2015年12月28日 広島県
三原城跡
広島県三原市城町
三原城は永禄10年(1567年)、毛利元就の三男・小早川隆景によって、大島・小島をつないだ埋め立て地に建てはじめられたと伝わっています。現在は天主台や舟入櫓の一部しか残っていませんが、当時は、東は湧原川から西は臥龍橋付近まで約900m、南北には約700mもの長さだったといわれています。この中に本丸、二之丸、三之丸があり、櫓が32と城門が14もあるとても大きな城でした。特に天主台は広島城の天守閣が6つも入る日本有数の広さです。満潮時に城の姿が海に浮かぶように見えたことから別名「浮城」とも呼ばれています。この裾を引いた扇の勾配の美しい姿は群を抜きます。しかも余人では真似るべきではないといわれた「アブリ積み」という特殊の工法は、古代の石積形式を400年以上経た今でも立派に伝えています。 三原観光navi
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モチーフは「みはらやっさ」
永禄10年(1567年)、戦国時代の智将とうたわれた、毛利元就の三男小早川隆景が、瀬戸内の水軍を統率するために水、陸、交通の要地である備後の国三原の湾内に浮かぶ小島をつないで海城を築きました。 やっさ踊りは、この築城完成を祝って老若男女を問わず、三味線、太鼓、笛などを打ちならし、祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがはじまりと言われ、それ以来、大衆のなかに祝ごとは"やっさ"に始まり"やっさ"に終わる習わしになったと伝えられています。
※三原駅から「JR呉線で糸崎駅へ 糸崎駅からJR山陽本線で福山へ
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