雀の手箱

折々の記録と墨彩画

この頃の手箱の中

2016年04月30日 | すずめの百踊り
気晴らしの手すさびの中から、今年の藤、名残の著莪、そして立浪草のスケッチ。
 春の名残りを桜の櫛にとどめて。こちらはまだ未完成で、躊躇いながらの投稿です。
蕪村の春の句の世界を反芻して楽しんでいます。














 只今は、咲き終わった躑躅の刈り込みと、頂きものの筍と格闘しています。



外出

2016年04月24日 | 雀の足跡




 パレス穴生を退所して以来、家にいるときはほぼ毎日どなたかの支援を受けているので、、外出もままならなくなっています。
 日曜日の今日は貴重な空白日ですから、娘が東京に帰る前、屈強な介助者がいるときに、どこか近くで昼食をということになり、病院帰りによく立ち寄っていた「みくにや」に行きました。玄海のお魚が食べられる和食のお店です。
 久しぶりにとりどりのお刺身の外食を堪能し、お天気もいいから疲れてなかったらドライブでもと誘って、娘が好きな芦屋の海でも見に行こうかとなりました。途中本屋に寄ってみたいというので積文館に車を入れましたが、好きな本も長くは駄目のようで、すぐ車に戻りました。
 道中の産業医大のツツジの植え込みが満開で、見事な眺めを車中から愉しみました。娘には、サイクリングロードの下見もある筈だったので、なるべく平坦で走りやすそうなコースを通って行きました。

 生まれ育った山鹿の海岸はいつ来ても懐かしいようで、私たちの散策の間も車中で退屈もせずゆっくりしていました。

 岡湊神社の「なんじゃもんじゃの木」も今が満開で、初めて目にする娘も喜んでいました。本当は浄光寺の藤を見に宗像までゆきたかったのですが、2時間のドライブが精いっぱいのようでした。









熊本地震

2016年04月19日 | できごと
 14日の夜9時半近く、携帯が聞きなれない信号を発しているので、何事かと思う間もなく、福岡県沖地震の時のような横揺れが来て、驚いて主人の部屋に行きました。何のこともなく眠り込んでいるのを起こして、地震のようだと告げました。
 熊本で深さの浅いところで断層がずれたのだそうで、震度7で阪神淡路地震並みの規模とテレビも報じていました。ここでも体に感じる余震が2回ありました。不安なまま、ベッドに腰掛けてテレビを見ていました。娘たちから大丈夫かという見舞いの電話もかかってきましたが、ものが落ちることもありませんでした。
 夜があけ明るくなるとともに、災害の大きさがまざまざと画像で映し出され、高速道はじめ、JR,航空機と交通機関もすべてストップしていました。
 熊本市内や、益城町の被害が甚大で、死者7名、負傷者も数百人とされ、さらに増え続けています。倒壊家屋の惨状も目を覆うほどです。(15日記)

 ところが震度7のこの揺れは前震で本震は16日に襲いました。東京で心配しているよりもと、娘が早朝の便に乗ったのでといって、病院の診療から帰宅すると門の扉が開いていました。
 熊本城や阿蘇神社などの国の重文も被害の例外ではありえませんでした。天守は鯱鉾を失い、瓦をふるい落とし、神社の象徴的な、日本三大楼門の一つと讃えられた楼門も今は崩落して変わり果てていました。

 結婚前2年ほど過ごした熊本ですから、なじみのある地名や風景が、無残な姿で映し出される様を悲しくながめています。
 被災された多数の方々の心身ともに打ちのめされた状況には言葉もありません。未だ揺れは収まる気配もなく震度4以上の揺れが続いていて(89回)、気象庁によると後1週間は警戒が必要と報せています。突然の災害で亡くなられた47名の方々の無念をおもい、せめて避難されている12万を超える方たちに、元気が戻る日が一日も早く訪れることを祈るのみです。

  
    倒壊前の肥後一宮、阿蘇神社の楼門。




どんでん返し

2016年04月13日 | できごと
 同じ絵が縦にした時と横に置いた時ではすっかり変わってしまいます。いまは空間の緊張感をいかにすれば保てるかがテーマでさまざまな試みを試しています。
 毎年の筍での摸索です。
 射干(しゃが)では初めの絵に物足りなさを感じて。葉を足してみました。バランスが保たれつつ、緊張感が出せるか、課題は尽きないことです。























 ところで、遊びの上ならまだしも、現実生活でのどんでん返しが発生して、多くの方に迷惑をかける仕儀になりました。
 長かったショートステイから、長期入所ができることになり、一旦は喜んでいたわがあるじが、契約書にサインをした翌日になって、突然「死ぬ前にもう一度家に帰りたい」と言い出して、結局我が家へリターンです。
 自宅ではまた転倒事故で不測の事態が生じる可能性が高いので、なぜあの時もっと強く「私が介護できる限界を超えている」と言わなかったのかと後悔するのと、説得してこのまま入所を続けさせ、万一の事があったときに、あんなに帰りたがっていたのにと後悔するのとを天秤にかけて、同じ後悔なら齢に不足もない事だし自宅に連れて帰ることにしようと決心しました。

 馴れない看護は夜中も何度か起きるので、新聞も読めない日が続きました。やっと4日が経過してカテーテルの扱いにも馴れてきて、買い物に出かけるタイミングも出来てきました。昨日は弟から新鮮な𩺊の刺身の差し入れもあり少し和やかな顔つきになったようです。

 ケアマネージャも驚いて早急な計画で対応してくれて、訪問看護士、リハビリの理学療法士、ヘルパーさんの手配と、毎週1回1泊2日のパレス穴生へのショートステイと、びっしりのスケジュールを組んでくれました。昨日は午前中、訪問看護士、午後は、入浴介助のヘルパーさんと初対面での入浴でした。明日はリハビリの方がお見えになります。
 すでに発注済だったカーテンや家具などで可能なものはキャンセルして、ほうぼうにお詫び行脚でした。9日に退所の前夜は嬉しくて、夜眠れなかったそうです。
 ブログも途絶えがちになるかと思いますが、何とか毎日が過ごせそうですから、ご安心ください。

今年の桜

2016年04月02日 | 日々好日

 暖かなひざしに誘われて、外出の届をして桜を見に出かけました。
 1日目は試しに、施設のすぐそばの穴生中学校の校庭の桜を見に緑道沿いを少しだけ歩いてみました。八分咲きの桜を美しいと喜んでいました。例年出かけていた小倉城の桜をなつかしんでいましたが、今はもう無理なので、近くの桜の名所、皇后ヶ崎公園まで車を走らせ車中からの花見でした。
 二日目は、体調も良いので、瀬板の森沿いの桜並木も満開だったと誘ってみると、少し躊躇っていましたが出かけるかなと腰を上げました。
 通いなれた金山川沿いは地理を熟知しているので、駐車に戸惑うこともなく、人通りの少ないポイントを選んでのドライブでした。3日の日曜日がチューリップ祭りなので、準備のボランティアの方たちも土手で作業をしておられました。満開の桜とチューリップ、どちらも満開のよくばりのお花見でした。
 帰りの寄り道は萬盛堂で、ケーキとコーヒーでの一休みでした。