雀の手箱

折々の記録と墨彩画

不具合ばかり

2009年09月30日 | できごと
 左の画像2枚、これは何でしょう。

 パソコンも理解できない不調で、突然送受信だけができなくなり、マニュアル本片手に悪戦苦闘、、二時間かかってやっとどうにか復調しました。おかげで血圧も上がってしまいました。記号の印字もすでに薄れているのもあるキーボードは、S音で始まるかな入力が途切れがちです。
 パソコンに触らないあるじが、買い換えればいいじゃないかといいますが、新しいものを理解し、それに慣れるまでの時間と、その手間のストレスを考えると、慣れ親しんだこの老友XP03と別れる気にはなれせん。ご機嫌を伺いながら、なだめ賺し、時に怒りを発しては、また仲直りをしています。

 先日来、右手の親指の付け根辺りが漠然と痛いと思っていました。そのうち力が入らず、鋏が使えなくなり、今日は車のキーも廻せないし、開けてある壜の蓋も両手を使う仕儀になりました。危険防止と日常生活の不便から、以前膝の変形性関節症で通っていた整形外科に出かけました。
 レントゲン撮影の結果は、右手拇指はすでに4段階まで進んだ変形性関節症で、手術を勧められました。入院は10日ほどといわれましたが、それは困るので、ほかに選択肢はないかを尋ねましたら、一時抑えには注射と痛み止めの薬。次はかなりの確率で改善が見られる装具の着用といわれ、まずはそれを試してみるということにしました。装具が出来上がるまでの間の仮の固定具を即座に作ってくださいました。小さなギブスで、テーピングで固定しています。骨密度だけは同年齢の平均の137%と高いのですが・・・・。

 パソコンの文字入力は拇指を使わないので、何とかなりますが、クリックして挿入や、貼り付けの時に不自由しています。

 日ごろの無作法な振る舞いとは打って変わり、四本の指を揃え、何でも両手を使って持ち上げる動作は、自分でもこれは優雅に見えるのではないかと苦笑しています。

 固定具が出来上がってきたらさて、より不自由か、それとも少しは自由が与えられるか、当分はおとなしくしておかねばなりません。薬が効いて痛みは全く感じなくなっています。歯科医院まで夫を送りましたがキー操作もハンドルもスムースに動かせます。
 
 ちなみに、送受信だけができなかった不具合はプロバイダーが原因と、先ほどお詫びのMailが入りました。



見苦しいものをお目にかけましたので、お口直しに茶人紫草さんより配信のあった宗全籠の秋草をごらんください。

芦屋散策

2009年09月28日 | 雀の足跡
 コスモスが盛りと聞いて、同じ歩くならと水巻側の遠賀川河川敷に出かけました。ボランティアの方たちの丹精で、色とりどりのコスモスが今年も見事に花を咲かせていました。秋の気配を運ぶ川風に、戯れるかのように可憐に揺れるお花畑の中を大勢の人が散策を楽しんでいました。
 何箇所もある河川敷の駐車場もすべてが無料なのがありがたいことです。
 歩く人のために距離の表示まで出ています。3キロをゆっくり楽しんで歩きました。

 出かけたついでに足を延ばして、遠賀川土手を走り、うぶすなの岡湊神社に参拝し、山鹿海岸に出て一休みです。

  天霧らひ(あまぎらひ) 日方吹くらし 水茎の崗の水門(おかのみなと)に  波立ちわたる 万葉巻七

 今回も帰り道の途中にある芦屋町歴史民族資料館を訪問しました

 ここには三千年の時を遡る縄文の乙女が、潮騒を聞きながら眠っていた「山鹿貝塚」が展示(レプリカ)されています。、貝の腕輪や鹿のかんざし、鯨の歯の耳輪といった装身具をつけて発見された(昭和二十八年))古代人の暮しを、土器や矢じりから空想します。
 今は古地図の特別展があっていました。明治の芦屋町地図で本籍地の地番を確認して喜んでいました。

