街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目
矢倉道標 (瓢泉堂)
滋賀県草津市矢倉

東海道と矢橋街道の分岐点にあたる、かつて「姥ケ餅屋」があった場所の北の軒先に寛政10年(1798)に建てられた一基の石造道標があります。これは、東海道を道ゆく旅人を矢橋の渡し場へと道案内するものでした。この道標は、歌川広重の描く浮世絵をはじめ、「東海道名所図会」や「伊勢参宮名所図会」などに紹介された「姥ケ餅屋」の軒先にも描かれています。江戸時代にここにあった「姥ケ餅屋」も明治になって移転しましたが、現在は瓢箪を製造販売されている瓢泉堂という店があり、道標は今もかつて多くの旅人が行き交った昔の面影を持ち続けています。 滋賀県観光情報より

▲「右やばせ道 これより廿五丁 大津へ舟わたし」

東海道五十三次の52番目の宿場・草津宿の南に続く矢倉村。立場とは、宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことから付いた名で、矢倉村には草津名物の「うばがもち」を売る店があった。この地にそのうばがもちがあり、歌川広重の浮世絵や「東海道名所図会」「伊勢参宮名所図会」などに旅人が立ち寄って、うばが餅を賞味する光景が描かれている。また、ここからは対岸の大津へと琵琶湖の湖上を渡る「矢橋の渡し」の渡し場である矢橋湊へ続く矢橋道が分岐していた。浮世絵などにも描かれた道標が、今も軒先に建っている。旅人は、俗謡に「瀬田へ廻ろか矢橋へ下ろかここが思案の乳母が餅」と詠まれ、旅人の多くは、ここで東海道を瀬田橋まわりで行くか、矢橋道を経て、矢橋湊から船で大津へ渡るかを思案した。そして、この地と矢橋の渡し、瀬田橋は、よく使われる俚言(世間でよく使われる言葉)で「急がば回れ」の語源になった所でもある。
・ 武士のやばせの舟は早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋(「醒睡笑」)
と詠まれ、近道であっても、湖上が荒れて舟が出なかったり、風待ちをしたりする矢橋の渡しを利用するより、回り道でも瀬田橋まわりのほうが着実であることから、成果を急ぐなら、遠回りでも、着実な方法を取るほうが良いことを指南したのである。
▲東海道53次 草津 中央に「姥ケ餅屋」その右には道標が描かれている
☆cosmophantom