雀の手箱

折々の記録と墨彩画

松本清張記念館

2010年08月30日 | 雀の足跡


 小倉城の内堀の傍に建つ市立の記念館です。暑い最中の所用で小倉まで出かける夫を車で送って、2時間後の待ち合わせ場所に約束して、久しぶりにゆっくり記念館を回りました。
 夏休み中とあって、思いがけず大学生の姿を多数見かけました。21年度は生誕百年で、企画も色々と工夫されてきたようでした。来館者の署名の中にも奈良や、広島の住所が記されていました。

 清張は小倉で生まれ(1909年)、不遇の前半生を朝日新聞西部本社広告部に勤務していました。その間に書かれた「西郷札」が週刊朝日の懸賞の3等に入選、「ある『小倉日記』伝」で、第28回芥川賞(昭和27年度下期)を受賞しました。作家としての出発は異例の42歳のスタートです。
 私の清張作品との出会いは、ガリ版刷りの西郷札でした。その後、「点と線」「黒地の絵」など北九州を舞台に展開する作品群を読み漁ったものです。

 40余年の作家生活で遺された作品数は長、短編合わせて1000点に及ぶようですが、「神々の乱心」の完結を見ず82歳で世を去るまで現役でした。その作家活動の原点はここ北九州にありました。
 清張を考える時、フィクション、ノンフィクション、評伝、古代史、現代史と、多彩な幅広い分野で、批判や異論はあるにせよ、人間の持つ普遍的なテーマを常に時代という鏡に映し出し、独特な切り口で捉えていく凄まじいばかりの作家魂に圧倒されます。「昭和史発掘」はいまだ読み終えていません。

 再現されている書斎や応接室、3万冊に及ぶ蔵書と書庫、コレクションの古鏡などに混じって、自筆の原稿の達筆なこと。年賀状に描かれた絵や、旅の途上での風物のスケッチの上手さは、版下や、広告で培われた素養以上に詩情豊かなものでした。

 小倉中学への通学の途上、「ある小倉日記伝」のモデルになった親子をよく見かけたと語る夫、すぐ近くの鐘崎の港、ジョウノキャンプ。和布刈。どれも身近な存在が作品の舞台です。
 第一、記念館のある場所からして、女学生のころ学徒動員で、城野の寮から下駄履きで通勤して、12時間勤務の夜勤をし、機銃掃射に追われもした小倉造兵敞の跡地です。
 地上2階、地価1階のしゃれた建物の廊下に並ぶ小窓は、鉄砲狭間か、銃眼をデザインしたと思われ、その隙間から小倉城の石垣を眺めつつ、”昭和は遠くなりにけり”と、先ほど見た「日本の黒い霧」を感慨深く反芻したことです。







蟹と戯る

2010年08月28日 | すずめの百踊り
 今年の蟹のはじまりは、作陶した大小の皿への絵付けからでした。五月、魯山人の蟹の皿をなぞって、墨彩画の仲間や、弟と一緒に蟹を描きました。もともと好きな画題で、応挙と蕪村のコラボで描かれた蟹にまで手を出し、かくて、さまざまな蟹が横行することになりました。
 「世人皆直行 我獨横行」とばかり時に時流に流されることなくゆったりと、時にはすばやく走る姿は見ていて飽きることがありません。

 夏の季語として俳句に登場する蟹は、タラバや、ズアイ蟹、松葉蟹といった大型の海の蟹ではなく、主として淡水に棲む蟹です。





   夕雨やをかに出揃ふ蟹の穴    暁台

   紺青の蟹のさみしき泉かな    青畝

   沢蟹のあらがふことを愛しとす  風生

 蟹曼荼羅の蟹の俳人、今村俊三の句  蟹暮れてひたすらしぼむ盆の空
                   蟹を追ふ躓かざるも手を前に

 などの句に共感します。

  条福に漢詩を書いている夫の練習用の料紙を失敬して、興の赴くままに蟹、また蟹です。
 これなら物議をかもすこともありますまいから、四畳半襖の下張りにでもしますか。 3枚です。

 残暑と呼ぶには厳しすぎる酷暑の日々、どうぞお大事にお過ごしください。


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おくる。

2010年08月24日 | 塵界茫々
 このところの暑さで、周辺の高齢者が、力尽きて旅立つ人が続いています。
 長い闘病生活で、次第に天使に近づいてきつつあった年齢も80代後半といった方々ですから、後に遺される想いを抱えて旅立っていく若い人を送るときのような悲痛の想いはありません。 

 不幸せな環境の中で人知れず行方を絶って、生死の程も定かでない老人の、驚くほかない悲惨な報道もあります。一方、家族や、血縁の人々に手厚く看取られながら、穏やかに生涯を閉じて旅立っていく人の葬儀は、肉親の別離の悲しみは当然としても、参列していても、人の死の厳粛のなかでも、順当な「さだめ」に、一種の安らぎさえ感じます。
 今日はにこやかな笑顔が印象に残る弟の姑をおくりました。

 

携帯デビュー

2010年08月20日 | 雀の足跡
 先月、初めて2週間ほどの長い日程で帰省した娘がお土産といって手渡したものの一つに携帯電話がありました。
 私が携帯を持たないのが信じられないと周辺に言われていましたが、始終目にする携帯を手に黙々と液晶に対峙している姿や、携帯電話に支配されて、持ち主の方がまるで携帯されているかのような有様が煩わしくて、あるじが拒絶するのも一因となって、必要がないからと断り続けていました。

