東京展の折の、ブログ友の記事や、テレビの日曜美術館、新聞での絵入りの紹介記事などから推して、展示の量やその収集の規模を思う時、これは焦点を絞って見学しなければと覚悟していました。
狩野元信の白衣観音、尾形光琳の松島図屏風、そして蕭白の雲龍図を中心とした一群の作品。これらを中心にと予期していました。
目玉の呼び物のうち、三条殿焼き討ちの「平治物語絵巻」と、「吉備大臣入唐絵巻」も後ろ髪引かれつつも、これは人垣の後ろから眺めて、図録で見ることにして先を急ぎました。白衣観音はイメージしていたよりも強い線で印象も鮮烈でした。光琳の松島図屏風は波のデザイン化されたうねりがダイナミックでいて、色の層は細かに計算された変化を見せて躍動していました。写真で見るのとは違い、若々しい力の溢れる大きさのある絵でした。 写真 左隅
白衣観音 狩野元信 宗祇像 元信 金山寺図扇面 伝元信
お目当ての最終室は正面に威圧する10メートルを超える大きさでドンと出迎えていたのがチラシや図録の表紙にも用いられた蕭白の雲龍でした。
ちょっと困ったような顔つきの醸すユーモラスと、龍の尾の鱗の描きこみ、それに対して爪の鋭い表現は簡略された線で描かれて、あくまでも強く、見るものに迫ってきます。夢の中まで、あの迫力で押してくるのではないかと恐れを抱くほどの線の勢いと鋭さが渦を巻いていました。
同じ部屋の蕭白。右が、商山四皓図 左壁面は虎渓三笑図
蕭白という日本でもて囃されることのなかった画人の持つユニークで、飄逸な面は、この室の仙人や文人の姿にも見ました。大和文華館で見た雲に乗る雪村の「呂洞賓図」を思い浮かべながら、同じ”奇想の画家“と呼ばれても、その仙人の捉え方の違いを面白いと見ました。評判通りぐるりと囲む蕭白オンパレードに、この雲竜図の前のベンチには半ば呆然とした表情の人々が腰を下ろしていました。
展示されていた多くの作品は、国内にあれば国宝級のものが多く、国外流出を惜しみ嘆く一方で、フエノロサが持ち出したからこそ今日まで命永らえたとも考えられ、廃仏毀釈の嵐の中で、海を渡った作品の生まれ故郷への里帰りに、至福の時を過ごさせてもらいました。、4時を回って会場を後に、二人とも十分に堪能した鑑賞の一日でした。
写真はすべて九州国立博物館の提供によるものです。