雀の手箱

折々の記録と墨彩画

台風15号始末記

2015年08月29日 | できごと
 倒れた樹木が塞いだ道は3日目の夕刻やっと通れるようになりました。予約をキャンセルにしていた病院通いが最初の通行で、整形外科に二人で出かけました。

 坂道の下の家の軒先をかすめて枝を載せている樹は、瓦の何枚かもめっくっています。垂れ下がった電線は、停電の日の深夜2時半ごろ、いきなり部屋のテレビがしゃべりだし回復を知りました。
 翌朝応急の措置がしてあるのを見ました。おそらく向かいの丘を回り道しての深夜の九州電工の作業だったのでしょう。今回ほど電気の存在の重さを実感したことはありません。倒木の折の電線の落下で下の広い市道に立つトランスが二つ付いた電柱の根元は、拳が入るほどの隙間ができて傾いています。
 回り道といえば、あの風の中、まさかと思った新聞受けに朝日新聞の夕刊を見たときは、感動しました。電話もテレビもない中で活字による情報で、直撃した台風の被害の様々を知りました。

 翌日から始まった手作業での下準備を経て、大木はクレーン車が入って、少しずつ切り分けられて、慎重に取り除かれていきました。次の日まる一日かかって作業が終了しました。

 おかげで冷蔵庫の整理はできましたが、差しあったっての食事のためと、切らしていた果物を買いに三日ぶりに車で出ました。散らばっている小枝や木の葉の片付けも大変だなと思案しながら帰宅すると、見違えるほどきれいに掃除がしてありました。
 足元のおぼつかない年寄りを案じて、ご近所の方たちのご厚意です。古くから住みついている人ばかりなので、何かと心遣いしてくださいます。
 面倒だから普段は閉めることのなかった22枚の雨戸を全部立てていたので、それを始末して、雨漏りしていた場所に敷いていたバスタオルの片づけも、ヘルパーさんの手を借りる始末です。
 多くの人に援けられ支えられて、生きてゆくこれからの道のりに感謝の念はもとよりですが、寂寥の感は抑えきれません。


今朝の風景



切り刻まれて無残な姿に代わった切り株




応急処置された電線




坂道は倒木で垣も壊れて。

台風15号の爪痕

2015年08月26日 | できごと

二度目に折れて電線も切った倒木


 10年ぶりの台風直撃でした。25日朝4時ごろ打ち付ける雨音で目を覚ましました。
 黒い小石を敷き詰めた坪庭は落ち葉を浮かせて排水しきれずにプール状態で、雨漏りも復活していました。
 6時過ぎからは風も加わり、大きな樹が身をよじるように枝を揺らしていました。朝食を終わったころ、隣家の方が様子を見に来てくださった折に、登り口近くの坂の途中の大きなモチノキが、倒れて道を塞いでいると告げられました。
 風が少し収まった頃合いに支度をし、ヘルメット着用で出てみると、毎日車で上り下りする道路を直径1メートルもあろうかと思える樹が、二股に枝分かれしたところから裂けて折れ、道に横たわっていました。
 町内会の役員の方たちも見えていて心配してくださっていました。
 市役所に連絡を入れたところ、二人ほど見えたのだそうですが、市道ではなくて私道だから市は対応できないと言って帰られたということでした。
 開発予定の事業者に連絡を入れたのですが、あちこちに被害が出ていて、倒木も多いので、すぐ手配しますが今日のことにはならないと思うということで帰られました。
 風もやや収まったかに見えた昼食後、バリバリと大きな音が続けざまにして、今度は残っていた半分が後追い心中よろしく裂けて、倒れていました。ついでの道行に電線という電線全部を切断して坂下の家の屋根の端も少しこわしていました。

 停電でテレビも照明も電話も不通。オール電化が裏目に出て、ITも、シャワーも、トイレも使用不能です。幸い母の使っていたトイレが手動なので、懐中電灯の明かりを頼りの主人の足元を案じながらも何とか凌げました。
 記念日でもないのに、蝋燭を3本灯して、冷凍食品がどこまで持つか心配なので、処分のつもりで、ガスコンロの使用で、できるだけ豪華なものをといっても冷凍食品を選んでの夕食でしたが、やはり気持ちは弾みませんでした。
 災害で避難生活を余儀なくされている方たちのお気持ちの一端が少しわかる気がしました。