 昨年の秋、「皇室の名宝」展をみるため上京した折、待ち合わせの連絡にと持たされて使った折、便利さに私の気持ちが動き始めていていました。
 使用料も、名義も、今はすべて娘のもので、簡単設定の単純な種類です。それでもカメラの機能も一人前についていますし、メールも可能です。娘への連絡用ですから、ペアーモードで、①を長押すると娘の携帯にダイレクトに繋がり、②は自宅電話に、③は弟の携帯に繋がるようにしてあります。

 操作はパソコンに似ていてMAILも送れます。分厚い説明書を拾い読みしましたが、標準モードにして、機能を使って深入りすることがなければ、簡単で至極便利な代物のようです。不便でも簡単モードのままで利用することにしました。
 電話帳登録も二桁になりましたが、自分から電話をすることは殆どありません。もっぱら娘から毎日、無事確認の定期連絡便が入ってくるぐらいです。そのうち所在位置の確認に使われることがないよう心がけます。老いた両親を案じての携帯所持の要請でしょうから、ありがたく受け容れて、なるべく身から放さず持ち歩くことにしています。町中にも公衆電話の姿がめっきり少なくなってしまいましたから。



セキュリティ風雲録

2010年08月17日 | 雀の足跡
 それはNTT西日本のメールで、5日「重要なお知らせ」が入ったことから始まりました。
 旧セキュリティ・サービスの提供が9月末で切れることの予告と、そのためのセキュリティ対策ツールのバージョンアップをするようにということでした。
 事がセキュリティーに関してなので人様への迷惑を考えて、早速指示通りにバージョンアップの作業に掛かりました。
 セキュリティは、「最新の状態」で問題はないと表示されているので安心していましたが、バージョンアップは光プレミアムはVer18にするようにと記されていました。(私のPCはVer15でした。)
 日ごろ開けてみたこともない箇所を開いて、指示に従って動作環境が条件を充たしているかのチエックから始めました。こちらは空領域が28,2GBでインストールに問題はなさそうなので、丁寧な写真画面による説明にあわせて、まずはインストール・ツールのダウンロードから開始です。名前をつけてデスクトップに保存したところまでは順調に進行したのですが、そのアイコンをWクリックで解凍しようとして、ここでエラーが突発したのです。

 慌ててメール画面に戻ろうとしても、移動しません。インターネットも繋がらないし、ワードも開けません。デスクトップは何時もと同じ顔をしています。他のアイコンは作動します。もしかしてウイルスにやられたかと困惑して、NTTのサポートセンターに電話するよりほか手段がないので何度も試みるのですが、私と同じようなXP使用者のトラブルが集中しているとみえて、回線が混みあっていますので後で電話するようにとテロップが流れます。一日中繰り返し試みても繋がりません。万策尽きて、妹の初盆と、今年は従兄弟二人の初盆でもあり、お盆を避けて予約を入れました。その間は、セキュリティなしで、作動しないパソコンを開くことはできません。
 電話は営業時間の6時をとっくに過ぎた午後8時半、かかってきました。
 さまざまな試みの後、セフティーモードで起動することになり、オペレーターの指示に従って旧バージョンを取り除くところから試みました。先日の私の実施したダウンロードのところから、解凍までのステップが今度は無事終了しました。

 次の段階に進んで、スタートアップツールのインストールに入ったのですが、これが30分近く経過しても、インストールが終了せず、「次へ」の画面が出ないのです。
 時間がかかりすぎるから、削除したファイルの断片が災いしていることも考えられるので、明日専門のオペレーターと直接私のパソコンを繋いでのリモートインターネットで操作するということになりました。
 この間、ウイルスチエックやシステムの管理などの項目も開かれました。システムにかなりのエラーフアィルが含まれていることもわかりました。飲み込みの悪い年寄りのノロマな操作に辛抱強く付き合ってくださること1時間半。行き届いた対応でした。
 明日のリモート接続に関しての注意と、万一の場合に備えてのバックアップなど、幾つかの承認を求められました。

 翌日準備を整え、待っていると約束どおりの9時、オペレーターからの電話がかかってきました。
 今度も前日同様の丁寧な応対で、直接パソコン同士を繋いだ操作が始まりました。「マウスをお借りします。」の案内とともに、目の前でひとりでにマウスが動いて、次々に珍しい場面が展開してゆきました。今何のためにどういう作業をしているかの説明とともに次々と作業が進められ、1時間足らずで無事無料体験のセキュリティ対策のバージョンアップが終了しました。
 前日予測されたとおり、削除したVer15の断片が残っていて災いしていたのが原因だったそうです。時間がかかるウイルスチエックだけが私に課せられた作業でした。

 一時はもう潮時かもしれない、パソコンから、噂のIpadに乗り換えようかとも落ち込みましたが、すいすいと動き始めたパソコンを前に、もうしばらくはこれで楽しませてもらうことにしました。セキュリティ対策に翻弄された無料体験の5日間でした。

 NTTのサポートセンターの久様、幸様、お世話になりました。ありがとうございました。





創造への発想

2010年08月04日 | 日々好日



 先日7月の例会の時、水の表現に迷うと表明したところ、それではというので筆を使っての溝引きを練習しようということになり、長筆2本の軸を輪ゴムで止め溝を作り、手に筆を2本持って一本は溝に当て、もう一本で線を、幅を変えて描いていく練習となりました。
 各自のありあわせの濃淡の墨で溝引きを試みていると、声が掛かり、そこから絵を作るようにといわれました。
 しばし眺めて、夏の海にこじつけました。
はじめから意図しないままの絵?は、逆に伸びやかで、面白いと勝手に自分を納得させています。みんな雨の風景や簾など楽しんでいました。

 滝を登る鯉は、初めに出来上がりの計画をある程度持って線を引いたものです。
残った墨で渓流に鮎を釣る人を描いて遊んでみました。