街道ウォーク<旧中山道<大宮宿(駅)~熊谷宿(駅)
2012年3月22日 2回目
木戸跡(桶川宿)
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街道ウォーク<旧中山道<大宮宿(駅)~熊谷宿(駅)
2012年3月22日 2回目
木戸跡(桶川宿)
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街道ウォーク<旧中山道<大宮宿(駅)~熊谷宿(駅)
2012年3月22日 2回目
上尾市から桶川市へ
▲上尾市上(かみ)
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2012年3月22日 2回目
北上尾駅
埼玉県上尾市原新町
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2012年3月22日 2回目
上尾宿案内板と平成の道標
▲この案内板の屋根には鍾馗様
上尾宿の歴史
上尾宿は、日本橋から九里十六町のところにあり、中山道の5番目の宿場であります。宿場として発達したのは、江戸時代初期の伝馬制度施行以降で、江戸後期になると紅花の産地として有名になりました。上尾という地名については、歴史的な根拠を持つものはありませんが、鴨川と芝川の間の小高い地形からつけられたといわれています。
鍾馗様
鬼屋根瓦の家に対して鍾馗様を以て対峙する意味で置いたものです。これは中山道の他の宿場町では見ることができない上尾特有なものでした。鍾馗様は疫病神を追い払う神といわれています。
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2012年3月22日 2回目
庚申塚
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2012年3月22日 2回目
マンホール(あげお)
▲絵柄は大綱引き
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2012年3月22日 2回目
上尾駅 (JR東日本高崎線)
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2012年3月22日 2回目
上尾宿本陣跡 (埼玉県上尾市)
上尾市の市街の中心は、中山道にそった上尾宿をその源にしていますが、この上尾宿はすでに後北条時代に宿駅として成立したようです。宿駅として整備されたのは、慶長七年(1603)伝馬制施行以降のことです。幕府は中山道各宿駅には、五十人五十匹の人馬を用意させ、主要幹線路としての役割をはたさせました。また、各宿に本陣、脇本陣を置いて大名などの宿泊所としました。中山道を通行した大名は、加賀の前田藩をはじめ三十四家ほどでした。上尾宿は、中山道の中では比較的小さな宿場でした。江戸時代末の家数は、182軒、人口は793人、旅篭屋は、41軒でした。図は、文化三年(1806)完成の「中山道分間延絵図」に描かれた中山道上尾宿の中心部です。中央の太い道筋が中山道で、画面右が大宮方面、左が桶川方面になります。画面下側中央の鳥居が鍬大神宮(今の氷川鍬神社)、鍬大神宮の正面に本陣があり、その両側に脇本陣が二軒あります。その右近くには問屋場、さらに右に行くと道をはさんで両側に一里塚があります。鍬大神宮のすぐ右側にもう一軒の脇本陣が描かれています。上尾宿には本陣が一軒(林八郎右衛門)、脇本陣が三軒(本陣の右が白石長左衛門、左が井上五郎右衛門、向いが細井弥一郎)ありました。これらは主として参勤交代の大名たちの宿で、本陣のことは「大名宿」ともよばれました。脇本陣は副本陣のような性格をもち、本陣の代理もしました。 平成十一年三月 上尾市教育委員会
▲本陣跡は氷川鍬神社そば。
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街道ウォーク<旧中山道<大宮宿(駅)~熊谷宿(駅)
2012年3月22日 2回目
中山道道標
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街道ウォーク<旧中山道<大宮宿(駅)~熊谷宿(駅)
2012年3月22日 2回目
上尾市へ
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2012年3月22日 埼玉県
氷川神社
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町
2000年以上の歴史をもつといわれ、大いなる宮居として大宮の地名の由来にもなった日本でも指折りの古社。武蔵一宮として関東一円の信仰を集め、初詣には多くの参拝客で賑わいます。じゃらん
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2012年3月22日 2回目
氷川神社
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町
2000年以上の歴史をもつといわれ、大いなる宮居として大宮の地名の由来にもなった日本でも指折りの古社。武蔵一宮として関東一円の信仰を集め、初詣には多くの参拝客で賑わいます。じゃらん
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2012年3月22日 2回目
大宮駅
埼玉県さいたま市大宮区錦町
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