2015年4月17日 長野県
松本城2015 100名城 国宝
長野県松本市
松本城(まつもとじょう)は、長野県松本市にあった城である。安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。市民からは別名烏城(からすじょう)[1]とも呼ばれている。しかし文献上には烏城という表記は一切ない。
戦国時代の永正年間(1504-1520年)に、松本平の信濃府中(井川)に井川館を構えていた信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深志城を拠点として松本平を支配下におく。武田氏滅亡後の天正10年(1582年)、徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城に改名した。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政も下総古河へと移った。代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。その後、大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が返り咲く。大坂の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の居城として機能。水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした。享保12年(1727年)には本丸御殿が焼失、以後の藩政は二の丸で執務がとられた。
※ 2013年10月10日以来の訪問 前回は月見櫓が改修工事中でしたが。。。。。
▲ 入場前に松本城が見える(松本城公園より) ▼
▲ 内堀より
▲ 黒門から入城
黒門は、松本城本丸へ入る正門にあたり、櫓門と枡形から構成されています。本丸防衛のための要の門でした。一の門(櫓門)は昭和35年(1960年)に復興し、二の門と袖堀は1989年(平成元)12月1日に復元されました。松本観光情報
▲ 桐の紋は秀吉が使用していた紋 石川数正が城主時代のものか?
▲ 天守
▲ 小天守
▲ 前回改修工事中だった月見櫓
天守内部
▲ 埋の橋
▲ 懸魚(げぎょ)芯材(展示品)
船載砲:中世末ころ、ガレー船に積載されていたのも
▲ 武者窓
▲ 天守最上階
▲ 城を守る二十六夜神
▲ 月見櫓より
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黒門
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太鼓門
太鼓門は文禄4年(1595)建築 平成11年3月復元
▲ 玄蕃石(げんばいし) 推定重量26t超
外堀
清正公駒つなぎの松 清正とは加藤清正のことでしょう。たぶん・・・・
宇宙ツツジ:向井さんが宇宙船の中で発芽させたツツジ
Who are you?
▼ 松本城公園より
桜は散り始めていた
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