 9月1日に行なわれた八朔の節句に飾られ、配られた藁馬が沢山飾ってありましたので、許しを貰って撮影してきました。この藁馬は今年初めて八朔の節句を迎える男児の家々で用意され、翌日馬をもらいに来る子どもたちに配られるものです。素朴な姿形をしています。女児の祝いは”だごびいな”で、米の粉で作られた細工の人形にあざやかな彩色したものが配られます。


<画像は2枚入っています。

忌明け

2009年09月26日 | 日々好日
 早いもので、今日は八月のはじめになくなった従兄の49日法要でした。よく通る住職の読経の声を聞きながら、故人の在りし日のことを思い浮かべていました。

 1時間余りの法要の後、都心の料亭に移動して、和食懐石のご馳走を頂きながら、お酒が入るにつれ、故人の過ぎし日のあれこれがこもごも語られます。
 町医者として、地元小学校校医として、誠実に過ごしてきた証しの出来事や、好きだったお酒も11時の門限を自ら課して自分を律し、明日の診療のために帰途についていた話など、いつも一緒していた人たちの口から具体的に語られました。

 会場の舞台に飾られた遺影が、穏やかで優しい目で笑っていました。




萩に寄せて

2009年09月24日 | 日々好日
 いにしへ人がこよなく愛し、駒を並べて花見に出かけた萩は、群生するマメ科の優しい花です。
 秋の七草の筆頭を飾り、草冠に秋と書く秋の代表花です。万葉集をはじめ、古今集やその他の勅撰集でも数多く取り上げられています。
 万葉集では、“芽”または“芽子”と書いてよみが“はぎ”です。「秋知草」「野守草」「玉水草」と優雅な別名を数多く持っているのも、それだけ人々に愛されていたということでしょう。
 異称では鹿鳴草(しかなぐさ)鹿妻草の名に極まるとしたいのですが、琳派の絵や花札では鹿は紅葉に配されています。妻恋の鹿の鳴き声には萩のほうが似つかわしいように思います。

 散歩で出かける蓮池の周囲の土手はこの萩で埋め尽くされています。深まってゆく秋を、つぼみ初めるころから、地にこぼれ、下葉から先駆けて黄葉してやがて鮮やかな黄色に染め上げてゆく時までを見届けます。
 華麗さはないのですが、どこか艶なる気配を持った不思議な花の姿です。私はよく狐を配して絵にしたものです。勿論下敷きにあったのは、蕪村の「子狐は何にむせけん小萩原」です。

 ここまで記してきて、前にも萩を書いていたような気がして検索しました。やはり05年に「萩」と題して10月1日に書いていました。
 今年もこれからゆっくり萩に再挑戦して画いてみます。琳派でゆくつもりです。
どこからか、「琳派、淋派で日も暮れて」と、からかいの声が淋しい人の耳に届きました。

 探してみると万葉集をはじめ萩と鹿を詠んだ歌もかなりありましたその中から。

                    万葉集巻 大伴旅人
   我が岡にさ牡鹿(をしか)来鳴く初萩の花妻とひに来鳴くさ牡鹿


      和歌所歌合に、朝草花といふ事を  左衛門督通光
   明けぬとて野辺より山に入る鹿のあと吹きおくる萩の下風

                     新後撰集 藤原俊成
   秋の野の萩のしげみにふす鹿のふかくも人にしのぶころかな
  
 萩を特別に好んだ万葉人は萩黄葉(はぎもみじ)をも愛惜して、巻十に、作者未詳の歌がありました。
   秋萩の下葉のもみち花に継ぎ時過ぎゆかば後恋ひむかも




下の写真はいただきもので、福岡県で発見された萩で”つくしはぎ”の名前をもっているのだそうです。
                  

今年の彼岸の入り

2009年09月20日 | 日々好日
 今日は彼岸の入りです。仏壇の飾りつけをし、お供えを終えて、午前中にお寺詣りをしてきました。

 お彼岸には春とともに、太陽の昇る方角と沈む位置で真東と真西を確めることにしています。季節によってかなり位置が異なります。昼と夜の長さが同じと教わってきましたが、こちらは目で確かめることはできませんが、、夏のころよりずっと日の暮れるのが早くなってきました。
 日課になっている夕食後の散歩で、出かける時間は大体7時ごろと決まっていますが、すれ違う自転車の高校生達も皆灯りをつけています。気がつけば、あれほど騒ぎ立てていた蝉達の声も、静かな鳴き声の虫の音に変わっています。

