熊谷市郷土文化会
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2012年3月22日 2回目
元荒川ムサシトミヨ生息地
川は、水草がゆらめく清流で、住宅地をぬって大きく曲がりながらさらさらと流れています。その様子は、まるで童謡の「春の小川」を思い出させます。ムサシトミヨは、体にトゲをもつ体長が3~6センチメートルの小さな魚で、小鳥のように巣をつくり、オスが子育てをする珍しい魚です。県指定天然記念物
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2012年3月22日 2回目
道標
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2012年3月22日 2回目
久下新田一里塚 15里
江戸の日本橋を起点する中山道は、板橋・志村を経て戸田の渡しから埼玉県へ入る。慶長9年(1604)幕府は、大久長安に命じて、この街道に一里塚を築かせた。一里塚は道の両側に方五間(9m四方)の塚を築き、その上に榎や欅を植えたもので、街道に風情を添え、旅人には里程の目印になったり憩いの場所にもなった。 柳樽には、“くたびれた奴が見つける一里塚” という句もある。 昭和60年11月17日 熊谷市教育委員会 熊谷市郷土文化会
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2012年3月22日 2回目
荒川土手
▲決壊の蹟
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2012年3月22日 2回目
権八地蔵 (市指定有形民俗文化財)
元禄11年(1698)造立された地蔵であり、江戸時代平井権八の物語と結びつけた「物言い地蔵」として有名です。石地蔵としては、県内最古のものと推察されています。 江戸時代、江戸から中仙道を進んでいた平井権八が、久下堤で信州の商人に遭遇し、その商人の持金を奪って殺してしまった。ふと傍を見ると石地蔵が立っていることに気づいた。権八に良心が甦ったか地蔵に向かって「このことは、誰に言ってくれるな」と、地蔵は「我は言わぬが汝言うな」と口をきいたという逸話が言い伝えられています。吹上(現、鴻巣市)においても権八地蔵という名の地蔵が存在しますが、平井権八の伝説よりも後の時代の建立であると言われています。元々、権八地蔵は、久下堤防上にありましたが、堤防の改修により久下上区の人家に移された後、昭和32年、地元の人々の協力でお堂が建てられ、そこに安置されることになりました。
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間いの宿「ふきあげ」
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2012年3月22日 2回目
前砂一里塚跡 14里
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2012年3月22日 2回目
熊谷までの様子
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