雀の手箱

折々の記録と墨彩画

季節を描く

2013年11月27日 | すずめの百踊り
 一人の暮らしも、40日が経過すると、病院通いにもすっかり慣れてきて、朝夕は、気ままに絵に向える時間も増加しています。古いファイルを開いて整理し、欲しがってくれる知人に贈る1枚を選んだりしていますが、時間を気にせず邪魔もなしに絵に没頭している時間もたっぷりあります。

 庭は、このところの寒気で紅葉が一気に加速しています。ニシキギ、リョウブ、カシワバアジサイなど、日増しに紅のグラデーションが鮮やか差を増していきます。ドウダンツツジの代赭色に、銀杏や零余子の黄色もアクセントカラーで照り映えています。
 この賑やかな色の氾濫を松や樫の常緑が引き締めまとめているのは、絵の法則と同じと観じながら、見飽きることのない色彩の競演を独り占めで眺めています。

カボス。焼酎によく合う不思議。サラダにも。



ニシキギの紅葉







山形から届いたラ・フランサ




山の神々

2013年11月22日 | 雀の足跡





 徳川の至宝展を見た後、4階で開催中のトピック展示「山の神々」展に立ち寄りました。
 今年が竈門神社の肇祀から1350年になるのを記念した企画だそうです。

 ここでは思いがけず端正なお顔立ちの十一面観世音菩薩にお会いできました。熊本は阿蘇外輪山の北麓南小国町の千光寺に氏子の方々に大事に保存されてきた平安時代の作で、全身を包む光背も、この仏像に最初からつけられていた木彫という珍しいものです。159㎝という等身大で、慈愛に満ちたお顔、天衣の素朴なさりげなさなど、弟はことのほか気に入っていました。
 諫早からお出ましの不動明王と二童子は多良岳伝来の珍しい動きのあるものでした。地元英彦山神宮の祭神三座の中の一座は、厳しい修験道の聖地の祭神にしては、ふくよかで柔和なお顔立ちです。
阿吽一対の狛犬は、室町時代のもので竈門神社所蔵の福岡県指定文化財です。

 遠い記憶の「本地垂迹説」など思い起こしながら日本人の宗教の持つおおらかな包容力をうれしいものに思いました。
 富士の御山は信仰の対象として尊崇されてきた歴史があって文化遺産と認められたのだし、山は確かに水分(みくまり)の神が宿る水が生まれる場所であり祖霊が帰ってゆく場所でもありました。












竈門神社(かまどじんじゃ)は、九国博から少し離れた所にあります。宝満山の山麓で、大宰府の北東にあたり、大宰府建設の折、天智天皇が鬼門除けとして八百万の神を祭ったのが始まりだそうです。

尾張 徳川の至宝展

2013年11月21日 | 雀の足跡


 九州国立博物館で開催中の「尾張 徳川の至宝」展を思いがけず観覧できました。
 10月以来の夫の入院で、体重が3キロ減少した私をを気遣ってか、弟がリフレッシュにと言ってくれました。ちょうど九国博で、尾張徳川の至宝展が開催中なので、弟夫婦は二度も名古屋で徳川美術館を訪れているのを承知の上で、九国博を希望しました。

 午前中に予定されていた用を済ませ、午後から1時間の道のりです。目当てはかねて一度見たいと思っていた日本一の嫁入り道具と言われる将軍家姫君の「初音の調度」と、後期に2週間のみ展示される源氏物語絵巻絵「竹河」でした。現存の源氏絵巻の中でも華やかな断簡として知られる1枚です。

 博物館周辺は小高い山懐に位置しているので里よりは紅葉の進みが早く、今が見ごろでした。平日の駐車場、会場はゆとりがあって存分の鑑賞ができました。

 武家の表道具の武具はさすがの名品ぞろいで、国宝の来孫太郎の気品ある太刀や、政宗の短刀、それに伝説の村正も展示されていました。
 茶道具も御三家筆頭の至宝、見ものが多く、家康形見分けの「駿府御分物」の茶壺「松花」の釉薬の流れ、古備前の水差しのすっきりとした直線的な形や、白天目などに目が行きました。二人ともこれが一番と意見が一致したのは小ぶりな織部筒茶碗“冬枯”でした。現代に通用するモダンな思い切りのいい直線のデザインに惹かれました。
 能衣装、能面、のほか、光悦の新古今和歌集抜書、広沢切貼込屏風、などの書画。そして目当ての初音の調度の数々は、いずれも愛らしくも豪華絢爛の一語に尽きました。貝桶は前期の展示で見ることはできませんでしたが、化粧道具の数々、百人一首を収めた蒔絵の箱の見事なこと。こうした精巧な調度、道具に囲まれていれば、日暮眺めていても退屈はしなかったでしょう。
 こうした多方面にわたる宝物が、明治維新による大名家の困窮にも散逸せず、さらには戦禍をも免れ。よくぞ保存されてきたと感動しました。充実の2時間余をプレゼントされて満足して帰宅しました。、




