咲くからに見るからに花の散るからに 鬼貫
櫻は今年も何事もなかったかのように咲き誇っていました。うららの陽ざしに誘われて、7日は杉田久女ゆかりの高見クラブ一帯の櫻を探訪、(はじめの2枚)
夕刻、震災のあと、延期になっていた帰省で、突然、東京から娘がやってきました。
今日は散り始めた櫻を惜しんで三人で湯川山中腹の成田山へ出かけました。平日のせいだけではないまばらな人出でした。これ以上の災厄がないことを不動明王に祈りました。
このスポットは玄界灘を遠景に弓なりに続く三里松原を見晴るかす気に入りの場所です。2日連続のお花見のあとは鐘崎の漁港近くの宿で、海の幸の口福でした。
いつものことですが、盛りの花を見た後のしずけさと、余韻にただよう一抹の寂しさを得がたいものといとおしみます。この余韻を求めて花見に出かけるのかもしれません。
庭先にはらはらと散りかかる櫻を見ながら「花鎮め」という言葉がふと浮かびました。
私たちに必要なのは自然を敬い、神を畏れる心から発した、生者の魂を鎮めることにあるのではないでしょうか。
東国では震度6の大きな余震でまた被害が出ました。ただ鎮まる日が一日も早かれと畏れるばかりです。