雀の手箱

折々の記録と墨彩画

四月の庭の花

2011年04月27日 | 日々好日


 家事と行事に追われ、慌しく日が過ぎていった感のある四月ですが、庭では季節を忘れない花々が、その時を華やいだ衣装で謳歌していました。

 まだ使いこなせないフォトチャンネルの練習を兼ねて、雨の日のつれづれにカメラの中の写真を取り出してUPします。いつもモデルになってくれる花々です。

 

4月の例会

2011年04月24日 | 日々好日
 暖かくなってきて、身軽で動きやすくなり、娘の激励もうけて片付けがはかどりました。
 家事は一つにケリがつくと達成感から、次々にやることが出てきて、珍しく集中していましたので、今月は提出作品の数が少なくて小さくなっていました。

 課題の「春の海」は、イラスト風でなんとか纏めました。もう1枚は例によっての関門風景です。
 少し前に戻って庭のツルキキョウを画いて見ましたがこちらは自分で没にし、提出を見送りました。空間処理がいまひとつと思ったからです。(下の絵)





 庭ではミヤコワスレも花を開き始め、バイカウツギは蕾がふくらんできました。梅の実もはっきりそれとわかる粒になって、二ヶ月先の作業がおもいやられます。







今年のリオのカーナバル

2011年04月18日 | 日々好日
 今年も、リオのカーナバルの写真を友人達が52枚もスライドにして送ってくれました。
 1月にリオを襲った集中豪雨の災害で、土砂崩れの中から救助される人々の映像は日本でも放映されていました。多数の犠牲者を出し、今年のカーナバルは中止になるのかと思っていましたが、カリオカたちは今年も相変わらずの元気のようです。
 
 祭が終わって、写真が届いた次の日に、東北地方、関東を巨大地震とともに大津波が襲いました。
 未曾有の大地震の上に、追い討ちで、想像を絶する巨大津波が襲いかかり、この世の地獄を体験された東北の方々を思うと、このようなお祭り騒ぎの写真を掲載するのは躊躇われ、下書きのままで没にするつもりでした。
 が、考えてみると、リオのファベーラの住人達が主役のこの祭は、大雨の被害から立ち上がった人々の祭でもあります。
 日本中が暗く沈んだ日々から1ヶ月が過ぎ、ようやく次への動きが始まってきました。いくらかでも元気が出るならばと、一部を掲載します。東日本の方々もくじけずに復興へ舵を切る元気を出してくださるよう祈ります。




筑後の櫻

2011年04月13日 | 雀の足跡
 昨年末の大掛かりなリホームのときに駆けつけてくれ、片付けの中心で大活躍してくれた娘に、今回は骨休めの温泉をプレゼントするつもりで希望を聞くと、近くでお湯のいいところというので、先般西日本新聞で見た「満足度通信簿」で、九州山口の風呂部門で九州二位の得票を得ていた筑後川温泉の宿をとりました。

 県内の通いなれた行程なので、初めてだという秋月と日田を、櫻の季節だからとコースに予定しました。
 東京へ帰る日程から逆算して日曜日に宿を予約しました。これが大失敗で、秋月は長い車の渋滞で、脇道を採っても予定した時間より30分も遅れてしまい、人、人で混みあっていました。いつも行く手漉き和紙の店に車を駐めさせてもらい、本通りを避けて、田んぼ道を”杉の馬場”へと向いました。途中の西念寺はひっそりと人気もなく参道に散り敷く櫻の風情を愛でることができました。

 筑後川温泉の宿は評判どおりのいいお湯でした。かすかな硫黄の香と、とろっとした「美肌の湯」で、窓の外は満開の桜、貸切状態でゆっくりと手足を伸ばせました。
 余震に脅かされる東日本の人たちには申し訳ないなどと語らいつつも久しぶりに泉質のよさを満喫したことです。
 翌日の日田は予想に反して、人影もまばらで、雛祭りのころの喧騒が夢のようで、ゆっくり町並みを散策できました。





秋月の櫻と筑後川温泉

咲くからに

2011年04月08日 | 日々好日
  
咲くからに見るからに花の散るからに  鬼貫



 櫻は今年も何事もなかったかのように咲き誇っていました。うららの陽ざしに誘われて、7日は杉田久女ゆかりの高見クラブ一帯の櫻を探訪、(はじめの2枚)
 夕刻、震災のあと、延期になっていた帰省で、突然、東京から娘がやってきました。
 今日は散り始めた櫻を惜しんで三人で湯川山中腹の成田山へ出かけました。平日のせいだけではないまばらな人出でした。これ以上の災厄がないことを不動明王に祈りました。
 このスポットは玄界灘を遠景に弓なりに続く三里松原を見晴るかす気に入りの場所です。2日連続のお花見のあとは鐘崎の漁港近くの宿で、海の幸の口福でした。

 いつものことですが、盛りの花を見た後のしずけさと、余韻にただよう一抹の寂しさを得がたいものといとおしみます。この余韻を求めて花見に出かけるのかもしれません。

 庭先にはらはらと散りかかる櫻を見ながら「花鎮め」という言葉がふと浮かびました。
 私たちに必要なのは自然を敬い、神を畏れる心から発した、生者の魂を鎮めることにあるのではないでしょうか。
 東国では震度6の大きな余震でまた被害が出ました。ただ鎮まる日が一日も早かれと畏れるばかりです。



一つの終焉

2011年04月01日 | 雀の足跡
 回を重ねて42回となった旧制高等女学校の同窓会を30日の総会を最後に閉じることになりました。
 戦後の学制改革で県立中学校と県立女学校が統合されて、新しく男女共学の高等学校となって以来、下部組織として別個に開催してきた同窓会でした。年に1回、6ページの会報も途切れることなく発行していました。

 終戦後、高等女学校生として最後に卒業した同窓生が80歳を迎えるまではと続けてきたのですが、大きな会を維持運営してゆくことは困難になるだろうとして、以前から決められていたことではありますが、現実にその日を迎え、定例総会のレジメに23年度は事業計画も予算の計上もないのは寂しいものがありました。

 最後の繰越金の始末や、今後の連絡方法、各期の代表選出その他を審議して、いつもとは違う様々な意見や要望を纏めるのにいささかの疲労を感じました。どうにか満場一致の方向も固まり、無事最後の議長を務め終えることができました。

 懇親会では思い出話に花が咲き、懐かしの唱歌を合唱し、校歌を最後に、これからは本校の同窓会で会いましょうと名残を惜しみながらの解散でした。
 戦中を生き抜き、人生の山坂を越えてきたかつての軍国乙女達は淡々として、五分咲きの櫻のもと、涙とは無縁の終焉でした。



今年の椿谷の椿は花のつきもよく色も鮮やかです。