 今年の彼岸の入りは特別でした。夕刻から、大阪で暮らす甥の結婚披露のお祝いの会で、都心のホテルに出かけました。
 遠くまで旅行することが困難な私の妹や、高齢の伯父伯母のため、奈良から両親と若い人たちが五連休を利用して、こちらに移動してきての披露です。
 ごく内輪の、顔見知りばかり、当人にとっての従兄弟にその子どもたちも加わっての気のおけない賑やかな会になりました。最年長というので我があるじがお祝いのスピーチをして、後は豪華な中華料理のテーブルを囲んでの会食になりました。
 前菜から鱶鰭スープ、とはじまり、最後の初めて食した蓮の葉につつまれたご飯までを美味しくいただきました。通例の披露宴のような、両親、親族は末席で、進行するうたげを少し冷めた気分で遥かに眺めるといった風景とは全くの様変わりです。

 先祖供養の彼岸の入りの日にこうした粋な計らいを企画してくれたことを感謝し、心よりの祝福のエール送りました。
 お開きのあと、最上階のバーラウンジで、夜景を眺めながら、二人を囲んで弟がキープしているボトルでもう一度盛り上がりました。

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画像は3枚です。





「石山寺の美」

2009年09月17日 | 雀の足跡
 目の具合が悪いと、夫は大分前からこぼしていましたが、先日のお茶席で、人の顔がぼやけて、判然としなかったというので、今日は眼科に行くことにしました。
 お医者様は、先代からの知り合いです。母の目は、直ぐ手術しないと見えなくなるといわれたのを、念のためと中学の同級生だった先代に見てもらうと、大丈夫と薬を処方され、死ぬまで母に目のトラブルはありませんでした。そのため絶対の信頼を寄せています。今は後を継いだご子息の眼科医です。
 診断は、白内障が出ているけれど加齢に拠るものだからと、目薬の処方がありました。

 帰りに、道の途中だからというので、北九州美術館で開催中の「源氏物語千年紀 石山寺の美」を見て帰ることにしました。

 昨年6月、MIHOに「蕪村展」を見に行った帰り、京都で源氏物語千年紀の大展覧会が開催されていたのを見ていたので、期待していなかったのですが、この美術館の開館35周年記念展というだけに、なかなか見応えのあるものでした。

 学生時代から何度も訪れている石山寺に、こうした寺宝が伝わっているのを知りませんでした。国宝や重要文化財の展示のほか、江戸期から、近代まで、石山寺ゆかりの源氏物語に題材をとった土佐派の流れを汲む絵画、漆工芸品まで網羅したものでした。

 鎌倉期のものが多いのですが、良弁僧正によって創建される以前の、白鳳時代(7世紀)の瓦や、平安時代の仏像も展示されています。特に目が留まったのが、薫聖経―真言宗屈指の秘奥の聖教―の中の「悉曇字母」と周防国玖珂郡の戸籍です。(どちらも平安時代 国宝)
 特に前者は、梵字の発音や、異体の文字を一字ごと丹念に入唐中に円仁が書き取ったものを、淳祐が写した貴重なものです。

 曼荼羅では、室町期の「天川弁財天曼荼羅」は眷属と十五童子を従える本尊の弁財天が、蛇頭人身の三面十臂の異様な姿なのには驚かされました。

「寺は石山寺」と枕草子にも書かれ、蜻蛉日記の作者や、更級日記の作者達が参篭してその作品に登場する石山寺は、紫式部が源氏物語を構想した寺としてあまりにも有名です。
 よく知られた華麗な「石山寺縁起絵巻」をはじめ、紫式部に関しての華やかな大和絵、源氏物語図色紙貼交屏風や、絵巻物の断簡葉人気があってかなりの人だかりで、王朝美の優雅な世界に浸っておられました。
 京都でもお目にかかった源氏物語屏風絵も、あふれるほどの展示とは違い、ここで1点だけでゆったりと見るとやはり優雅で文句なしに美しいものでした。

