雀の手箱

折々の記録と墨彩画

大晦日

2015年12月31日 | 塵界茫々
 暮れてゆく年の瀬、この一年の様々な出来事を振り返っています。
 二人目の曾孫誕生と台風のための倒木で道が塞がれ、思いがけず暗闇と、食べ物に困る暮らしを再体験したことが最大の我が家のニュースでした。折しも今年は戦後70周年の節目の年でした。

 老い二人、廻りの援けを得て、どうにか新しい年が迎えられそうです。東京から娘たちが来てくれて、何年かぶりに賑やかな年越しです。

 内外ともに、平穏ではないこの一年でしたが、来る年が平和で穏やかな天地でありますよう、そして皆様のうえにも健康と充足した日々が訪れますように祈念いたします。


 


数え日

2015年12月25日 | 塵界茫々
 今年もあと1週間で暮れていきます。数え日の慌ただしさも、もう若いころのようではなく、どこか諦めた淡々としたものになってきました。
 柳多留の「数え日は親のと子のは大違ひ」の川柳のように指折り数えてお正月を待った江戸の子たちに、今ではサンタのプレゼントも加わり、お年玉に胸をときめかし、親たちは節季のやりくりに慌ただしい日々の風景もありました。

 今日はクリスマス、海外の友人たちからたくさんのメールが入っていましたが、返事も出せないでいます。今日も病院の予約があります。
 半ば仙人のような暮らしでも、それでも一年のけじめ,締め括りともなれば、それなりの気忙しさがあります。年賀状もまだ出来上がっていません。
 このところ毎年のように、この時季に二人ともトラブル発生で騒動しているので不気味なものがあります。今年は先週、居眠りで椅子から滑り落ちた夫が肋骨を骨折していますが幸い軽くて済んでいます。この程度で過ぎてくれれば良しとしますが、病院通いに明け暮れた一年でした。

 あと何度この家でお正月を迎えられるかわからないというので、今年は東京から娘が孫と一緒に来てくれることになりました。少し安心して楽しみにしています。



 出番を待つ野菜です。








宴果てて

2015年12月20日 | 塵界茫々







 雨に打たれて散り敷く楓の厚い絨緞。落ち葉を踏んで軽い音のかそけさを愉しんだ風流も余裕もなくなり、容量を減らしてから裏に運び、谷に落として土に帰すことにしようと、放置しています。
 風に舞う楓のとりどりの色を愉しみ、散り敷く変容の風流もまたよしと喜んだものでしたが、今は彩りの宴の後始末も大変になりました。
 ニシキギも鮮やかな彩りの細やかな色のアートも今は寒々しく葉の数もめっきり減り、個性的な幹や、細い枝の細やかな細工が面白い形を見せて年の瀬へと急ぐ慌ただしさを見せています。







賀状の準備

2015年12月13日 | 日々好日
 年賀状の広告が目につくこの頃です。浮世のしきたりは、まだ名残惜しくてやめられずにいます。年に一度のやり取りの中から、互いに年老いてゆく旧友の近況や、旧知の人々の環境の変化を回想します。
 夫は90歳を区切りにして、自筆で続けていた文字の乱れが見苦しくなったからと、卒寿の挨拶で打上げとしました。

 楽しみにしていると言ってくれる人から、今年は梅だったから来年は松ですよねと言われると、つい気が抜けなくなって、模索中です。
 

   重要文化財 尾形乾山の錆絵染付金銀白彩松波文蓋物



 琳派誕生400年だった今年にちなんで琳派の人たちの松も沢山写してみましたが、到底及びもつかない卓抜に、感心するばかりで、なまじ憧れが強い分だけ消化不良もいいところで、ため息をついています。どうなりますことやら。
 人様の援けを煩わしての日々の暮らしの中、どうなりますことやら。










投稿したつもりが、下書きに入ったままになっていました。下は「ふくら雀」です。


初冬

2015年12月06日 | 日々好日

 1週間でさらに季節が進みました。明日はもう「大雪」北国では雪の映像が流れていました。
 遅れていたもみじも黄緑からの美しいグラデーションだったのが赤く色付き、ニシキギの紅葉も一段と色冴えて寒風の中で季節を告げています。
 裏の椿谷では藪椿が早くも花を開きはじめ、次々に蕾もほんのりと薄桃色をあらわにしてきました。

 水仙もそれとわかる蕾が頭を垂れ、蝋梅も今年はお正月あたりが満開になりそうな気配で、小さな蕾の頭は黄色くなってきました。
 甘夏柑や、金柑も日増しに黄色が濃くなってきています。これらの色づきは師走の所要の片付けを急き立てるようで、気忙しさがつのります。

 巷ではクリスマス仕様の飾りが華やかにウインドウをいろどる季節ですが、老い二人の暮らしには無縁です。病院の受付のカウンターや、待合室のツリーの電飾に華やぎを感じて、少しだけ気持ちも弾んでいます。