雀の手箱

折々の記録と墨彩画

過ぎゆく秋

2019年11月26日 | できごと
 リハビリに通う途上、週を追うごとに銀杏の並木が葉を落としてまばらな梢になってゆくのを寂しく眺めています。
 我が家のいろはもみじの紅葉はひどく遅れています。色もくすんで、冴えない姿です。今年は季節の秋をしみじみと感じる期間があまりに短かかったような気がしています。公私ともに事が多かったせいだけではないようです。
 もはや異常気象といえないほどに変貌し、日常となってしまった台風に翻弄され、19号の置き土産に振り回されていましたが、やっと玄関の天井の張替えが始まりました。見苦しいシミがなくなると少しは陋屋もマシになることでしょう。
 工事の邪魔になるものを移動させてすっきり片付いた板敷は、広々として見違える風情です。ものを捨ててしまうことの必要を今更ながら再認識しています。ただ、もう体のほうが気持ちに対応してくれないのが困ったものです。
 カレンダーも心細げに薄い姿を震わせて急き立てるかのようです。









この頃

2019年11月15日 | 塵界茫々
 皇位継承に伴う皇室の一連の慶事も滞りなく進行し、大嘗祭の秘儀も今朝で-終了しました。
 大相撲は、九州場所中ですが、もう出かけることもなくテレビでの観戦です。力をつけてきた若い力士たちの活躍に、ときの移りゆくさまを見ます。
 このところの朝夕の気温が、15度を超す落差で、適応しかねる体は、血圧の激しい上下を示し戸惑っています。これが体の示す正直な現象と、あるがままに受け止めています。ただ意欲まで低下するのがなんとも情けなく、投げやりになる自分を持て余します。

 書き溜めた墨彩画を選択、整理しながら、自分なりの歩みを振り返っています。新旧取り混ぜて季節ごとの思い出の草花などです。今日は亡き妹がこよなく愛したツワブキです。
















秋の彩り

2019年11月06日 | すずめの百踊り

 久しぶりの作品です。台風17号、19号と、振り回された後始末もどうにか目途が立ち、少し落ち着いた時間ができました。
 朝夕の冷え込みに、空調を必要とするような日々ですが、日中は秋晴れのさわやかな陽射しで、家事もいくらか捗ります。
 柿は鳥たちの御馳走に少しずつ消えていきますが、それでもまだ40個くらいは形を留めています。

 沖縄の首里城で、正殿はじめ多くの遺産が灰燼に帰したのは10月31日の夜明け前でした。30年余の歳月をかけてやっと復元に一区切りがついたばかりなのに本当に残念です。夫と訪れた日、日本の城郭建築とは全く趣を異にする赤い独特の、琉球文化のシンボルとしての佇まいだったのを懐かしんで貧者の一灯を投じました。一日も早い復元の日が訪れますよう願ってやみません。











老木無惨

2019年11月01日 | できごと



 先の颱風17号で幹が断裂し、無惨な裂け目をさらしていた椎の老木が半分伐採されました。200年近い年月を生きてきた老木は、折れた太い枝を二股に分かれた上の方に絡ませた状態で宙に留めていましたので、いつまた落下して、崖下の家の屋根を破るようなことがあってはと、撤去が決まっていました。
 昨日はクレーン車が2台、切断された枝を宙吊りにしてトラックに運ぶ大型と、チェンソーで切断すための人が乗る小型クレーン車です。朝8時半からお酒と塩でお清めが行われ、総勢4名のフル活動で1日がかりの作業で出たものは、2トン車4台分が産業廃棄物として運ばれてゆきました。
 当初の説明では3段階に分けて、時間をおいて少しずつ切り詰めてゆくということだったのですが、緊急を要する部分を切断してみると、中の空洞化が進んでいて、やむなく二股の分かれ目のところから一気に切断ということになりました。
 朝夕見慣れた風景が一気に変わり、門の上の覆いかぶさっていた枝もすっかり姿を消しました。なんだか半裸状態になったみたいで、門の周りが殺風景ですが、安全のためにはこれも致し方ないことでしょう。
 それでも、ここに暮らし始めて70年近い年月、坂を上がる目印となり、木陰に憩い、帰ってきたと実感してきた老木との別れはつらく、寂しいものがあります。切株から10年もすればひこばえが生えてまた違った姿になるのでしょうが、それを見ることはもう叶いません。











10月の小さな旅

2019年10月26日 | 雀の足跡
 秋の気配が漂い始めて体調が少しよくなると、膝の痛みも軽くなってきました。
 国見からの帰途に立ち寄った豊後高田の昭和の町では、懐かしい日々を思い出す品々が、過ぎ去った年月を刻んでひっそりと並んでいました。
 最後の遠出かと、車の縁があると昔よく出かけた思い出の地を巡っています。20年近くが経過していると、かつての思い出の渡船場は跡形もなく、角島には長い橋が架かっていて、潮流が明瞭に色を異にする不思議も今は鮮明ではなくなり、棚田の風景を飽かず眺めた岬の先には、長いお稲荷さんの鳥居の列が出現していたりです。
 好天に恵まれ、以前は自分で車を運転して訪れていた西長門への旅を、今回は甥が案内してくれました。今はさすがに疲れが溜まっていますので、ランダムに写真での展示とします。








  






 














