雀の手箱

折々の記録と墨彩画

光琳にならう玉蜀黍

2017年08月24日 | すずめの百踊り


 一日の大半を眠って過ごす夫を見守りしながら、誕生日のプレゼントで娘に贈られた「光琳デザイン」の分厚い本を開いていました。
季節がら団扇に描かれた玉蜀黍に目がとまりました。力強く、モダンな絵に惹かれて、挑戦してみました。やはり私の絵は、小さく説明が過ぎるようです。

 この斬新なデザインのモダンさは、どこから来るのだろうと考えていて、主題の玉蜀黍を、その実をあえて小さく扱い、葉に主点を置いて“全体としての玉蜀黍のイメージ”を捉えたところにあると気づきました。以下が私の光琳ならいの習作です。
 初めのイメージデッサンからのすべてです。

お盆休みが入るので遅くなると言われていたのですが、思っていたよりも早くプリンターは退院してきました。快適な動きに満足しています。ただし、画像の荒も明瞭で困ります。








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この頃

2017年08月18日 | 塵界茫々




 
残暑お見舞い申し上げます


 ただ今プリンターが長年の酷使にダウンして入院中です。不自由この上ない事で、古い画像でのお見舞いをお許しください。
 今年は蝉の合唱が小さく聞こえるのは私の耳のせいでしょうか。アブラゼミやクマゼミに混じって、ツクツクホウシはもうお盆の前から声をたてています。
 皆様も体調管理をお心にかけ、元気にこの季節を乗り切られますように念じています。

 まるで日本が亜熱帯であるかのような熱波の日の連続や、豪雨の襲来で、夏野菜の出来も悪いと、近所の園芸を趣味にする方たちも嘆いています。そういえば今年は我が家の茗荷はまだ一度も収穫していません。放りっぱなしは例年の事なのですが。

 今年は、夫の二人の弟の初盆で、寂しさを感じて、互いにわが身の行く末を重ねては、しみじみと語り合う日もあります。

想い出の旧大連航路上屋

2017年08月13日 | 塵界茫々

上屋コリドーからの展望 現在の港風景


 先日出かけた「いのちをみつめて」が上演された旧大連航路上屋は、観光客に人気のレトロ地区とは門司港駅を挟んで反対側の西海岸にあります。門司港湾合同庁舎や海響ミュージアムの傍ですが、人気のレトロ地区にくらべると人の通りもまばらです。
 昭和の初期には、ここから夢を抱いて欧州へ、また南米へ、中国大陸へと船出した人たち。そして戦中は、いくさの最前線へと、多くの人が旅立って行きました。夫も故国の見納めと覚悟してこの港を後にしたと話していました。

 この場所は、私には思い出のある場所です。当時父親の赴任で旅順に住んでいた従兄が、何年かに一度、夏休みの間を「内地」へ帰省して過ごしていたのを見送りに出かけたことのある想い出の場所です。
 小学校3年生くらいの私は、従兄が履いている編上げの黒い革靴が珍しく、羨ましく見つめていた記憶があります。
 それと、従兄が投げたテープの輪が,出港の銅鑼の音と共に次第に小さくなって切れるときの物悲しい感触を覚えています。帰りに駅前のそこここで面白おかしい節回しで、叩き売りされているバナナを買ってもらうのが楽しみでした。

 終戦後のある日、家族5人が父親と共に、文字通りの着の身着のままの状態で引き揚げてきました。伯母はすでに終戦前に病を得て療養のため帰国して亡くなっていましたが、年上の女の子の髪は丸刈りの坊主頭だったのを覚えています。
 医者になっていた従兄が炭鉱の診療所で勤務するようになり、社宅がもらえたので、私の家から移ってゆきました。戦後の混乱期を乗り切った従兄も既に故人です。



旧大連航路の出港風景の写真 上屋の館内展示より


大連定期航路・黒龍丸の模型


上屋2階の長いコリドー


旧大連航路上屋 昭和4年竣工時の写真 パンフレットより


人が集う施設に生まれ変わった現在の上屋


 
 当時の国際旅客ターミナルは、アールデコ調のデザインで、かっての門司港が流行の最先端を行っていた港町だったことを偲ばせています。90年近くの歳月を経てもモダンです。 

八月は祈りの月

2017年08月09日 | 雀の足跡
 今年も祈りの月、八月がやってきました。私の八月は、いくさに散った御霊への鎮魂の月です。
 七月に広島テレビの取材を受けた分の放映はもう七月末に終わりましたが、六日は台風5号の動きを気にしつつ、午前中は広島への追悼番組に見入っていました。
 広島市長の追悼の言葉の切実さに比べ、首相のそれは私には少しそっけなく聞こえました。



 前日の五日、土曜日には、門司港の旧大連航路上屋で開催された「いのちをみつめて」の上演に出かけました。
 休憩時間の終わりごろ、北橋市長がお見えになり、挨拶の後、しばらく一緒に上演を観賞されていました。

 八日は八幡が、米爆撃機B29の221機による大空襲を受け、死傷者2500人余、このブログでも何度も記した悲惨な記憶につながる日です。地元北九州では、今では広く知られるように、原爆投下の第一目標だった小倉が、前日の八幡空襲の余煙もあって、視界不良のため第二目標の長崎へ投下されたのが九日の11時2分です。7万4000人余の命が失われる地獄絵が広島に次いで繰り返されることとなりました。

 戦争体験を持つ人が80代という高齢になり、年々少なくなってゆく中で、私をはじめやっと当時を話すことができるようになって、記録を採る試みが進行しているのは、次の世代が「過ちは繰り返さない」ために大切なことと思い、協力を惜しまないつもりです。
 間もなく十五日の終戦の日です。自然のもたらす災害を防ぐことはできなくても、いくさへの道を防ぐ事は人智を尽くせば可能なはずです。戦争の愚を語るのはあの戦争を経験し、生き残ったものの責務だと思っています。

夜に咲く花

2017年08月02日 | 日々好日
 早いものでもう八月に入りました。連日34℃以上に固定した夏日はメタボな体には厳しいものがあります。
 それでも3回の食事にできる限りの変化を工夫して、何とか老い二人の日を送っています。

 蝉の声もここを先途の賑やかさですが、どこか忍びよる秋の気はいを内蔵しているのを感じます。
 車庫の裏のツツジの植え込みを覆う烏瓜の白い花が、開花準備ができているようだったので、昨晩は門を閉めに行くときカメラを持参しました。懐中電灯を照らすまでもなく、夜目にもほの白い網がみえました。
 月下美人はじめ、夜咲く花はいい香りで夜の蛾を誘うのでしょう。晩秋の真っ赤な4センチぐらいのラグビーボール状の実も風流なものですが、葉月の夜に広がるなんとも不思議なレース編みです。昼間の顔からは想像もできない奔放な妖しさで画心をくすぐります。














 
待たねども咲けばかなしき烏瓜  秋桜子


 からすうり翁のごとく咲きにけり  青畝