 帰るころには先生に引率された高校生や中学生がバスでやってきました。展示替で、前期だけのものがかなりありますので、展覧を予定されている方は27日までに行かれるのをお薦めします。

松尾芭蕉
 あけぼのは まだむらさきに ほととぎす 
勢田川を見下ろす境内、月見亭の隣の芭蕉庵にたびたび仮住まいして多くの句を残しています。
源氏物語図色紙 土佐光吉筆 桃山時代「葵」の巻の有名な六条御息所と葵の上の車争いの場面。金砂子の雲霞表現と人物の躍動感が見事でした。





  国宝 薫聖教のうち、悉曇字母の巻尾の部分

墨彩画の仲間

2009年09月14日 | 日々好日
 思いがけないスケジュールが入って、今月は合評会の出席ができなくなりました。
 辛口の批評が聞けないのはいささか寂しいです。
 そこで、あえて道半ば、途中の作品を公開します。
 いつもこの段階のもので合評会に臨んで、批評を受け、お互いに反発したり、納得したり、その上で描き直して手を加えたものに落款を押します。
 結果的には、技法や部分的な欠陥があっても、やはり前に画いたものの方が最初の感動が素直に表現できていることが多いようです。

 遠慮のない仲間同士の批評は、次へのステップになります。落款がなくても、並べた時には、誰の作品かすぐに解ります。
 それぞれが自分にはどうしても描けない領域を持つ掛替えのない友人達で、お互いに無い物ねだりをしては悔しがったり、憧れたりです。

 私が一番年長ですし、こと絵に関しては口数も多くなるのを時に反省もしています。次の、作品になりかけている6枚は、私のものでない友人のものが2点混じっています。


出光美術館の秋

2009年09月11日 | 雀の足跡
 門司の小さな美術館、出光で今年も秋は“琳派と江戸絵画”―宗達・光琳・抱一を中心に―と題した展示が始まりました。
 都市高速を使うと家から25分ですから、土日を避けて、昨日は午後から思い立って出かけました。目当ては伝俵屋宗達の「月に秋草図屏風」と「扇面散貼付屏風」でした。後期には鈴木其一の「四季花木図屏風」、光琳の「波図屏風」が出ます。思いかけない喜びだったのが乾山の作品が9点も展示されていたことでした。 「錆絵菊角鉢」や、「色絵椿文輪花向付」など、何度見てもいいものです。「染付白彩流水文鉢」は初めて目にしましたが、藍一色だけで表現された琳派の流水文の配置がモダンでした。
 
 昨年末、東京での大琳派展の折に見かけたものも、全部で40点たらずの少ない点数で展示されているとまた違った感銘を受けます。




 私が抱一の「燕子花屏風」の、葉先に止まるトンボにほのぼのとしたものを見ていると(ちらし左上)、「洒落てるけど葉の表現が弱くて好きではない。やはり根津で見たののほうがいい。」と、感想がありました。大琳派展にも出ていたようですが、「富士図扇面」伝光琳の一幅は軸装にされるとき、背景は其一が薄を描いた作品とのコラボでした。
 其一の「桜・楓図屏風」は風炉先屏風を少し大きくしたくらいの小さな六曲一隻ですが、桜を全部正面向きの花と葉だけを右下に三角形の塊りにまとめて描き、左には大胆に幹を半分から下だけにして、紅葉ではなく青々とした楓を描いていて、強いインパクトがありました。大琳派展の膨大な数のなかでの出展の印象は残っていませんでした。

 目当ての扇面散は、伝宗達とありましたが、大きな屏風に貼り付けられた十面の扇面に切り取られた草花の大胆なデザイン性と、筆の勢いは、紛れもない宗達とみました。後期には左隻が出るようです。
 秋草図屏風のほうは、上弦の銀色の月に照らされて、思いかけず繊細で優しい秋の草々がバランスよく金地の中に浮遊していました。
 余韻に浸りながら、門司港レトロの人影もまばらな海岸を散策して帰途につきました。