即位礼正殿の儀

2019年10月23日 | できごと
 10月22日、雨の中、粛々と進行する宮中松の間での正殿の儀を、テレビの前で釘付けになっていました。平安絵巻の動画を見る思いでした。テレビのありがたさを改めて実感し、目の当たりにできる幸せを想いました。
 黄櫨染御袍に、立纓御冠を召された天皇の高御座のお姿、御五衣に御唐衣の御帳台の皇后さまは皇后のみの白が基調のお召し物でした。
。紫の十二単に檜扇を持たれた女性皇族方、正装の侍従や女官は緊張した面持ちでのご奉仕で、それぞれに雛飾りの人形のような美しさでした。
 降りしきる雨のために、正殿前の中庭は幡旗だけの装飾で、正装の武官,文官その他を見ることができなかったのが少し残念でした。大量の報道がありますのでこの記事は、近頃は一日の大半を探しものに費やす自分の記録のためのものです。




  










国東の聖地

2019年10月16日 | できごと


 先日、縁あって国東半島の西先端に近い、岐部公園まで行ってきました。ここはキリスト教徒にとっての聖地の一つです。六郷満山の仏教文化で知られる国東の地に、江戸初期、特異な光を放った宣教師、ペトロ岐部カスイの故郷で、今も遥かローマに向かって船越安武氏制作の像がたつていました。公園の一角には小さな教会も建っています。
 ペトロ岐部カスイの波乱の生涯は、長崎の神学校卒業の後、禁教令により追放されてマカオにわたり、マカオからローマを目指し、ペルシャ、エルサレムを経て1620年ついにローマに到着、その年のうちに司祭となりましたが、故国日本の切支丹迫害の報に心を痛めアメリカまわりで10年をかけて帰国、潜伏して布教していました。1639年、仙台藩で捕えられ、52歳の若さで江戸の地で殉教を遂げています。
 公園に隣接する国見ふるさと展示館(国指定登録有形文化財)の資料による。
 この展示館は、明治初期建造の荘や屋敷を保存利用したもので、ペトロ岐部カスイ関係の資料や祭祀の道具のほか、当時の農機具や生活用具も展示されていました。













秋の彩り

2019年10月04日 | 日々好日

台風17号の騒動がやっと片付いたとおもっていると、続いて18号の襲来で案じていましたが、幸い事なく通り過ぎてくれました。
 白に始まった彼岸花の競演も今は黄色の変種が咲き始めています。一時は困るほどだった水引草はまばらになって、探すほどです。一方選定を怠った瑠璃茉莉が伸び放題の枝先でまだ咲き続いて、穏やかな水浅黄が目を愉しませてくれています。
 柿は日増しに色づいてきました。今年はほどほどの着果で粒も大きいようです。
 新聞を取りに出て、懐かしい香りに見上げると、早くも金木犀の訪れで、ちらほらと花をつけ始めていました。この様子だと今年はいろはもみじの紅葉も早いかもしれません。









感動のスクラム

2019年09月29日 | できごと



 昨日はテレビで、ラグビーW杯、日本の第2戦を観戦していました。ランキング世界2位と聞くアイルランドが相手ではこんなものかな、それにしてもよく粘っていると思って前半戦を見ていました。後半戦になって、地元出身の福岡がフィールドに入ったので応援にも力が入りました。
 がっちり組んだスクラムの力強さと、あまり見たことのない形に思わず肩に力が入りました。見事粘りに粘ったFWのスクラムは、強豪相手に一歩も引かず、福岡のトライを生み出しました。試合終了後もしばらくは感動の渦の中で、久しぶりの高揚した気分を味わっていました。母校は花園に出場したこともあるので、家族もラグビーにはかなり熱心です。いい試合でした。
 緻密な計画のもと積み上げた練習の成果は、前回の南アフリカからの勝利とともに、日本のラグビー史に残ることでしょう。



颱風17号

2019年09月24日 | できごと
 いつも警戒の割には大した被害もなく過ぎていた颱風でしたが、今回の強い風は、我が家の門前の椎の老木を引き裂いて、大きな枝を落として行きました。
 この日はお盆参りができなかったので、小雨の中をタクシーで実家にお彼岸参りに出かけました。
 テレビでは、暴風警報と大書され、テロップで北九州市もずっと流されてはいましたが、雨も風もそれほどではありませんでした。それでも早めの夕食を済まして、ベッドに入るころから少し風が強くなり始めていました。
 22日から日付が変わるころ、大きな物音で目を覚ましました。風で飛ばされた枝でも雨戸に当たったのかなと思っていたのですが、朝になって新聞を取りに外に出てみて驚きました。なんだか空が大きく広がったみたいで、近所の人の動きも頻りなのです。見ると門の前に大きな枝が横たわり、動かせないからと鋸で小さく切断する人や、枝を運ぶ人達でした。
 皆さんのおかげで、出入りに不自由はなくなりましたが、枝が落ちるときに引き込みの電話線を切断したとみえ、垂れ下がった電話線が揺れていました。光電話も固定電話、パソコンも使用できず、無線も意味を持ちません。頼りの携帯でNTTの故障担当に電話をかけるのですが、朝から昼過ぎまで、話し中で繋がりません。仕方なくリモートサポートに電話して、やっと夕刻、携帯に修理日程のお知らせが届きました。24日午後が一番早い予定だそうで、一安心です。パソコンを開かない日がまる3日でした。


 先ほど電話線を張り替えて2時間半ほどの工事が無事終了しました。