初めに折れた倒木。


左端に見える残りの幹とその奥の小さな気もみんな倒れて無惨。



今年はたわわに実をつけた柿も枝ごと折れて


停電となった垂れ下がる電線




夏負け

2015年08月19日 | 塵界茫々
 いくら眠っても眠り足りない気がして、時間があると横になっていつの間にか眠っています。お盆に帰省してくれた娘に家事一切を任せての気の緩みでしょうか。明日は帰るので少しは気を引き締めなくてはと思っています。毎週来てくださるヘルパーさんもお休みを取られて代行の方が見えています。
 それでも、リハビリとお薬をいただきに行くのはお休みにはできません。お盆明けで毎日のように二人分の病院の予約を消化しています。








芙蓉は淡いピンクがかかっているのですが見えませんね。

暑中お見舞い申し上げます

2015年08月11日 | 塵界茫々
 






 暦の上では立秋を過ぎていますので、もう残暑お見舞いと申し上げるべきなのでしょうか。まだまだ酷暑の日々です。
 アルバムを整理していて見つけた古い写真です。世界遺産のイグアスの滝でしばしの涼を味わってください。
 明日からは雨の予報です。少しは暑さもやわらぐことでしょう。どうぞお大事にお過ごしください。
 団扇のそよ風では間に合わないでしょうが、日本の夏の風情も一緒にどうぞ。




70年前の夏の日の記憶

2015年08月08日 | 塵界茫々
 毎年8月8日は、70年を経過してもなお、断片的に鮮やかに蘇ってくる記憶で一日気持ちが沈みがちです。長崎に原爆が投下された前日、八幡大空襲の日のことです。

 確か何度かこの日の記憶をこのブログでも書きとめたと思って振り返ってみました。
 戦後70年という節目の年であり、国会では新しい安全保障についての国のありようが論議されていることもあって、例年以上に戦禍の惨状などが取り上げられて、戦争を知らない世代の関心もある程度は深まっているようです。
 ここ北九州市でも。「後世に語り継ぐ北九州市民の戦争体験~戦時下の暮らし~」として、年々減少する体験者の記憶を記録、保存する試みが企画され、広く一般市民の体験談が募集されています

 夫の午睡中などに少しずつ応募するための原稿を作成中です。原稿用紙5枚程度と記されていますがとても5枚などでは収まりません。あの戦時を乗り越えてきたものの一人として、後世へ残す記憶を記すことにしました。
 一人の家族も失うこともなかった私の戦争体験など、悲惨とは程遠く、苦しさも、空腹のほかは軽いものです。もっと厳しい状況を生き抜いてこられた方々もまだ生き残っておられると思います。すでに遅きに失した感がありますが、辛い体験でも、こうした機会に発信されるよう念願しています。




 このところの連日の猛暑ですっかり体調を崩した夫の介護で毎日が慌ただしく過ぎてゆきます。私自身も少し頭痛がするのは、冷房を嫌う夫に合わせるため、高めの設定で我慢しているせいでしょうか。




今年のホオズキは、早く実をつけていたものは長雨で、このような姿になっています。
原爆ドームの中の精霊とも見えて


梅雨明け

2015年08月01日 | 日々好日
 やっと北部九州の梅雨が明けました。29日、日本一遅く、例年よりも十日おくれだそうです。
「夏」の遅れを取り戻して辻褄を合わせようとするかのように、連日30度を超える炎暑にうんざりです。
 予報は降水確率0の日がつづくと報じていますので安心して梅を広げていました。お日様を浴びて独特の爽やかな香りが漂っています。今日は再び梅酢の中に戻します。梅仕事もこれで終了です。昨晩の見事な満月も浴びたことですし、きっと今年の梅干しはよい味に仕上がると今から楽しみです。

 今日はもう八朔。広島の厳島神社の管絃祭を懐かしく思い出しています。今年は月明かりの下で雅の世界がひときわ優雅なことでしょう。