2014年12月28日 和歌山県
根来寺 国宝 重要文化財
和歌山県岩出市根来
高野山僧の間で権勢を奮っていた覚鑁(かくはん)上人は、羨望の的となり教義対立から高野山を追われ、根来に逃れてきました。
その覚鑁の志を受け継ぐ弟子達により、約100年後に再興されました。戦国時代に僧兵1万余りを率いて根来衆としてその名をとどろかせましたが、豊臣秀吉に敗れ、現在は多宝塔と大師堂だけが当時の権勢の名残をとどめています。和歌山観光協会
大門 県指定文化財
江戸時代末期の嘉永3年(1850年)再建。高さ16.88メートル、幅17.63メートル、奥行6メートル。
太子堂 重要文化財
大塔とともに秀吉の焼き討ちをまぬがれた建物で、本尊の造立銘から明徳2年(1391年)頃の建立と推定されている。
大塔(多宝塔) 国宝
高さ40メートル、幅15メートルの日本最大の多宝塔。「多宝塔」とは二層一階建ての塔で、通例、初層(裳階)の平面が方形、上層が円形に造られる。この塔も、初層の外見は方形だが、初層内部には円形の内陣が造られており、円筒形の塔身の周囲に庇を付した、多宝塔本来の形式をとどめている。内部には12本の柱が円形に立ち、そのなかに四天柱が立っている。解体修理の際に部材から発見された墨書により、文明12年(1480年)頃から建築が始まり、半世紀以上経た天文16年(1547年)頃に竣工したと考えられている。また、基部には秀吉に攻められた際の火縄銃の弾痕が残されている。
▲大塔と太師堂
大伝法堂 県指定文化財
江戸時代後期の文政10年(1827年)再建
奥の院
興教大師廟所
光明殿(常光明真言殿)と庭園
中央に興教大師覚鑁上人の御尊像を安置し、左右に根来寺復興にお力添えを頂いた紀州徳川家のご位牌をまつっています。
紀州徳川家から拝領した 名草御殿 (なぐさごてん) に面した江戸時代の庭園です。自然の風景を取り入れた景色や美しい水辺が拝観できます。
▲ 閼伽井
▲ 名草御殿
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