見つけた秋

2009年09月09日 | 日々好日
 荒れたわが家の庭や、散歩の途中に見つけた小さな秋です。
 古歌では圧倒的に歌われている数が多いのは萩と葛ですが、秋の七草は葛を筆頭にどれも群生して勢いがあるものが多いようです。
 藤袴も蕾を開き始めています。

 私の秋の七草は吾亦紅、水引草、秋明菊、桔梗、女郎花、河原撫子、もう一つは酔芙蓉を入れたいところですが、これは木の花です。それに華やか過ぎてバランスを崩します。やはりホトトギスか 竜胆で落ち着きそうです。

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 酔芙蓉の一日 朝の素面。昨夜の名残の濃い紅色も残しながらすまし顔のすがすがしさから、午後になるとほんのりかすかな薄紅色に。そして夕暮れには程よい色に出来上がって。夕闇の中では濃く紅を差してやがてしぼんでゆく体内時計の不思議。彼岸花も暦を持っているようですから、これぞ造化の妙。(画像は3枚です)

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 稔りの秋ももう直ぐ。夏中、目に凉を齎してくれた風船蔓も風船は薄すらと茶色に変わりはじめて。(Wクリックで3枚です)

 今の庭の片隅の秋風情 吾亦紅と秋明菊です。

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秋の気配

2009年09月06日 | すずめの百踊り
 尾花の揺れに秋を感じていますが気温は相変わらずの31度。それでも朝夕の肌に感じる風の気配は、先月のものとは異なってきました。
 夕刻、郵便を出しに出かけた折、雲ひとつない空には満月が懸かっていました。

 広く知られた牧水の歌
   白玉の 歯にしみ通る 秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり
   かたはらに秋ぐさの花かたるらく ほろびしものはなつかしきかな
を思う季節の到来です。

 こよなく酒を愛した牧水も、醸造を家業とする家に生まれた白秋も九州の人です。
 この季節は酒の詩人達を思い浮かべますが、どういう巡り会わせか、私のブログを訪問される方たちは、おなじ遺伝子を持つはらからは別にして、お酒を嗜まない人が多いようです。でも、お酒の楽しみは飲むことだけにあるのではありません。詩歌に歌われ、カクテルストーリーに描写されるその楽しみを読むことで、害のない喜びを味わうことができます。
 勿論、飲酒運転などは論外です。これは酒の罪ではなく、お酒への冒涜、飲む人の罪です。

   得歓当作楽  歓を得なば当に楽しみを作すべく
   斗酒聚比隣  斗酒もて比隣を聚めん
   盛年不重来  盛年 重ねては来たらず
   一日難再晨  一日 再び晨なり難し
   及時当勉励  時に及んで当に勉励すべし
   歳月不待人  歳月 人を待たず
             (陶淵明『雑詩十二首』其一からの抜粋)

 人生のはかなさを説き、時に及んで行楽すべしとうたうこの詩は、陶淵明の詩の中でも有名で、特に最後の四句は切り離されて人口に膾炙してきましたが、意味は、儒教道徳の影響で転用されて、歳月は人を待たないから、寸刻を惜しんで勉強すべしというふうに、曲解して教訓に利用されることが多かったようです。ここで成人向けに正解も理解しておきたいものです。
 原文に即していうなら、“盛りの年は二度とはない、今日という日は再びは来ない、時に及んでまさに行楽を楽しもう、歳月は人を待ってはくれないのだ”です。

 今時、近隣の人を集めての酒盛りなど考えられません。私の好みはやはり牧水流で、ゆっくり、自分の適量を静かに、秋の夜長を虫の音をBGMにと・・・。

 秋の楽しみのもう一つは、絵画展の企画のよいものが多いことです。門司の出光美術館でも、4日から「琳派と江戸絵画 ―宗達・光琳・抱一を中心に―」と題した展覧会がはじまりました。やはり、私にとっては「秋は琳派」です。展示替えで、会期の後半に見たいものが集中しているようですが、近いので前半も出かけるつもりです。

画像は酒井抱一 十二ヶ月花鳥図より。