尾張 徳川の至宝展

カンファレンス

2013年11月16日 | 日々好日
 15日は転院10日目というので、きまりの最初のカンファレンスが行われました。
 担当の看護師、主治医、理学療法士、栄養士、患者と家族が同席しての話し合いです。現在の患者の状況、これからの治療方針、問題点など、司会者の手慣れた進行で進み、少し緊張しました。
 はじめてのことで、拝聴することが主でしたが、最後に家族としての要望など聞かれ、率直に希望を述べました。

 今後も必要に応じてこうした協議が持たれるそうです。理学療法士の方から、転院してみえた時より、足どりが徐々にしっかりしてきているという報告をありがたく受け止めました。食事は、できるだけ完食してほしいという要望が出ていました。

 描きためた中から寒すずめを最初の1枚と終わりの1枚です。







おまけの1枚


11月例会

2013年11月12日 | 日々好日
 今日は午前中の例会にだけ出席して、午後の稽古はお休みにして病院に出かけました。
 今月はことが多くて落ち着いた時間がなくて、画題も庭先の小鳥たちのむさぼるに任せていた柿と例年描くつわぶきだけです。何の趣向もなく、いささかぶっきらぼうな線になってしまいましたが、これも今の私の絵でしょう。

 戸畑通いの毎日にも馴れてきて、いろいろなコースを試す余裕も出て、道中、名の通った老舗の看板をみつけては、こんな所にあったのかと発見の喜びもあります。
 リハビリは午前と午後に、それぞれみっちり1時間のプログラムで、ゆっくり進行しています。2階から眺めていると、今日は螺旋階段を7段ほど手すりを使って上下していてびっくりしました。さすがに疲れて、ベッドに戻るとうとうとしていました。

















>

転院しました。

2013年11月07日 | できごと
 6日、主治医の先生や看護師さんたちとお別れの挨拶を交わし、24日間に及んだ九州厚生年金病院から戸畑リハビリテーション病院へと転院しました。手すりなどの介護の準備も整い、新しくなったトイレの使い心地も一度見てもらいたかったのですが、お医者様や理学療法士の方にも止めた方がいいといわれたので、直接の移動になりました。

 幸いお天気も良く、娘と姪に援けられて、私のゆっくり運転する車で、揺れの少ないコースを選んで、9時過ぎに年金病院を出発して、倍近い30分をかけての移動でした。途中、久しぶりに、車窓に変化する馴染みの街の風景を楽しみながら、会話も弾んでいました。新しい病院は名前の通り、リハビリ専門の設備の整った新しい病院です。
 入院初日とあって、担当の内科医の先生、リハビリ担当の方など入れ替わり立ち代わりの来訪と、入院に伴う手続きや、様々な書類の説明とサインで、午前中いっぱいかかりました。
 対応が細かく分かれている食事は、品数はすくないものの、丁寧な調理で、陶器の器での提供です。ご飯は試しに軟飯を選択しましたが、ごくやわらかなものでした。好みで全粥までの程度の選択も可能なようです。苦手なものには別のものが用意されるそうです。メインの鯛の煮ものの味付けは好みの加減で喜んでいました。デザートは蜜柑が1個ついていました。明日からは食堂に移動しての食事になるようです。

 図書室にも、いろんな分野の本が揃っていて、吹き抜けになっている2階からは、1階のリハビリ室も見られます。


戸畑リハビリテーション病院

懐旧のひととき

2013年11月02日 | 塵界茫々


古い作品を整理していて、自分でもこんな絵を描いていたのかと懐かしんでいます。つい一筆加えたくなって修整したり、真面目に向き合った日々の初々しい自分をいとおしんだりして時間を過ごすのは愉しいひと時です。

 以前、夢中で描いていたお地蔵さんを最近は全く描いていないのにも気が付きました。少し落ち着いたら、また回帰して、感謝と、やさしい気持ちを取り戻さねばと想ったことです。

 週2回、お掃除に来てくれるヘルパーさんは二人とも元気がよく、1時間という短時間を効率よくてきぱきと仕事をこなされました。今は入院中なので来訪はありません。いろんな家庭に入られるわけですが、寡黙で節度があり、よく訓練されているのがわかります。ケアマネージャーの進言で廊下に手すりを設置してもらい、より快適な暮らしを願ってトイレも最新のものに入れ替え、全面改修しました。こうして多くの人に援けられて毎日が過ぎていきます。

 ようやく予定の転院先の個室に空きができたので、6日にはリハビリ専門の病院に転院します。