雀の手箱

折々の記録と墨彩画

今日の習作

2016年08月25日 | すずめの百踊り
 久しぶりに、パレス穴生への1泊2日のショートステイに出かけてくれたので、明日は自分のリハビリですが今日はゆっくり休養です。
 気晴らしにツユクサとフクロウで遊びました。いつまで経っても、年相応の枯淡の境地には至らず、我ながら呆れています。それでも絵筆を持っているときはしばし浮世のしがらみを忘れて「露の世は露の世ながらさりながら」と一茶の句を思い浮かべたりしています。
 何とか「一茎有情」の情が出せないものかと一人前に悩んでのツユクサと、好きな画題のフクロウです。
 古い絵を思い出しながら遊びました。それぞれを3枚ずつ記録します。傍目にはご大量のごみの生産と見えても、ささやかに好きな絵を描く愉しみがあることを幸せと思うこの頃です。

























追悼の日

2016年08月15日 | 塵界茫々
 今年も71年前の8月15日と同じ晴れ渡る夏空でした。照りつける陽射の中、終戦の日がめぐってきました。
 正午にはテレビの戦没者追悼式の式典中継に合わせて、天皇とご一緒に、戦没者への黙祷を捧げました。
 今年は、北九州市の市民の戦争体験を採録する企画に参加して以来、市のDVD録画、二つのテレビ局からの取材や、ムーブでの講演と、次々にお呼びがかかりました。
 今日は、夕方5時から西日本テレビの”終戦71年女性の証言 花火に重ねる記憶とは“の放映でした。折からリオでのオリンピックの華やかな成果で、大分端折った内容になっていたようです。
 今日の朝日新聞の一面のトップ記事も「戦争体験 老いる語り部」でした。
 老残の姿を曝すのはやめにしようと決めて、同窓会の招きにもこの3年は欠席を続けてきましたが、次の80周年の戦争体験を語る企画には到底参加はありえないと思い、あえてお断りせずに応じてきました。これは戦争を知らない世代へ、戦争を体験し生き残った者が、なすべき責務のようなものだと考えたからです。
 私の体験などは、広島や長崎で原爆を体験した方々や地上戦を体験した沖縄の方たちに比べれば微々たるものです。その上、すでに記憶も曖昧になってはいますが、小倉造兵廠で風船爆弾の紙張りをした16歳の日々や、八幡大空襲の翌日の焼け野が原を目にし、黒焦げの屍を呆然と見つめてさまよった記憶、頭上の空中戦で体当たりした飛行機の部品が空を舞うのを防空壕から目の当たりにした鮮烈な記憶の切れ端は70年の歳月を経ても消えることはありません。

 どうかこの国の豊かな美しい自然が戦禍で壊滅するような日が再び来ることがないよう叡智を集結して守り続けてください。地震や大雨といった自然災害は人の力で食い止めることは難しいでしょうが、人が起こす戦争は人の力で何とか防ぎとめることが可能なはずです。










くちなし公園の蓮

2016年08月13日 | 日々好日


 この季節には家の裏山を越したところの「くちなし公園」の池の蓮が見ごろになります。この池の蓮は白一色で埋め尽くされています。
 早く終わったので病院の帰りに寄り道してみました。

 今年はアオサギの姿が見当たりません。この池に棲みついてもうかなりの年数を経ているようでしたから、あちらの世界に旅立ったのかもしれません。誰ひとりとして姿を見かけることのない昼下がりの蓮池は静まりかえって、背筋を伸ばしすっくと立つ気品のある蓮の姿と香りを独り占めして、しばし猛暑を忘れていました。













このごろ

2016年08月09日 | 塵界茫々
 連日35度を超える暑さに、買い物にも出かけないので、冷蔵庫のストックが片付いています。娘の帰省で家事一切を任せての休息で、時間はたっぷりあるのに気が緩んだのでしょうか、何をする意欲もなく、ブログの更新も滞ったままで、絵筆も動いていません。
 今日は勧められて、伸び放題だった髪を切りに出かけ気分も少しすっきりしました。

 私の八月は祈りの月です。六日の広島への原爆投下、そして八日は生まれ育った北九州は八幡が大空襲で焼け野が原と化した日。今日九日は長崎への原爆投下で10万人を超える犠牲者が出た日と続いて、やがてお盆を迎えます。
 いくさで命を絶たれた多くの御霊に安らかなれと祈りを捧げます。

 戦争を体験した者として、請われるままに、終戦から71年の時を経て初めて自分の体験を語りました。これは戦争を知らない世代へ語り伝えるのは、生き残った者の責務だと思ったからです。人前に老残を曝すことはやめようと決めていましたが、見苦しくともあえて曝すことが時間の重みだろうと考え直し、小倉造兵廠への動員の日々や、八幡大空襲の惨状も語りました。そうすることが、私の死者への鎮魂でした。

 今年はブラジル、リオでのオリンピックの開催と重なり、かつて暮したこともある土地だけに懐かしさもあり、友人たちからも毎日送信されるメールや動画で盛況を見ていますが、今一つ夢中になれません。これを夏バテというのでしょうか。
 下の三枚の習作は、こうした日々の中でのものです。やはりどこか気合が抜けています。