コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

月輪池一里塚址 (120里)~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 09:16:34 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

月輪池一里塚址 (滋賀県大津市一里山)

 

一里塚は、徳川幕府が旅人の目じるしに江戸の日本橋を起点として、東海、東山、北陸の三道に一里ごとに設けられた塚です。ここにあった一里塚は東海道の大津と草津の間に位置するもので、大きな松の木が植えられた塚でしたが、惜しくも明治末期に取り除かれました。その場所は旧道と広い市道の交差しているこの地点にあたります。現在の一里山という地名が一里塚のあったことを物語っています。

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大津市一里山

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月輪池と東海道立場跡~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 09:15:48 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目
 

月輪池と東海道立場跡

月輪池(上、下二池有)大萱地、月輪禅閣藤原兼實の荘園があった関係か、道中旅人が池に映る月の影に感嘆して名付けたかは不明。

▲このあたりは立場であったのでしょう

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野路萩の玉川~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 07:26:28 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

野路萩の玉川

ここ野路の玉川は、平安時代末(12世紀)から有名になった歌所で、萩の玉川とも言われ、日本六玉川のひとつとして知られています。野路はまた鎌倉時代、有名な宿駅でもありました。野路の玉川は、平安、鎌倉時代の東山道沿いに位置し、往来の旅人たちも、秋には「詩に詠まれている、野路の篠原(現在の平野)」あたりを越えると、一面になみいる萩の花の景観を堪能したことと推察されます。 野路町内会ホームページより

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矢倉道標(瓢泉堂)(滋賀県草津市矢倉)~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 05:52:31 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

矢倉道標 (瓢泉堂)

滋賀県草津市矢倉

東海道と矢橋街道の分岐点にあたる、かつて「姥ケ餅屋」があった場所の北の軒先に寛政10年(1798)に建てられた一基の石造道標があります。これは、東海道を道ゆく旅人を矢橋の渡し場へと道案内するものでした。この道標は、歌川広重の描く浮世絵をはじめ、「東海道名所図会」や「伊勢参宮名所図会」などに紹介された「姥ケ餅屋」の軒先にも描かれています。江戸時代にここにあった「姥ケ餅屋」も明治になって移転しましたが、現在は瓢箪を製造販売されている瓢泉堂という店があり、道標は今もかつて多くの旅人が行き交った昔の面影を持ち続けています。 滋賀県観光情報より

 

▲「右やばせ道 これより廿五丁 大津へ舟わたし」
 

東海道五十三次の52番目の宿場・草津宿の南に続く矢倉村。立場とは、宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことから付いた名で、矢倉村には草津名物の「うばがもち」を売る店があった。この地にそのうばがもちがあり、歌川広重の浮世絵や「東海道名所図会」「伊勢参宮名所図会」などに旅人が立ち寄って、うばが餅を賞味する光景が描かれている。また、ここからは対岸の大津へと琵琶湖の湖上を渡る「矢橋の渡し」の渡し場である矢橋湊へ続く矢橋道が分岐していた。浮世絵などにも描かれた道標が、今も軒先に建っている。旅人は、俗謡に「瀬田へ廻ろか矢橋へ下ろかここが思案の乳母が餅」と詠まれ、旅人の多くは、ここで東海道を瀬田橋まわりで行くか、矢橋道を経て、矢橋湊から船で大津へ渡るかを思案した。そして、この地と矢橋の渡し、瀬田橋は、よく使われる俚言(世間でよく使われる言葉)で「急がば回れ」の語源になった所でもある。
・ 武士のやばせの舟は早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋(「醒睡笑」)
と詠まれ、近道であっても、湖上が荒れて舟が出なかったり、風待ちをしたりする矢橋の渡しを利用するより、回り道でも瀬田橋まわりのほうが着実であることから、成果を急ぐなら、遠回りでも、着実な方法を取るほうが良いことを指南したのである。
 
 

▲東海道53次 草津 中央に「姥ケ餅屋」その右には道標が描かれている
 
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八百久店舗兼主屋(滋賀県草津市草津)

2013-11-07 21:37:55 | 建築物(洋館以外)

2013年11月4日 滋賀県

八百久店舗兼主屋

滋賀県草津市草津

正面で軒高を抑え、格子窓や木瓜形虫籠窓を配するなど、町並みとの調和を図った町家建築。八百久は寛保年間(1741~43)から日用品を扱う商家だった家柄です。現在の建物は昭和3年(1928)に建てられたもの。

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八百久店舗兼主屋(滋賀県草津市草津)~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-07 21:37:53 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

八百久店舗兼主屋

滋賀県草津市草津

正面で軒高を抑え、格子窓や木瓜形虫籠窓を配するなど、町並みとの調和を図った町家建築。八百久は寛保年間(1741~43)から日用品を扱う商家だった家柄です。現在の建物は昭和3年(1928)に建てられたもの。

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草津宿の様子~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-07 21:31:58 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

草津宿の様子

▲書状集箱
このポスト(書状集箱)は、明治4年(西暦1871年)郵便創業当時使用していたものと同じ型のものです。草津宿は、東海道と中山道の分岐・合流点という交通の要衝として、発展してきました。また、国史跡に指定されている草津宿本陣は、現存する本陣の中でも最大規模で、当時の面影を今に伝えています。なお、このポストは、他のポスト同様に取り集めを行いますので、ご利用ください。  平成十年九月 草津郵便局

 

▲草津宿脇本陣跡

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草津宿本陣(滋賀県草津市草津)

2013-11-06 21:57:25 | 建築物(洋館以外)

2013年11月4日 滋賀県

草津宿本陣

滋賀県草津市草津

東海道と中山道の合流点であり、多くの旅籠が軒を並べた草津宿。そのシンボルであり大名などが休泊したのが草津宿本陣。現存する最大級の本陣が平成の大修理を終え、当時の姿そのままに甦りました。多数の関札と浅野内匠頭や吉良上野介が名を連ねる大福帳などにふれれば、気分は江戸時代へとタイムスリップできそうです。 草津まるごとガイドより

 

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