2019年3月7日 長崎県
諫早(長崎県諫早市)にて
倉時代の『宇佐文書』(1197年(建久8年))には「伊佐早」の地名が登場している。南北朝時代には激しい領主交代が起きたが、安土桃山時代の1587年、龍造寺家晴が領主の西郷氏を下し新領主となった。第2代直孝が姓を「諫早」と改め、佐賀藩諫早領となる。諫早領内には長崎街道の宿場や番所があり、多良街道、島原街道の分岐点に位置するなど、交通の要衝として重要な役割を果たしてきた。
▲諫早駅 雨の中、徒歩で眼鏡橋へ
▼諫早浮立(掛打ち)の像
浮立は、豊作祈願、家内繁盛、その他祝い事のために奉納されます。、掛打は佐賀地方で面浮立といい、諫早地方では、腰鼓を首からつるし、腹で安定させて打つことから掛打と名付けられ、白塔地区の人々によって大切に継承されています。
▼本明川沿いに歩き眼鏡橋へ
▼本明川の飛び石
江戸時代には毎年のように氾濫し、橋を架けても、すぐに壊れてしまっていたため、川面には飛び石が設置され、川を渡る通路として利用されました。
▼眼鏡橋 重要文化財 長崎県諫早市高城町(諫早公園)
諫早公園の入口、かつて本明川にかけられた橋。長さ約49.2m、幅5.5m、高寸7mの二連アーチ式の堅牢な石橋。
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