雀の手箱

折々の記録と墨彩画

金木犀の香り

2014年09月28日 | 日々好日









 秋の香といえば、我が家では金木犀です。かすかな香りがしていると思っていると、ある日一斉に花が開き,むせるほどの香で包まれます。春の沈丁花以上の香です。

 花が咲いている間中芳香を放ちますが、雨や風に会うとあっけなく散ってしまい地上に黄金の輪を描くことになります。今年は天気予報を見る限り、雨は大丈夫のようですから、長く楽しめそうです。

 中国は桂林地方が原産とか。桂が木犀の木を意味し、木犀の木がたくさんあるところから出た名と聞かされました。
 もう、桂花陳酒を愉しむ酒の工夫にも縁がなくなり、今は自分勝手に桂花茶と称してポットにダージリンの紅茶入れたついでに花をたっぷり摘んできてブレンドにし、香りを楽しんでいます。蕾の方が香りが強いようです。



好日や金木犀の花いきれ    鷹羽狩行








秋のしずく

2014年09月24日 | 日々好日

 お彼岸も中日を過ぎると、秋の気配も濃くなって、肌寒さを覚えるようになりましたが、
季節の移ろいが早足で、高齢者にはいささか体の方がついてゆけないようです。

 門を開きに行った戻りに、松の枝に取り残されて垂れた蔓に零余子がびっしりついているのを発見しました。
 手が届きにくくて、大半を土に戻しながら採りましたが、二人分なら零余子飯が炊けそうです。絵友達が「山のしずく」と題していた風流を思い出しました。








  庭は刈払機で払われて、すっきり見違えるようになりましたが、草花もきえて、シュウメイギクも、藤袴も白だけが取り残されました。ところどころに佇立する彼岸花の赤や白が、異様にみえます。今年は律義者のこの彼岸花も10日も早く目を覚ましました。

 柿もまだ9月というのに色づいて、もう鳥たちの餌になったのもあります。ホトトギスが咲き始めてやっと花切れを免れそう
です。












秋の気配の中で

2014年09月17日 | すずめの百踊り


 いつの間にか蝉たちの合唱も途絶えがちとなり、虫たちの季節へと移ろうこのごろです。

 敬老の日の行事も一段落のようです。八人に一人が高齢者と聞くと、世にはばかるのがなんとなく肩身の狭い思いがします。

 今日は娘が帰ってきてくれているので夫の病院行きを任せて、一人芙蓉に向かいました。
写生してみて改めて琳派の人たちの捉える目の確かさを、取捨選択の妙を思いました。

 いつもの綿を含んだ枯れ芙蓉ではない、花芙蓉を初めて描いてみました。

     呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉  長谷川かな女

 呪うほど激しく人を愛したこともない身は、憧れのかな女を想いながらのひと時でした。















       おまけの今年の葛です。

今日の習作

2014年09月13日 | すずめの百踊り

 あるじが不在で時間がたっぷり。お天気も良く早々と洗濯をすませ、気分よく机に向かい、久々に画材を広げました。目の前の硝子戸の先で、今年は時期がおくれた気に入りの宗旦木槿を描くつもりでした。
 意図した構図は、思わぬ方向に走る線に邪魔されて、思いとは異なるものに変貌してしまいました。

 露草も、やはりもっとひどいことになりましたが、これが今の私の現実です。発想を変えて、まだこれくらいの線は引くことができると考えることにしました。もうすこしなんとかなるのではと、欲が抜けず、落款はおあずけです











月の船

2014年09月08日 | 日々好日


 天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ   柿本人麻呂歌集


  ご存じ人麻呂の異色の作品、万葉集巻七巻頭の有名な歌です。壮大な天空のロマンを彷彿させる見立てで、爽やかです。   

 万葉仮名の表記は 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見

 八月の雨の日々が九月に入ってもすっきりしませんでしたが、このところやっと晴天が戻ってきました。

 今宵は中秋の名月、例年よりはずいぶん早いようです。中秋の名月は、早くとも九月の終わりぐらいがぴったりしますが、それでも、無月よりはと、晴れ渡る中空に月の船が白い波を分けて進む姿を拝みたいものと期待していました。願いが叶って長雨の埋め合わせをするかのように、いつもよりは大きな月が晴れ渡る天空をゆっくりと漕ぎ渡る姿を心行くまで堪能させてくれました。

 皿倉山頂の観月会も盛り上がったことでしょう。今年は竹取物語の趣向だからと、こちらは地上の観月会のお誘いがありましたが、残念ながらご辞退しました。
 もはや、月見酒の風流もなく,一顆の「月餅」を二人で分けて、お茶をいただきました。


 地上も月の運行に合わせるかのように、彼岸花がすっくと伸びて、蕾が早くも弾けているものもあります。

 指に力が入らず、不様な私の「中秋の名月」より、琳派の月で武蔵野の月や、簾越しの美人をお愉しみください








       上図  酒井道一 月に薄図   下図  渡辺始興 簾に秋月図

木槿も異変

2014年09月04日 | できごと

 異常気象に翻弄された今夏でした。今も暑い盛りの9月初めのはずが、秋半ばを思わせる涼しさで冷房は不要です。

 庭の木槿の散った花を掃いていておやと思いました。薄紫の花が混じっているのです。目を上げると梢のところに背中合わせに咲き重なっている二輪の一つがやはり薄紫なのです。

 ヤマトシジミの蝶が訪問中で、瑠璃茉莉によく止まっている蝶です。まさか瑠璃茉莉の花粉を運んできたためとは思えませんし、何種類かの木槿がありますが、純白の一重の木槿は最初に花が終り、今も咲き続けているのは、宗旦木槿と、淡いピンクの花笠木槿です。酔芙蓉なら色変わりも解りますが,咲き始めの朝がブルーの色が濃く、夕刻には薄紫になって、元の木槿よりも一足先に散っていきます。

「槿花一朝の夢」とはよく言ったもので二日目には花を落とします。ただ、次々に咲き継ぐので一日花であることを忘れています。当分は窓辺を明るく彩ってくれ、朝、戸をあけるのが楽しみになっています。




防災の日

2014年09月01日 | 塵界茫々
 もう9月です。ついたちは、最初の決まりで、家じゅうのカレンダーを切り取りながら、月日の過ぎることの早さに感慨しきりです。
 殊に大判の2ヶ月が記載されているものはあと一枚だけで、薄くなっています。

 今日九月一日は防災の日。10万5千人の人々が亡くなった関東大震災を忘れず防災の意識を持つようにという国の記念日です。今では3月11日の方が切実な気がします。
 災害の多かった今年、異常気象は異常ではなく、もはやそれが平常になったかと思うほど、自然災害に、人は手の施しようもなく翻弄されました。
 尊い命を失った人も多数です。かけがえのない家族を突然奪われた方々の思いははかりしれません。

 老いて動きが不自由になった今、せめて人の手を煩わさずに災害から逃れる方途を自分で考えておかねばと、二人で話し合ったことです。
 丘の上の住まいですから、津波はここでは無縁、地震も先年の福岡県沖地震の震度5の揺れに驚愕したくらいで、80年余の生涯でほぼ経験なし。土砂災害もこれくらいの山では発生はないでしょう。後は火災と、毎年の台風です。持ち出すべきものを二人で考えても、保険証と預金通帳、印鑑くらいです。もはや「火事場の馬鹿力」も出ないでしょうし、身一つをどう守るかだけです。





裏の山際に咲く木槿。